古くは万葉集に登場し、明治時代には夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介をはじめとする日本を代表する文豪たちが静養に訪れたという、湯河原温泉。その奥座敷とも呼ばれる奥湯河原は最も箱根寄りに位置し、豊かな自然に囲まれた静かな山間の温泉地です。その一角、山に抱かれるように静かに佇む数寄屋造りの宿「海石榴(つばき)」を訪れました。
湯河原を代表する花木・つばきと笑顔のおもてなしがお出迎え
東京方面から新幹線や特急電車に乗って約1時間~1時間30分。JR「湯河原」駅からバスやタクシーを利用して20分弱で奥湯河原エリアに到着。車の場合は有料道路を通って2時間ほど。そのアクセスの良さから、ふらっと週末に訪れるリピーターの方が多いと言います。
屋号の「海石榴」は湯河原を代表する花木・つばきの古語。その名の通り、敷地内には72種ものつばきが植えられ、11~5月までさまざまな種類のつばきが順に咲いて旅人を出迎えてくれるそうです。今回伺ったのは一番つばきがきれいに咲きそろうという2月。エントランス前では、明石潟(あかしがた)という可憐なつばきの花の歓迎を受け、心が和みます。
エントランスを入ると、数寄屋造り独特の木のぬくもりが感じられる、静かで落ち着いた空間。のれんや行灯にあしらわれたつばきがかわいらしくて、思わず笑みがこぼれます。仲居さんの笑顔に迎えられ、ロビーでチェックイン。
庭の池を悠々と泳ぐ鯉を眺めながら、ほろ苦いお抹茶とつばき型のかわいらしい和三盆の和菓子をいただきました。日々の忙しさを忘れて非日常の旅へと誘われていきます。
庭園を眺めがらゆったりと和室でくつろぐ非日常の空間
時間を忘れてロビーでしばらくくつろいでいると、仲居さんのお声がけで客室へ。ひっそりと静かな廊下を進むと、ほんのりと香ばしいお茶の香りがします。館内にはオリジナルブレンドのお茶を炊いた茶香炉が置かれていて、どこにいてもよい香りに満たされていました。
本館の一番奥まで進むと、約70平米の広さを誇る露天風呂付き和洋室「長楽(おさらく)」がありました。長楽はつばきの一種。客室にはそれぞれ異なるつばきの名が付けられています。
灯りに照らされた引き戸を開けると、そこは数寄屋造りの特徴である土間と玄関が一緒になった広々とした空間。土間の冷蔵庫にはビールやソフトドリンクなどのフリードリンクが備えられています。
鍵にもつばきのかわいらしい飾りがついていました。
和室に入ると目の前には中庭の池が広がっています。リビングは、床の間に掛け軸がかけられた12畳の純和室。
仲居さんが用意してくれたお茶とお茶菓子をいただきながら、ここでもひと心地。
池に映る山の木々や庭を眺めながらしばらくぼーっとしていると、奥湯河原の心地よい静けさに包まれて、まるで瞑想をしているように心が整っていきます。
フロントでリクエストをすれば、鯉にえさをあげることもできます。
ゆっくり部屋でコーヒータイムも。1杯ずつ淹れることのできるドリップコーヒーや、たくさんいただくなら備え付けのコーヒーメーカーで海石榴オリジナルの有機栽培コーヒーを。緑茶、ほうじ茶、紅茶やハーブティーも完備されています。
セミダブルサイズのベッドが2つ並んだ寝室は、寝心地にこだわったシモンズ製のベッドを採用。
季節の花々を眺めながら奥湯河原の湯を堪能できる贅沢な露天風呂。プライベートな空間でゆっくりと温泉を満喫できます。
部屋には初代女将の「女性に喜んでもらえる宿にしたい」という想いが隅々にまで行き届いています。そのひとつがアメニティ。美容通が太鼓判を押すドライヤー「レプロナイザー」、美白と保湿に優れた知る人ぞ知る真珠で有名なミキモトのコスメ、つばき柄がかわいいオリジナルのタオルなど、女性目線で選ばれたアメニティに心が弾みます。
女性にうれしいダブルシンク。女性の2人旅でも、ゆっくり自分のペースでメイクができる使い勝手の良さです。
早くくつろぎたくて浴衣に着替えようと引き戸を開けると、つばき柄の浴衣だけでなく、部屋着や館内で着られる作務衣、ベッドの上にはパジャマが用意されていました。ここにも、とことんリラックスしてほしいという気持ちのこもったおもてなしを見つけました。
特別な日には贅を尽くした客室「迎賓館」で心に残る滞在を
本館の客室以外に、約1,000坪の敷地に5部屋のみの特別な離れの客室「迎賓館」があります。どの部屋も贅を尽くした調度品、大きな窓から望む木々や渓流までが1枚の絵のように部屋を彩ります。「日本旅館の真髄を堪能してほしい」という想いのこもった部屋で贅沢な時間を過ごせます。
個室ブースに豊富なアメニティ。女性の使いやすさにこだわった温泉大浴場
ひと息ついたところで温泉へ。本館からロビーを抜けて迎賓館にある大浴場へと向かいます。廊下に各部屋にちなんだ掛け軸の解説を見つけました。
掛け軸の言葉の意味がわかると、たとえ1泊とはいえ、部屋に愛着がわいてきます。宿泊した客室の掛け軸は、正法眼蔵(しょうほうげんぞう)。「一切のものを明らかにし包み込んでいる、正しい教え」だそうです。
宿自慢の温泉は無色透明で柔らかな泉質。ナトリウム・カルシウムが含まれた塩化物・硫酸塩泉。ちょうどよい湯温が保たれている循環式。肌にすっとなじんで、入浴後も肌の潤いが保たれ、長い時間ポカポカ感が持続します。サウナ(14:00~23:00、7:00~11:00)も。
箱根の山を望む開放感のある露天風呂。春になると桜が咲き、花見湯も楽しめるそうです。
個室ブースを完備する女性脱衣所
女性にとって特にうれしいのは、個室ブースを完備した脱衣所。時間や人の目を気にせずゆっくりと過ごせる引き戸のついた6つの個室ブースには、アメニティがそろっています。もちろん、フェイスタオルやバスタオルも置かれているので部屋から持ってくる必要はありません。
お部屋同様にミキモトの基礎化粧品、レプロナイザーのドライヤーがそろっています。
ミキモトのシャンプー、コンディショナー、ボディソープが備えられていますが、少し違うものを使ってみたいという方は、フロントでお願いすればアメニティサービスも。ロクシタンやイングリッシュスパなど女性に人気のコスメブランドのヘアケア製品のミニサイズをリクエストすることができます。
入浴後はラウンジで地元のお酒やアイスクリームを楽しむ
温泉の後は、ラウンジでひと休み。15:00~18:00には、ビール、湯河原産の梅酒や焼酎、地場産みかん手作りジュースなどのソフトドリンク、アイスクリームなどをいただけます。
熟練の和食料理長が魅せる、目と舌で味わう旬の懐石料理をお部屋で
ゆっくりと温泉に入ったせいか、日が暮れてくるとそろそろお腹が空いてきました。海石榴のリピーターの方々が口をそろえて言うのは、そのお料理のクオリティの高さ。泊まれる料亭と呼ばれる海石榴のお料理は、旬の素材を活かした季節ごとに変わる懐石料理。時間を気にせずにくつろぎながらお部屋でいただけます。
今回頂いたのは冬の献立「雪椿」。3カ月ごとにテーマが変わり、お料理はもちろん、器や盛り付けにもこだわった、目にも美しいお料理が運ばれてきます。
食前酒はその名も「雪うさぎ」。りんごのすりおろしを使った食前酒に、ラズベリーソースで彩られたかわいい赤い目が。雪囲いを表すお皿に盛られた先付、前菜には静岡県産を中心に手の込んだ8品が並びます。
椀物は「海老飛龍頭(ひりゅうず)の澄まし椀」。お椀を開けた途端にふわっと出汁の滋味深い香りが広がります。
向付は駿河湾、相模湾など近郊で取れた新鮮な魚が中心。この日は伊勢海老、ヒラマサ、アオリイカ、アカハタ、壱岐産のマグロ。自家製の造り醤油、イカ刺身醤油、煎り酒、お魚に合わせて3つのお味でいただきます。
強肴は、静岡牛の朴葉焼き。お箸で切れるほどの柔らかさ。牛肉のうまみが口いっぱいに広がります。
海石榴名物が、「スッポンのつみれ鍋」。弾力があってもちもちしたスッポンのつみれは、これまでに食べたことがない初めての食感。野趣あふれる力強い出汁の風味に、体の内側から元気がわいてくる気がします。実はスッポンは現料理長の得意料理というから納得です。
ひと部屋につきひとつの土鍋で炊いた、炊き立てのごはんとともに蓮根の赤出汁と香の物が並びます。お腹がいっぱいでも白いご飯の誘惑にひと口。後を引くふっくらとした甘みにおかわりをしたくなってしまうほど。
デザートは「みかんのババロア」「人参の和風サバラン」「津軽ぶどうシャーベット」。少量ずつでもひとつひとつとても手が込んでいます。
器と盛り付け、そしてお料理のバリエーションや出汁の繊細さまで、小さな部分にまでこだわったすべてがアート作品のようなお料理。新しいお料理が運ばれるたびに驚きの声をあげて仲居さんを質問攻めに。どんな質問にも真摯に答えていただけて、そんなちょっとした楽しい会話も夕食に花を添えました。ちなみに連泊する場合には、季節のテーマを踏襲しながらも、1泊目とは器も内容も全く異なるお料理を出してくれるそう。
72種のつばきを探しに七福神をめぐりながら散策
翌朝は少し早起きをして、つばきの花を探しに七福神めぐりができる敷地内散策へ。つばきの種類と七福神の場所が記された地図を片手に、急な坂を上っていきます。
渓流沿いに進むとさまざまな種類のつばきの木が。初夏には新緑が輝き、秋には美しい紅葉を堪能。どの季節に来ても心地よい景色が広がっているそうです。
出汁香るたっぷりの和朝食をお部屋でゆっくりと
散歩から戻るとお部屋で朝食。昨晩あんなに食べたのに、ごはんのいい香りに食欲がわいてきます。まずは胃腸を目覚めさせるという配慮から、北海道産のトマトジュース、緑茶とシソらっきょうを。
白まいたけとほうれんそうのお浸し、6種の口取り、アジの干物、タラの鍋仕立てなど、朝食もたっぷりと。旬の素材と出汁本来のうまみを活かしたやさしい味わいが体に染みます。
デザートはクリームチーズヨーグルトの湯河原みかんジュレかけ。
チェックアウトの12:00まで館内でコーヒーやショッピングを
食事の後はラウンジでコーヒーを。9:00~12:00までコーヒー・紅茶のサービスがあります。チェックアウトの12:00までたっぷり時間があってゆっくりできるのもうれしいところです。
楽しい滞在を周りにおすそ分けしたくて、お土産を買いに建物内のショップへ。オリジナルのつばきの刺繍タオルはもちろん、つばきにちなんだ商品がたくさんそろっています(ちりめん椿ポーチ 2,200円、ちりめん椿手提げ袋 大 5,940円、小 5,720円など)。
地元和菓子屋さんのお菓子も充実。お抹茶と一緒にいただいた、海石榴和三盆糖(1,650円)、お部屋でお茶と一緒に供される藤木川(6個入り1,400円、9個入り1,950円)などが並びます。
帰り際、つばきを眺めていると「このつばきは宿のオープン当時に植えた種が約40年の時を経て、花を咲かせるようになったんです」とスタッフの方が話をしてくれました。種から育ったつばきのように、長い年月をかけて育まれた「海石榴(つばき)」の行き届いたおもてなしは、この宿でしか味わうことのできない唯一無二のもの。文豪が愛した柔らかい湯河原の温泉で体の疲れを取り、目と舌で味わう料理を堪能し、スタッフの方々の笑顔とさりげないおもてなしに癒され、心も体も温かい気持ちで満たされて宿をあとにしました。
海石榴 つばき
- 住所
- 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上776
- アクセス
- 【電車・バス】JR「湯河原」駅より奥湯河原行きバスに乗り、「奥湯河原」下車、徒歩約2分
【車】JR「湯河原」駅より車で約10分 - 客室数
- 29室
- 駐車場
- 20台あり、無料(予約不要)
取材・文:山本美和 撮影:田辺エリ