提供:ことりっぷ
京都・北白川の閑静な住宅地にたたずむ「駒井家住宅」。全国で1600軒を手がけた建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ率いるヴォーリズ建築事務所により設計され、京都大学の理学部教授を務めた遺伝学者・駒井卓博士と静江夫人が暮らした邸宅です。和のエッセンスと調和させながら、美しさと機能性を兼ね備え、暮らす人の心身が健やかであるように、という思いが込められています。「ここで暮らしてみたい」そんな夢が広がる素敵な洋館を訪ねてみませんか。
アカデミックな北白川の住宅街へ
1927(昭和2)年築。白川疏水沿いの小道から駒井家住宅の敷地内へ
「駒井家住宅」の公開日は、夏と冬の長期休館期間をのぞく毎週金曜日と土曜日。公式webサイトの予約専用フォームで事前に予約を済ませてから出かけましょう。
京阪電車の終点・出町柳駅から「えいでん」の愛称で親しまれる叡山電車に乗って2つ目、「茶山・京都芸術大学」駅から徒歩7分ほど。南には京都大学、東には京都芸術大学のキャンパスが広がる閑静な住宅街に「駒井家住宅」はあります。
ヴォーリズと駒井卓博士・静江夫人のこと
駒井家住宅のメインフロアである居間とサンルーム
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年、アメリカ生まれ。敬虔なクリスチャンであった両親の影響を受けて育ち、24歳のときに英語教師として来日。滋賀県の近江八幡を拠点とし、キリスト教の伝道活動をはじめ、学校や病院の設立、起業、もともと志していた建築の分野でも才能を発揮しました。
そんなヴォーリズに住まいの設計を依頼したのが、遺伝学者であり、京都大学理学部の教授を務めた駒井卓博士と静江夫人。静江夫人とヴォーリズの奥様である満喜子夫人が神戸女学院の同窓生で、ともにクリスチャンであった縁からでした。
サンルーム。ドアがあって庭に直接出入りできる
サンルームには、スパニッシュ建築の特徴のひとつである三連のアーチ窓が見られます。居間の東側、張り出し窓の幅に合わせて作られたソファも素敵。庭の緑を絵画のように映す窓からやわらかな光が差し込んで、しばしまどろみたくなります。
ソファの下には収納できるスペースが設けられている 照明、蓄音機、ドイツ製のピアノなど夫妻が使っていた当時のものが残る。写真右下は玄関横のミニ収納
天井の照明は、京都らしい千鳥のモチーフがあしらわれています。光を受けてキラキラ輝くドアノブはクリスタル。無色と紫色の2色のドアノブが見られるのは、キッチンのようなプライベート空間には無色、パブリックな空間には紫色と使い分けていたのだとか。
クリスタルのドアノブ。こちらはプライベート空間用の無色 紫色のドアノブはパブリックな空間用 冬は中央の畳をめくって掘りごたつが使えるようになっている
外からはどこからどう見ても洋館に見えるのですが、サンルームの隣には和室もあります。建物の外側は洋風の窓で、内側に和風の窓と障子。玄関側から引き戸を開けると内側が襖に。二重の造りになっているのです。
ゆるやかな曲線を描く階段
昇り降りしやすいようにという心づかいは手すりのデザインにも見られる
玄関横の階段は、いつも着物を着ていた夫人が昇り降りしやすいようにと段差を抑え、足場を広めにとったゆるやかな造り。西側にあるため、夕方になるとステンドグラスを通す光が金色に輝き、飴色の階段を照らします。
ステンドグラスの色はヴォーリズが好んだ色なのだとか
卓博士の書斎がある2階へ
卓博士の書斎。春は窓越しに疏水の桜が望める
階段を上がって奥の疏水側の部屋は、卓博士の書斎。本棚には、遺伝学の専門書やキリスト教関連書などさまざまな本が並んでいます。階段すぐの部屋は、客室。卓博士が旅先で買い求めた置物や研究道具が展示されています。主寝室につづくヴェランダからは、京都のシンボルである大文字山が望めます。
かつての客室は展示ルームに 写真左:昇降式の屋根裏の収納庫はこちらの歯車で操作 右:2階の小窓。アーチ型がやさしい雰囲気 2階のヴェランダ。建築後数年で窓が取り付けられて室内になった
四季折々の色彩に富むお庭へ
赤い桟瓦と煙突が見られる。テラスには藤棚も
お庭には、夫妻が暮らしていた当時、水を張っていたであろう池の跡も残ります。庭の端には、研究用に設けた温室も。卓博士がアメリカ留学時に『種の起源』の著者・ダーウィン邸を訪問し、そこで目にした温室に憧れを抱き、自邸にも建てたといいます。
外壁の質感や細部の意匠も見ておきたい 敬愛したダーウィン邸に感化されて設置したという温室
2025年はヴォーリズが来日してから120年となる記念の年で、いつにも増してヴォーリズ建築への注目度が高まっています。美しくあたたかみのある空間で、暮らすように穏やかなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
文:佐藤理菜子 撮影:マツダナオキ