提供:テレビ静岡
静岡市の清水と言えば、「清水の次郎長」が有名です。巴川のすぐそば、清水の次郎長の生家は展示施設になっています。名前の割によく知らない次郎長親分は、いったい何者だったのでしょうか。
表通りでも一本裏へ入れば、そこはまるで別世界。静岡県民必見の裏スポット巡り。静岡市清水区興津から、清水港をぐるりと囲むように走る 「しみずマリンロード」を散歩します。
巴川沿いを散策
雨上がりの巴川沿いをまず歩きました。川沿いには1997年に描かれた絵があります。
茶畑や三保松原の天女など、清水らしい絵です。
進んでいくと「清水次郎長生家 300m」と書かれた看板を発見。行ってみることにしました。
本名は「山本」でした
昔ながらの建物が多く残るエリアへ。
清水の次郎長は一体何者なんでしょう? 名前の割によく知らない次郎長親分の正体を学びに行きましょう。
次郎長生家は2017年に改修され、一般公開されています。まず、次郎長親分の本名は「山本長五郎」でした。
高木家から母方の叔父・山本次郎八の養子に入り、養父「次郎八」の息子「長五郎」ということで「次郎長」と呼ばれたそうです。そして昔はどこの町の人かを頭に付けたので「清水の次郎長」というわけです。
地域作りサポートネット・高木敦子 副代表理事:
江戸の末期から明治にかけて生きた人で、「東海道一の大親分」と呼ばれ、この地域のみなさんの暮らしを支えていました
「街道警固役」と言われる、今の警察署長のような役割も明治政府から任じられていました。
大親分と言っても、庶民に迷惑をかけるような人物ではなく、地域の治安を守る「正義の親分」だったそうです。
地域作りサポートネット・高木さん:
若い頃は「切った張った」もありました。ケンカで「切ったり」、サイコロを転がして博打で「張ったり」です。自在にサイコロの目を出せたと言われています
年表を見ると15歳までは「地域の問題児 悪ガキ時代」と書かれていました。
英語塾に港整備 功績がすごい
その後は国際化に目を付け英語塾を開いたり、川にあった港を海に移すために地域の人たちを調整したりするなど活躍。
清水のために貢献した人だったそうです。
切った張ったの悪ガキ時代もあったようですが、清水港の近代化に奔走した人物でした。
恐怖! 大政の怖い武器
次郎長の子分と言えば「大政(おおまさ)」と「小政(こまさ)」。番頭のような役割で、大政は身長が180cmを越えていたという、当時としてはとんでもなく大きな人でした。
生家では大政が振り回していたという武器「袖がらみ」も見ることができます。先端に金属のトゲトゲがついた棒で、敵の袖を絡め取って動きを封じます。
こんな武器を振り回していた次郎長の子分たち、やはり怖い人たち??
次郎長親分あやかり「お守り」
お土産には次郎長親分にあやかったお守りはいかがですか。
地域作りサポートネット・高木さん:
次郎長さんは人生においても賭け事でも負け知らず。「勝札」を購入して「県大会で決勝進出した」とか「宝くじが当たった」という声をもらいます
次郎長が左手で必ず握っていたのはサイコロ。自らは自在に目を出せたので、一般の人には「賭け事に手を出すな」と諭していたそうです。
お金には困っていたそうで、天皇の侍従まで務めた山岡鉄舟に書を書いてもらい、それを担保に資金集めをしたという逸話も。それだけ人望があった証拠かもしれません。
次郎長親分の人物像がわかりましたか? 次郎長生家は入場無料。一度訪れてみてはいかがでしょうか。
清水湊 次郎長生家
- 住所
- 静岡県静岡市清水区美濃輪町4-16
- 開館時間
- 10:00~16:00 ※土日祝~17:00
- 定休日
- 火曜日 ※祝日の場合は翌平日
- 入場
- 無料
※この記事は、2024年5月18日にテレビ静岡「テレしずWasabee」で公開された記事を転載したものです。