北アルプスの名峰に囲まれた山間の温泉地、岐阜県・奥飛騨温泉郷。そこには小規模ながら宿泊客から支持を得る、「花」をテーマにした温泉宿「奥飛騨温泉郷 花ごころ万喜(ばんき)」があります。名物女将の癒しのおもてなしとは? クチコミ高評価の理由を探ります。
素朴で落ち着く空間を彩る「花」の数々
「花ごころ万喜」があるのは、岐阜県にある奥飛騨温泉郷のひとつ、新平湯温泉の中心地。全6室の小さな温泉宿です。
奥飛騨温泉郷は、首都圏からなら車もしくはバスの乗り継ぎで約5時間、名古屋からは車で約3時間30分、電車とバスの乗り継ぎで約4時間の距離。
館内に入ると、木を基調とした和風のロビーに、レトロモダンな調度品がしつらえてあって落ち着いた雰囲気が漂います。
季節の生花と「筆文字詩」に描かれる花がお出迎え
ロビーの家具類は地元のものを使用。飛騨高山といえば木工家具の生産地としても有名です。
チェックイン時には、宿泊者全員分の誕生日を宿の方に告げておきます。のちにどんなおもてなしが待っているのかは、お楽しみ。
宿に到着して差し出されたウエルカムドリンク。一見、普通のコーヒーのようですが、実はちょっと珍しい「たんぽぽコーヒー」なのです。
たんぽぽの根を焙煎しているので、カフェインレス。甘味は強めですが、ほろ苦さはコーヒーそのものです。
たんぽぽを使ったコーヒーに加え、館内はところどころ花で飾られています。彩りがありながら、野草的なものが多く、素朴な印象。「花ごころ万喜」はその名の通り、「花」をテーマにしている宿なのです。
飾られる花々は、近くで採れるものが中心で、季節の情緒が館内にもあふれます。
そして、さらに目を引くのは、達筆な書でしたためられた色紙やはがきなど、いわゆる「筆文字詩」の数々。花にまつわる含蓄のある言葉から、思わずクスッとしてしまうユーモアのあるものまで、館内のあちこちに見られます。
花と筆文字詩で、訪れる人を和ませてくれる「花ごころ万喜」。どのような思いで館内を飾られているのでしょうか。その秘密を、沖中ひろみ女将に伺いました。
「心の中に花一輪」名物女将が考えた花のおもてなし
「田舎ですし、建物が立派な大規模ホテルとは比べられない。自分の田舎のふるさとに帰って、ほっとするようなくつろぎを提供できればと思っています」と語るのは、宿の名物ともいえる存在、ひろみ女将。
館内を飾る花の選定や手入れ、筆文字詩の制作と挿絵の作画を行うひろみ女将。あまりの達筆さに経歴をお伺いしたところ、「学生時代に書道部にいたことがある程度で、段位を取得したり、芸術に関して学術的に学んだりすることは一切してきませんでした」と言います。
「こちらに嫁いでから、どうすればお客様に気に入っていただけるか必死に考えてやってきただけです」と謙遜。
ちょうど嫁いできた頃に施設名を「花ごころ万喜」へ改称したばかりだったそうで、施設の名を背負い「花」をフックにおもてなしを追及した結果、館内を生花で飾り、絵と文字で真心を伝える筆さばきを磨いてきたのだと語ります。
ひろみ女将がしたためるのは、花言葉を始め花にまつわる詩や、その日訪れるお客様に合わせた言葉など内容は日々様々。「心の中に花一輪」という言葉を大切に、花の香りや季節を書に込めています。
10年ほど前のこと、プロポーズを決意した青年から、「この敷紙に花言葉と一緒に気の利いたプロポーズの言葉を書いてほしい」と依頼を受けたことがあるそうで、それを目にした女性はいたく感動しプロポーズは成功。
「その後、毎年のようにお越しになって、3年前からはお子さん連れでお越しになられるようになりました」とひろみ女将。花を生け、書をしたためてきた中で、一番感動したエピソードのひとつだそうです。
訪れる一人ひとりに贈る、花と心温まるメッセージ
各客室には、奥飛騨や館内の庭園に見られる花の名が付けられています。
客室は全て、落ち着きのある和室。存在感のある生花が迎えてくれます。
もちろん、ひろみ女将の書も。「山芍薬(やましゃくやく)」の部屋の掛け軸には、丸みを帯びた純白の花を付ける山芍薬を表現した言葉がつづられていました。
テーブルに置かれていたマッチ箱にも女将の書が。しかも、宿泊客の個人名と、泊まった部屋名、日付も記されています。
驚いたのがこちら。お手洗いに入って壁に向き合うと、「そんなに頑張らなくてもいいよ…」というメッセージの書かれた葉書が掛かっていました。訪れる人への女将の心遣いあふれる言葉が、日々忙しく張り詰めた気持ちをそっとほぐすよう。
マッチ箱と葉書は、台紙から外して持ち帰りも可能です。
売店にも女将の書がたくさん
ロビーの奥には売店もあり、客室で出会ったもの以外の書も購入が可能。自分の好きな言葉をリクエストして葉書に書いてもらうこともできます(1枚350円、台紙とセットの場合1,000円)。
売店には、マッチ箱に描いた似顔絵コレクションも。著名人などよく知る顔が見つけられるかも。近くに寄って見ると、完成度の高さに驚かされることでしょう。
飛騨牛を使った豪華夕食に添える、20年以上女将が紡ぐ花言葉
夕食も、宿が人気を集める理由のひとつ。飛騨牛A5ランクの上質な肉を使ったしゃぶしゃぶをメインに、鱒(ます)塩焼きや、旬の食材を使った料理がずらりと並びます。
奥飛騨や信州の名物・五平餅はもちろん、ぜんまいの煮しめや、ころ芋の煮っころがしなど女将手作りの田舎料理も魅力。この日は、ふきのとうの天ぷらもありました。
焼きトマトのマリネは女将のオリジナル料理。マリネといってもツンとせず、焼きトマトの凝縮したうま味に優しい酸味がマッチして、サラダ感覚でいただけます。
そして忘れてはならないのは、献立とは別に用意されているひろみ女将の書。女将が20年以上続けている名物とも呼べるサービスです。
書かれているのは、宿泊客の誕生日の「誕生花」と、その花言葉やメッセージ。チェックイン時に誕生日を伝えたのは、このためでした。
366日すべての誕生日にある誕生花とその花言葉を書いてもらえる、まさに一人ひとりに向けたおもてなし。女将の想いがこもった文字でつづられた示唆に富んだメッセージに、感動の声が多く寄せられています。
地元を愛する若旦那が選ぶ日本酒もおすすめ
日本酒の取り揃えも豊富で、お酒好きな方には、地元の地酒の飲み比べも好評です。
日本酒を仕入れているのは、ひろみ女将のご子息である大志さん。日本酒のソムリエと言われる利酒師の資格を持っていて、おいしい料理や好みに合わせた的確な提案をしてくれます。
しばらく東京で仕事をしていた大志さんですが、奥飛騨温泉郷への強い思いをもってUターン。日本酒だけでなく、幅広い分野で宿の運営を支える若旦那です。
田舎風情たっぷりの貸切露天風呂で奥飛騨の温泉を満喫
花と書にあふれる館内ですが、もちろん奥飛騨に湧く温泉も魅力。庭園を眺める本館大浴場もありますが、ぜひ体験したいのが貸切露天風呂。本館から1分ほどの離れにあり、元は農家の蔵として使われていた建物からは、田舎情緒をたっぷり感じられます。
湯船は2個あり、16:00~18:30、20:30~23:00の時間帯で1組40分、チェックイン時に入浴時間を決めます(2食付き宿泊40分無料、素泊まり・朝食付き宿泊40分まで1,000円・税抜)。
こちらは、信楽焼でつくられたまん丸な「あざみ」の湯船。田舎の蔵で、肌に優しい単純泉を源泉かけ流しで楽しめる風情は、この宿ならではのものです。
湯上りには、蔵のつくりを生かした室内で一休み。大きな和ろうそくや木のぬくもりに、ほっとする時間を過ごせます。
素朴な地元の家庭料理が振舞われる朝食
朝には、なめたけ汁や温泉玉子など、素朴だけど食の進む朝食で、お腹いっぱいに!
この地方の名物、朴葉味噌は、家庭によって味付けが違う郷土料理。ここだけの味という贅沢を堪能しましょう。
味あげ(味付け揚げ)も飛騨高山の名物。炙りながら香ばしくいただきます。
花をテーマにした宿といっても、きらびやかに咲き誇るのではなく、ひろみ女将の慎ましさやおもてなしがあふれるような「奥飛騨温泉郷 花ごころ万喜(ばんき)」。個性的ながらも、田舎の家庭に癒されに行くような風情ある宿でした。
奥飛騨温泉郷 花ごころ万喜(ばんき)
- 住所
- 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根781
- アクセス
- 【車】長野自動車道「松本」ICから安房峠道路を経由し約1時間/東海北陸自動車道「飛騨清見」ICから高山清見道路を経由し約1時間 など
【電車・バス】濃飛バス「新平湯温泉[禅通寺前]」バス停下車すぐ
- 客室数
- 6
- 駐車場
- あり、10台
写真・取材・文/久保田耕司