近年、台風や線状降水帯による集中豪雨の発生回数が増加し、河川の氾濫や土砂の流出など、各地で甚大な被害をもたらしています。今や地震を含め、いつ、どこで自然災害に巻き込まれてもおかしくありません。日常生活はもちろんのこと、旅行に行く際も、いざというときのための備えが大切です。旅をより楽しむために、旅行前や旅行中にどのようなポイントを意識し、対策を立てればよいのか。国際災害レスキューナースとしても活躍する、防災の専門家・辻直美さんに聞きました。
旅行前に準備!いざというとき役立つ防災グッズ
旅行の準備をする際に、「防災」までは意識が向きにくいもの。旅のワクワク感が損なわれると感じる人もいるかもしれません。しかし、辻さんは「防災をもっと前向きに捉えてほしい」と話します。
「みなさん、日常生活の中で長時間、電車や飛行機に乗る前はトイレに行きますよね。外出時に水筒を持っていく人も多いでしょう。これらはすべて“備え”なんです。日常と防災をひと続きのものと考え、いま実践している”備え”をバージョンアップするといいでしょう」
旅行前にまず習慣づけたいのが、宿泊地や観光地周辺のハザードマップの確認。その地域でどのような災害が起き得るのかがわかるほか、避難場所も記載されています。
「災害の種類によって避難すべき場所が異なる場合があり、それもハザードマップを見ればわかります。地震や風水害など、災害の種類ごとにそれぞれ3カ所程度、目星をつけておきましょう。現在はコロナ禍で避難所の収容人数が従来の3分の1ほどに縮小されているため、複数の避難場所を選択肢として持っておいた方が安心です」
防災のための必携グッズとして、辻さんが普段から肌身離さず携帯しているのが、「方位磁石」「ソーラーライト」「防災笛」「(小型のハサミやナイフなどが付いた)マルチツール」。この4つを登山用具のカラビナなどでひとまとめにし、ベルトループなどに通して旅先でも持ち歩くようにすると、いざというときに役立ちます。「方位磁石」「ソーラーライト」「防災笛」は、100円ショップなどでも入手可能です(※マルチツールなどの工具類は飛行機の機内持ち込みはできません。出発前に預ける必要がありますのでご注意ください)。
これらに加えて辻さんは、被災時にあると便利なグッズを防水のポーチに入れた「防災ポーチ」も、日常的に携帯するよう勧めます。旅行の際はこのポーチをそのまま旅の荷物に加えるだけなので、準備も簡単です。
防災ポーチに入れるもの/チェックリスト
▢ モバイルバッテリーとUSB充電器
▢ 持病の薬10日分
▢ お薬手帳…スマートフォンが使えないときや自身の意識がないときなど、アプリは緊急時に見られない可能性があるので、
紙の手帳があると安心
▢ エマージェンシーシート…緊急時に雨風などから身を守る防寒用
▢ 45Lのゴミ袋…雨合羽や非常用トイレとして代用可能。数枚重ねてバッグなどに被せれば、簡易の貯水タンクにも
▢ 穴を開けたペットボトルのキャップ…ペットボトルに装着し、手洗いなどに使えるペットボトルシャワーに
▢ 飴などのお菓子…糖分補給のほか、気持ちを落ち着かせる効果も
モバイルバッテリーとUSB充電器
災害時にスマートフォンが使えないという事態は絶対に避けなければいけません。
「そのために、充電済みのモバイルバッテリーとUSB充電器は必携です」
エマージェンシーシート
登山でも使われるエマージェンシーシート(レスキューシートやサバイバルシートとも呼ばれます)は、緊急用の保温グッズとして重宝します。
「災害でライフラインが止まってしまった場合、特に寒い季節は屋内の避難所でもかなり冷え込みます。そんなときに体温の低下を防いでくれますし、軽くてかさばらないので必ずポーチに入れておいてほしいです」
穴を開けたペットボトルのキャップ
ペットボトルのキャップには、キリなどで事前に小さな穴をあけておきます。
「災害時は水がとても貴重。ペットボトルの水で手などを洗うとき、飲み口からそのまま出すと水をムダに使ってしまいます。これくらい小さな穴でもシャワー状に水が出て、少ない量で十分洗えます。穴の数は1つものが用途が広くておすすめです」
エマージェンシーシートや穴をあけたキャップは、平時であればほとんど出番はありません。「防災は大げさなくらいでちょうどいい。特に知らない土地で過ごすことになる旅行中は、いつも以上に備えを万全にしたいですね」
さらに、旅行予定期間に天候の悪化などが見込まれるときには、「旅行を延期・キャンセルするという決断も必要」と辻さん。その場合、キャンセル料がいつから、いくら発生するのかは宿泊施設により異なります。また、同じ宿泊施設でもプランや日程によってキャンセル料が変わることもあります。予約時にはキャンセルポリシーをしっかり確認しておきましょう。
旅先に到着したら、まずチェックしたい2つのこと
万全の準備を整えて、いざ旅行に出発! そして、宿泊施設に到着したら忘れずにチェックしたいことが2つあります。
1つ目は、非常口の場所。部屋のドアなどに表示されている館内の見取り図で確認する。そして、実際に非常口まで歩いてみるのがポイントです。
「非常口が複数ある宿の場合は、どの非常口から逃げるのかをあらかじめ決めておきましょう。そうしないと、いざという場面でどちらの方向に行くべきか迷ってしまい、避難が遅れることがあります」
2つ目は、現地の天気予報。テレビやスマートフォンのアプリなどを使い、少なくとも朝・夕の2回は確認しましょう。悪天候が予想される日は宿からの外出や遠出を控えるなど、スケジュールを柔軟に調整することも大切です。
「現地の天候や防災に関する情報について、宿泊先のスタッフなど地元の人に尋ねてみるのもおすすめです。『あの山に雲がかかると雨が降る』『この道は冠水しやすいので注意』といった、地元の人ならではの細かい情報を聞けることがあります。そうした会話や交流も、旅の醍醐味として楽しんでほしいですね」
旅行中に災害が発生!取るべき行動は?
いつ・どこで起きるかわからない災害。宿泊施設に滞在中や、観光地を訪れているときに遭遇する可能性もあります。ここで気を付けたいのは、災害発生時に「たぶん大丈夫だろう」「大したことないはず」と根拠なく思い込む「正常性バイアス」が、旅行時にはより強く働きやすいという点。
「楽しい旅行の時間をじゃまされたくないと考えて、避難することをためらいがち。しかし、旅行中はいつも以上に早め早めの判断と行動を心がけることが大切です」
屋外・屋内を問わず、災害発生時にはまず身の安全を確保することが最優先。宿泊施設内で地震が起きた場合は、自分の頭と首を守るために机の下にもぐる、クッションで頭を覆うなどの対処をしましょう。屋外であれば、頭上からの落下物に注意し、持ち物などで頭部の保護を。揺れている最中はむやみに移動せず、揺れがいったんおさまってから避難を始めます。
宿泊施設内では、宿の従業員の指示に従って避難しましょう。屋外で地震に遭った場合は、水辺から離れる、高い場所に逃げる、一時的な避難所に向かうなど、状況をみて行動する必要があります。ここでも、自分がいる場所のおおよその地形や、海・河川の方向などを事前に把握しておくことが大切です。
災害時に開設される避難所は、旅行者でも利用可能。ただし、基本的には地元住民が優先されることも認識しておきたいポイントです。そもそも避難所は、避難してきた人たちが自ら協力して運営するものなので、サービスを受ける「旅行客」という意識のまま避難所を利用するのはNG。辻さんは、「知らない土地にいると、つい自分のことで頭がいっぱいになってしまうことも。旅行者として訪れている立場だからこそ、避難所では進んで助け合う姿勢を大切にしたい」と話します。
「先述したように、私は1つのコンセントにつないで複数のスマホに差せるUSB充電器を持ち歩いていますが、これがあると避難所では限られた電源を分け合うことができます。災害時は緊張やストレスを感じやすい状況です。だからこそ、他者を気遣う行動を意識すれば、やがてはそれが周りからの助けとなって自分自身に返ってくるはずです」
スマートフォンは被災時の“命綱”
情報収集や連絡のツールとして日常生活でも欠かせないスマートフォン。特に災害が起きたときには、命綱とも言える重要なアイテムです。普段からの備えとして、緊急速報や緊急速報メールの通知設定は「ON」にしておきましょう。
大規模な災害が起きた際には、被災地域向けに、誰でも使えるWi-Fi「00000JAPAN(ファイブゼロジャパン)」が無料開放されます。例として、2016年の熊本地震では九州全域で「00000JAPAN」の利用が可能になりました。
一方で、災害時は電話がつながりにくくなることも。ショートメッセージ、LINE、メッセージアプリなど複数の連絡手段を、一緒に旅行する同行者や自宅に残る家族と共有しておくことも大切です。また、災害時に陥りやすいのが、つながらない電話を何度もかけ続けてバッテリーを浪費し、焦りや不安をさらに募らせてしまう悪循環です。これを避けるためにも、例えば30分おきに連絡を試みるなど、あらかじめ同行者や家族でルールを決めておくと、落ち着いて行動できます。
もう1つ、非常時の連絡手段として覚えておきたいのが、災害用伝言ダイヤル「171」です。旅行先で大規模な災害に遭遇したときに、はぐれた同行者や、自宅に残る家族と連絡をとる際などに役立ちます。毎月1日と15日には体験利用ができるため、普段から家族や友人同士で練習しておくことが重要だと、辻さんは言います。
「30秒の録音時間内で必要な情報をきちんと伝えるには、練習が欠かせません。また、伝言を再生するには、相手が録音時に登録した電話番号を入力する必要がありますが、もし自分自身も被災していると、スマホのアドレス帳を開けず、電話番号を確認できない恐れがあります。さまざまなケースを想定し、スムーズに使えるよう話し合っておきましょう」
インストールしておきたいおすすめ防災アプリ
上の写真のように、災害時に備えてさまざまなアプリをインストールしている辻さん。そこで、おすすめのアプリを教えてもらいました。どれも機能が豊富だからこそ、非常時に初めて使おうとすると戸惑うことが考えられます。また、人によって使い勝手やデザインの好みなどで、合う・合わないもあります。日頃から試したりしながら、自分にとって使い勝手のよいアプリを選びましょう。
■Twitter
災害時のいち早い情報収集や、家族・友人の安否確認にも使えます。「テレビやラジオよりも情報が早く、ライフラインや救援物資の情報も迅速に入手することができます。一方で、災害に便乗したデマも拡散されやすいため、普段から利用して情報の見方に慣れておき、内容を精査する目を磨きましょう」(辻さん)。
【フォローしておきたいTwitterアカウント】
・首相官邸(災害・危機管理情報)(@Kantei_Saigai)
・総務省消防庁(@FDMA_JAPAN)
・防衛省・自衛隊(@ModJapan_jp)
・気象庁防災情報(@JMA_bousai)
・警察庁(@NPA_KOHO)
・NHKニュース(@nhk_news)
・居住する自治体のアカウント
・旅行先の自治体のアカウント
また、Twitterのもう1つの活用方法が、旅行先の地名と「水害」「台風」などの単語を組み合わせてハッシュタグ検索をすること。過去にその近辺でどのような災害があったのかを把握するのに役立ちます。
■お天気アプリ「ウェザーニュース」
気象専門会社が運営する予報精度の高い天気アプリ。天気予報のほかにも、雨雲レーダー、警報、地震、台風などの気象情報を確認できます。無料で使えますが、有料会員になると受け取れる情報の種類が大幅に増え、特に雨雲レーダーは27時間先までチェック可能です。
■「Yahoo!防災速報」
豪雨予報や津波など、さまざまな災害情報をプッシュ通知で受け取れるアプリ。国内の最大3地点を登録できるので、旅行先を登録しておくのもおすすめ。ハザードマップや避難場所リストも確認できます。
■「特務機関NERV防災」
地震、津波、噴火、特別警報の速報や、土砂災害、洪水害、浸水害の危険度通知などの防災気象情報を知らせてくれるアプリ。気象庁本庁舎、および大阪管区気象台内にある「気象業務支援センター」と接続した専用線から、防災気象情報をダイレクトに受け取り配信するため、情報の伝達スピードが速く、信頼性が高いのが特長。
■防災・避難誘導アプリ「みたチョ」
AR技術を活用した避難所案内アプリ。災害時に起動すれば、現在地から一番近い避難所まで、スマホがナビとなって誘導してくれます。GPSを利用した誘導機能のため、災害時に通信環境が途絶した状態でも使用可能。土地勘のない旅行先でも迷うことなく避難ができます。
防災をポジティブに捉えて、さらに楽しい旅に!
防災に取り組む上で大切なこととして、辻さんは「決断力」「想像力」「アレンジ力」の3つを挙げます。これらはすべて災害時だけでなく、日常生活でも役立つ力。つまり、防災の知識やスキルを学んで3つの力を磨くことは、日々の生活のクオリティを高めることにもつながるのです。
「防災によって災害リスクをゼロにすることはできなくても、被害を減らすことはできます。その結果、より早く日常に戻ることが可能になります。そう考えると、防災はとてもポジティブで工夫のしがいがあるもの。ぜひ、楽しみながら極めてほしいですね」
より楽しく、安心して旅を満喫するためにも、今回紹介した情報を参考にして、できることから備えを充実させてみませんか。
辻 直美さん
阪神・淡路大震災で実家が全壊したのを機に災害医療に目覚め、JMTDR(国際緊急援助隊医療チーム)にて救命救急災害レスキューナースとして活動。看護師歴30年、災害レスキューナース歴26年の中で、被災地派遣は国内29件、海外2件。過酷な状況下での救命活動、被災者の心のケアに従事する。
また、一般社団法人育母塾の代表理事として、子育てに悩む母親たちに対して全国で精力的に講座を開催するほか、保育・教育・医療関係者の研修、大学や専門学校などで講師も務める。
著書に『どんなに泣いている子でも3秒で泣き止み3分で寝る まぁるい抱っこ』(講談社)、『レスキューナースが教える プチプラ防災』(扶桑社)、『レスキューナースが教える 新型コロナ×防災マニュアル』(扶桑社)、『防災クエスト~家族みんなで防災ミッションを攻略しよう!~』(小学館)、『保存版 防災ハンドメイド 100均グッズで作れちゃう!』(KADOKAWA)などがある。
取材・文/伊藤 綾