偶然の重なりと飽くなき情熱で誕生した、唯一無二の豪華な観光列車があります。黄金色のまばゆい車体に唐草模様をあしらったJR九州の「或る列車」。
ひときわ目立つ外観ですが、車内に一歩踏み入れれば組子細工やステンドグラスに目を奪われ、ここが列車だということを忘れそうな空間。出来立てをいただけるコース料理は、食材だけでなく器選びにもこだわり、一品ごとに場を華やかに彩ります。乗車することが旅の目的となる、とっておきの時間をご紹介します。
目次
九州を網羅する、個性的なD&S列車
特別なデザイン(Design)と物語(Story)のある列車という意味を込めて、JR九州では観光列車のことを「デザイン&ストーリー列車」と呼んでいます。風光明媚な車窓を楽しむだけでなく、列車のデザインや、車内グルメなど通常の列車では体験できないひとときを楽しめる観光列車。
例えば、内装に木材を多く用いてグリーンを基調とした「ゆふいんの森」は山間のリゾートを思わせる空間。南蛮文化が伝わった天草へ向かう「A列車で行こう」にはジャズの流れるバーを設けているなど、走行する区間ならではの趣向が凝らされています。
「或る列車」はD&S列車の10番目に誕生した列車です。他のD&S列車とは異なり、地域ではなく車両自体にドラマと言えるストーリーが秘められていることも重要なポイント。「或る列車」にはどんなストーリーが込められているのか、まずはその誕生秘話からご紹介していきます。
鉄道ファンがつないだ、幻の列車
文明開化もひと段落した明治39(1906)年、当時の九州鉄道がアメリカのブリル社に豪華客車を発注します。しかし、国有化の影響を受け、客車はお披露目されることなく放置されることに。鉄道ファンの間では、特別な意味合いを込めて「或る列車」と呼ばれるようになります。そして、幸運にもその客車を目の当たりにできたのが、のちに世界的な鉄道模型の神様と呼ばれる原信太郎(はら のぶたろう)さんです。
少年だった原さんは詳細なスケッチを残しており、60年後に模型を完成させます。その模型を今度はJR九州の専務だった青柳俊彦(あおやぎ としひこ)さんが見つけ、「或る列車」の復活を決意。「ななつ星 in 九州」、「A列車で行こう」など、数々のJR九州の列車をデザインしてきた水戸岡鋭治(みとおか えいじ)さんが指揮をとり、壮大なプロジェクトに挑むことになるのです。
原さんのスケッチと模型を参考にしながら試行錯誤の末、2015年にとうとう「或る列車」はよみがえります。100年の月日を超えて運行されることになった「或る列車」の車内には、原さんが手掛けた或る列車の模型やSL模型も展示されています。
県外からも乗車しやすいルート
2015年から大分、長崎、福岡を走っていた「或る列車」ですが、2021年11月13日からはルートが変わり、博多駅から由布院駅までを土日を中心に1日1往復運行※しています。
博多駅発は10:58頃で由布院駅に到着するのが14:07頃。多くの旅館やホテルがチェックインを開始するのが15:00なので宿泊先に向かうにもちょうどよい時間帯です。一方の博多駅に向かう列車は由布院駅を15:00頃に発車、博多駅には18:03頃の到着です。約3時間の乗車で「或る列車」ならではの優雅なひとときを満喫できます。
※運行日の詳細は公式サイトの運行カレンダーでご確認ください。
今回は由布院駅発で博多駅に向かいます。由布院駅のホームには足湯があり、温泉に浸かりながら電車の様子をのんびり眺めるといった珍しい体験も可能。「特急ゆふ」が目の前を走る様子を眺めながら、出発時間までくつろぎのひとときを楽しめます。
クラシカルな空間美に圧倒される1号車
2両編成の「或る列車」はコンパクトな姿がかわいらしく、乗車できる人数が少ない点も特別感を倍増させます。「或る列車」専用の制服に身を包んだ客室乗務員に誘われ、車内へ。丁寧なお出迎えに気持ちも高まります。
1号車は、座席に仕切りがなく、左右どちらの窓からも景色を眺められるのが特徴。テーブルや壁には明るい色味のメープル材を採用し、カーペットと座席どちらも唐草模様に彩られた空間は統一感があります。
寺院建築や書院造で見かける格天井が広がり、和のエッセンスも感じられます。列車の装飾としては珍しい天井は客室乗務員の間でも人気のよう。「中心のマークは四葉のクローバーをあしらっていますが、実は三つ葉や七つ葉が隠れているんですよ。ぜひ見つけてみてください」と、乗務員さんが教えてくれました。
1号車には2名テーブルのほか、4名テーブルが設けられているので、グループで乗車する際は1号車での予約がおすすめです。
伝統工芸に囲まれたシックな装いの2号車
開放的な1号車に対して2号車は、プライベート感のあるコンパートメント(個室)タイプ。使われている木材も落ち着いた色あいのウォールナット材なので、車両全体から重厚な雰囲気が漂います。
個室の多くが2名用(1カ所のみ1名用)で、通路と座席を仕切るのは組子細工の障子。組子がもたらす隙間のおかげで座っていても閉塞感がなく、個室ならではのプライベート感も保たれています。
組子細工は福岡県大川にある、全国でも数少ない組子専門の工房「木下木芸」が制作したもの。異なる模様を多用することで空間に変化が生まれ、時と共に移ろう光の陰影が旅情をかき立てます。
列車は振動で揺れるのはもちろん、日光や送風の影響もうける環境。数ミリ幅の薄い板を釘も使わずに組み合わせる組子の技法にとっては致命的です。しかし、状況に適した木材を選び、建具と塗装の職人も創意工夫を凝らしたおかげで、まさに芸術作品と呼べる珠玉の内装に。1号車から2号車につながる通路では見事な組子細工が両面に施されています。
食べる前から気分が上がるドリンク&カトラリー
きらびやかな装飾についつい目を奪われますが、車内でいただくコース料理も「或る列車」のこだわりが存分に発揮されています。料理を監修する成澤由浩(なりさわ よしひろ)さんは、料理界のアカデミー賞と呼ばれる「ワールド50ベストレストラン」に2009年から14年間連続で選出されている世界的なシェフです。
ウェルカムドリンクでいただく宮崎県都農ワインの赤のスパークリングワインは軽やかな口あたりで、ほのかな甘さが食前酒としてもぴったり。ノンアルコールには、佐賀県田島柑橘園の完熟みかんジュースが用意されています
ドリンクメニューには九州産のみを採用。白ワインには熊本ワイン、日本酒には福岡県の高橋商店、梅酒には大分県おおやま夢工房が並び、多様なお酒を醸造できる九州の豊かな土壌を垣間見たよう。多くの蔵元を有する焼酎王国・九州らしく焼酎には鹿児島県の八千代伝酒造と宮崎県の黒木本店の2種が用意されています。ジュース、緑茶、紅茶、コーヒー、炭酸水、お水もすべて九州産。全種類がフリードリンクなので、料理や気分に合わせて選べるのも魅力です。
季節ごとに変わるコース料理は、前菜、お魚料理、お肉料理、スイーツ、ミニスイーツの計5品。車内には「BAR ARU」と名付けられたキッチンスペースがあり、1号車の座席からは一品ずつ仕上げていく調理風景も見られます。厳選した九州産の食材を季節に合わせたテーマで味わえるぜいたく。こだわりのおもてなしに、この後の食事への期待が高まります。
テーブルには華やかな饗宴の始まりを告げるかのように、水戸岡さんが描いた色鮮やかなランチョンマット。そして、その上には天然木のカトラリーも。「自然」と「上質さ」を兼ね備えたデザインを目指し、大分県由布市の「アトリエときデザイン研究所」に依頼したものだそう。木ならではのやさしい口あたりや握りやすさを体感できる逸品です。
九州の特産品を一挙に味わえるコース料理
乗車した日は12月上旬で、クリスマスリースをイメージした見た目も楽しい前菜が登場。中央には、国際線ファーストクラスの機内食や首脳会議にも採用された宮崎県のジャパンキャビアがつやつやと輝き、存在感を発揮。そのまわりを長崎県のアオリイカ、トマト、キュウリが彩りを添え、食感の違いも楽しい一品。カブの葉入りマヨネーズやケッパー、それにピンクペッパーが味にアクセントを付けています。
※列車内で提供のコース料理の内容は季節ごとに内容が変わります。
続くお魚料理が、「長崎県産トラフグと冬野菜の焼きリゾット、フグのお出汁とともに」。透き通るような透明な器は、長崎ガラスの伝統を守り続ける「瑠璃庵(るりあん)」による作品で、一つひとつがハンドメイド。食べる直前にお出汁が注がれ、かぐわしい香りが漂います。湯引きされたフグはぷりっとした弾力のある噛み応え。あえてお米に焦げ目を付けたことで香ばしさが増し、最後の一滴、一粒まで残したくない一皿です。
料理をサーブしていただく際に食材や食器についての説明があり、そこには作り手のこだわりポイントも。完成品に至るストーリーを知ることで、食事の楽しみが広がります。
コースのメインを飾る「長崎県産ばってん鶏と伊勢エビのクリーム煮込み」は、ジューシーなばってん鶏とホワイトクリームの相性が抜群。お肉はやわらかく、噛めば噛むほどに旨みが広がります。そこに食べ応えのある伊勢エビが加わることで豪華さもひとしお。ほのかに甘いミルクパンと一緒にいただくことで、よりコクのある味わいを楽しめます。
カクテルグラスでいただく「福岡県産いちごミルクのパフェ、大分県産赤いバラの香り」は、エディブルフラワー(食べられるお花)の花びらが散りばめられ、まるで芸術品のよう。ミルクとイチゴのアイスが口の中をさっぱりとリフレッシュさせ、最後にはプリンが底の方に隠されているという満足感たっぷりなメニューです。
本来ならスイーツでコース料理は終了しますが、デビュー当時よりスイーツをメインに提供していた「或る列車」らしく、ミニスイーツが最後に控えています。みかん1個分のパウダーを使った「みかんの大福餅」はさっぱり味でありながらクリームがたっぷり。ガナッシュに抹茶クリームをまとった「クリスマスツリー」は抹茶とチョコの風味が香る一品で、ブリュレをサンドした「ホワイトクリスマスケーキ」はふわふわ食感で甘さもしっとりと、一足早くクリスマス気分を味わえました。
食事開始が15時半と、ランチとディナーのちょうど中間の時間帯で料理をいただきましたが、一皿一皿が少量なので、どれもおいしく完食できました。ボリュームに不安のある方は、昼食を少なめにしておくとより安心です。
おいしい状態で料理を味わってほしいという想いから、こちらでは乗客の様子に合わせて料理が作られていきます。席を離れている間にお料理が運ばれる心配もなく、お料理がテーブル上にどんどん溜まっていくこともないのは心地よいもの。客室乗務員がタイミングを計り、調理スタッフが応えていくという連携プレーが、「或る列車」の掲げる極上のおもてなしを叶えてくれます。
里山風景にほっこりしながら束の間の駅散策も
久大(きゅうだい)本線を走る「或る列車」では、道すがら九州最大の一級河川である筑後川や、長さ30kmにもわたる耳納(みのう)連山など、のどかな風景が車窓から望めます。
途中、筑後吉井駅で10分ほど停車し、改めて「或る列車」の外観を見る機会も。歩道橋の上から列車を撮影することもできます。高い位置からだと駅舎やホームを含めた写真が撮れるので、より雰囲気が伝わる一枚に。
車体には星とハートのロゴがふんだんに飾られていますが、これは大勢の人たちが一度に記念撮影できるようにと水戸岡さんが配慮したもの。星には「或」が、ハートにはSWEET TRAINの頭文字「S」と「T」がモチーフになっています。
車内販売でおみやげを吟味
車内販売では、乗客のみが手に入れられる「或る列車」限定の商品も見逃せません。グラスやコーヒースプーン、ミニスイーツ皿などコース料理で使用した食器も販売しているので、使い心地を確かめた上で購入できます。オリジナルボールペンにはロゴマークがさり気なくデザインされ、日常使いにもぴったり。車体とロゴマークのピンバッジもかわいらしく、「或る列車」を象徴する金と黒の2色で彩られています。
グッズの見本は1号車に展示されているので、気になる商品があればぜひチェックしてみてください。同じ場所に記念乗車証のスタンプも置かれています。
「或る列車」の予約方法
「或る列車」の予約は、公式サイトでは5日前まで受け付けており、座席も指定できます。コース料理と座席のセット商品なので、座席のみの利用はできません。午前便と午後便どちらも料理のメニューは同じです。お子さまは10歳以上から乗車可能で、お料理は大人と同じ内容になります。
2024年3月以降より出発時間が変わる可能性もあるので、最新情報は「或る列車」公式サイトをご確認ください。
ゆふいんの森
由布院への旅行であれば、同じく博多~由布院間を走るD&S列車の「ゆふいんの森」に乗車する方法もあります。行きは「或る列車」を楽しみ、帰りは「ゆふいんの森」に乗車する贅沢な移動を楽しむことも。「ゆふいんの森」は1日4~6便の運行があります。
乗車することでご利益も得られそうな「或る列車」
デザインを手掛けた水戸岡さんは「或る列車」の外観から内装までありとあらゆる部分に携わりました。特に正面の唐草模様は図面を引き、それを頼りに鉄板を切り取って、金の粉を吹き付けるといった前時代的な方法を採用したため、より手間暇をかけた部分です。その唐草模様は古くから日本では縁起が良く、長寿の意味もあります。幻と呼ばれながらも時代を超えてよみがえった列車の顔を飾るのに、これ以上ふさわしい模様はありません。
或る列車 運行情報
- 運行日
- 2023年12月~2024年2月の土曜・日曜(運休日あり)
2024年3月の土曜・日曜・月曜(運休日あり) - 運行時間
- [午前便]博多駅 10:58頃発 → 由布院駅 14:07頃着
[午後便]由布院駅 15:00頃発 → 博多駅 18:03頃着
- チケット
- 出発日5日前までに要予約
お問い合わせ窓口:092-474-2217(9:30~17:00/火曜・年末年始休) - WEB予約
- JR九州 WEB予約
- 料金
- 35,000円~47,000円/1人(座席や参加人数により異なる)
※コース料理、ドリンク代込(座席のみの利用は不可)
※10歳未満は申し込み不可
取材・写真・文/浅井みら野
取材協力/九州旅客鉄道株式会社