大分県佐伯市。宮崎県との県境近くにぽっかりと浮かぶ小さな島「深島」(ふかしま)。そこでは11人の島民と約60匹のねこが仲良く暮らしています。ねこには全員名前があり、これまでに写真集が2冊発行されるほどの人気ぶり。売り上げの一部はねこの餌や治療に充てられることから、実際に訪れたことがなくとも、日本全国に深島を応援する人たちがいます。
旅をする前から、旅をした後も、現地とつながっていられる――。想いを馳せることから深島の旅は始まります。
豊後水道に位置する小さな島「深島」
大分市から車で1時間ほど南にある蒲江(かまえ)港から深島に向かう船は出航します。大分空港からは九州自動車道を経由して1時間半ほど。バスでもたどり着けますが、時間がかかるので車利用の方がおすすめです。
船は朝・昼・夕方の1日3便、定期船「えばあぐりいん」が出ています。車は港にある離島航路利用者用の駐車場に置いておけます。島までの所要時間は約30分。定期船が運休、もしくは人数が8名以上の場合は、時間に融通がきくチャーター便が便利です。
面積が約1.1平方キロメートルしかない深島は徒歩でぐるっと散策できるほど。緑が生い茂る山が島の北部と南部に広がり、まるでひょうたん型のような形で、島の人たちは中央のくびれたエリアに暮らしています。
島の風景にとけ込むねこたち
港に到着すると、波の音としっとりとした空気に包まれ、穏やかな島時間を実感します。上から眺めるだけでも色鮮やかな熱帯魚や珊瑚が見てわかるほど水が澄んでいて、夏になると観光客が訪れてにぎわいます。そのまま道に沿って集落へ向かいます。
深島に人が住み始めたのは明治時代と言われ、主な産業は漁業と農業でした。最盛期には人口が200人にまで達したこともあり、島の北部には小学校跡も残っています。
道の途中、「深島大明神」の境内には豊漁の神様である恵比寿様が鎮座しています。
多くのねこたちが深島に暮らすようになったのは、漁で使用する網をねずみから守るためとも、島の神様が犬嫌いだったからとも言われています。
民家に近づくにつれて、続々とねこたちが姿を現します。
駆け寄ってくる子もいれば、遠目から様子をうかがっている子もいて、ねこによって歓迎の仕方もさまざま。
ねこたちは島の大部分を占める山ではなく、人が住むすぐそばで暮らしているそうです。
島のあちこちにねこ用のクッションや飲み水が置かれ、まるで島全部が自分たちの家だと言わんばかりに、ねこたちは思い思いにくつろいでいます。
散歩に一緒に付き合ったり、子どもたちの遊び相手になったり…。生活にはいつもねこの存在があり、島の人たちにとっては家族も同然です。
島をあげての一大プロジェクトが始動
ところが2019年に突然の悲劇が襲います。多くのねこたちが感染症によって命を落としてしまったのです。当時は200匹近くいたため、全頭の健康状態を把握するのは困難。「一匹一匹が幸せに暮らすためにも不妊手術やワクチン接種の必要性を感じた」と、島で暮らす安部あづみさんは当時を振り返ります。
ちょうどその頃に、もっと深島のことを知ってもらえるようにと『深島ねこ図鑑』が安部さんと、一般財団法人・観光まちづくり佐伯の藤原容子さんを中心に発行されました。その売り上げはねこのために使われ、やがて図鑑をきっかけに深島を応援したい人たちが全国に続々と現れ始めたのです。
「『深島ねこ図鑑』で深島のことを知ってもらえて、餌を送ってくださったり、地震や台風の時にはSNSで気に掛けてくれたりと、島を訪れたことがなくとも私たちに気持ちが向いていることが伝わってきて、そういう方々の存在はとても大事です」と安部さん、藤原さんは話します。
2人は深島を無人島にしないために「深島ぷろじぇくと」を立ち上げ、図鑑の制作のほかにもSNSによる情報発信や、クラウドファンディングで支援を呼び掛けるなどしています。深島を支えてくれる「関係人口」を増やし、島に暮らす人とねこ、そして関わる人がずっと幸せになれる関係づくりに取り組んでいます。
その後、プロジェクトに共感する人たちからの支援のおかげで、深島のねこたちは全員が不妊手術を受けることができ、その証に耳を桜の花びらにカットした「さくらねこ」になりました。以来、一匹一匹をしっかりと見守ることができるようになり、健康状態も改善されたと言います。
『深島ねこ図鑑』は2冊目も刊行され、ねこグッズや特産品とともに佐伯市のふるさと納税の返礼品にもなっています。おかげで島民が負担していた餌代や治療費もまかなうことができるようになりました。
ねこたちの健康を守るためにも、深島では観光客による餌やりは禁止。それでも人とともに暮らしているねこたちは人懐っこく、カメラを向ければ自慢の愛らしい表情を披露してくれます。
日常を忘れて、“深”呼吸ができる“島”の魅力
春には山桜が咲き、夏はシュノーケリング、秋になれば海の碧さが濃くなり、冬はねこと一緒に日なたぼっこ…。のんびり派も、アウトドア派も、日常を忘れて深呼吸するように、それぞれの楽しみ方でリラックスできるのが深島です。
特に釣り好きにとって深島は憧れの場所。すぐ沖の「ツバクロ」は名礁として知られ、アカハタやメジナがよく釣れると全国から釣り人が訪れます。
ぼんやりと海を眺めたいなら、特等席のある「cafe むぎ」へ。
島唯一のカフェでは、コーヒー、紅茶、ソフトドリンクのほか、生ビールや九州ならではの焼酎も提供しています。グラスに鮮やかな色が映えるメロンソーダ、いちごソーダ、レモンスカッシュは暑い日にぴったり。
同店ではカレーライスや地元の干物を味わえるほか、島の特産品の「深島みそ」を使ったランチもいただけます。
お米が育たなかった代わりに麦を栽培していた深島では、その麦から自家製の味噌を作っていました。これが特産品となり、今でも80年以上前から伝わる伝統的な製法を守り続けています。
麹のまろやかな風味が特徴的で、お土産に購入も可能。お味噌汁の渋みが苦手な人にも飲みやすく、全国からネットで取り寄せの注文が入るほど。
滞在することで交流が生まれ、島をもっと知るきっかけに
日帰りで訪れることができる深島ですが、「本当に見てほしい深島の景色は、泊まってもらわないと見られません。夕焼けと朝日は本当に美しいですし、その時間帯はねこたちも活発になるんですよ」と、安部さんが教えてくれました。
安部さんが初めて深島を訪れた際、大分の山育ちだったにも関わらず「この島だったら住める!」と直感したのだとか。それはまるで恋に落ちるような瞬間だったのかもしれません。
それからはねこの世話をしたり、カフェや宿泊施設を営んだり、「深島みそ」を作ったりと、大好きな島を守るために精力的に活動しています。
カフェに併設する「Innえびすねこ」は、1日1組限定のお宿。1組に限定しているのは、その分、なにげない会話をしたり、島の歴史や文化を紹介したり、宿泊客と濃密な時間を過ごしたいという安部さんの想いから。最大で大人7名まで利用でき、安部さんと家族ぐるみの付き合いが続いているリピーターも多いそうです。
開放感ある吹き抜けに海色のタイルが飾られた浴室など、お部屋の至るところにこだわりを感じますが、施設の代表であり、自ら漁にも出る安部さんの旦那さんとそのお父さんが手掛けたというのだから驚きです。
安部さんいわく「島にいるとなんでも自分たちでこなせるようになってきます。梁など大きな材料を組み立てる際は、周りの人たちに声を掛けて手伝ってもらいました。島だと1人では生きていけないので、昔から島の人たちは助け合ってきました。それは今も変わらず続いています」。
島の恵みをふんだんに使ったごちそう
食事は深島の食文化を五感で満喫できる、とっておきの時間。この日の夕食には、夕方に釣ってきたばかりのイサキをはじめ、メジナ、アオリイカ、伊勢海老などのお刺身が豪勢に盛り付けられていました。
色味が鮮やかなヒオウギ貝は長距離での輸送が難しく、本島ではなかなかお目にかかれない食材。しかし、深島に近い屋形島(やかたじま)の名産品なので、その新鮮で弾力ある食感を味わうことができます。
夕食は5品ほどで、安部さんの旦那さんが調理を担当します。なるべく大皿での提供を意識しているのは、同じお皿をつつき合うことで会話が生まれ、せっかくの島での滞在をより思い出深いものにしてほしいという願いが隠されています。食事の締めには、ご飯と一緒に「深島みそ」を使ったお味噌汁も味わえます。
朝食は和食と洋食の好きな方を選べて、和食には代々干物作りを生業としている「マルサン商店」のサバの開き、そして魚をタレに漬け込んだ大分の郷土料理「りゅうきゅう」など、ご飯がすすむものばかり。
洋食は、由布院にある南仏レストラン「La verveine(ラ ヴェルベンヌ)」の渡辺シェフが監修。JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」に料理を提供した経験の持ち主で、「深島みそ」を加えたミネストローネはトマトの酸味がよりまろやかに感じられるメニューです。
島を楽しむ「ねこ図鑑」の最新刊や「音声ガイド」が登場
のんびり暮らすねこたちと、その様子をあたたかく見守る島の人たち、そして穏やかに時間が流れる島の環境。どれ一つ取っても、深島の魅力に欠かせません。
リピーターも多く、年に一度だけでなく休みのたびに訪れる人もいるほど。まるで友人を紹介するような安部さんの話しぶりから、観光客と島民の枠を超えて、深島が好きな者同士だからこそ生まれた強い絆が伝わってきました。
もっと多くの人たちに深島を感じ、楽しんでもらえるよう、2024年7月6日には3冊目となる『深島ねこ図鑑 vol.3』を販売。最新刊にはねこ全員が紹介され、島のどのあたりで会えるのか、この子はなでられるのが好きか嫌いかなど、詳細な情報も掲載されています。
購入は「cafe むぎ」や「道の駅かまえ」、「観光まちづくり佐伯」(佐伯市役所内)、「佐伯市観光案内所」(佐伯市駅前)、またはオンラインサイトからできます。
デジタル版も初めて登場し、お気に入りの子を見つけたり、会える日を想像したりと、深島に行く前からわくわくする内容です。前作同様、売り上げはねこたちが快適に暮らせるために使われていきます。
島では「おともたび」というスマートフォンのGPS機能と連動したサービスが登場。現地で特定スポットを通ると安部さんの音声ガイドを聞くことができます。お気に入りの場所を教えてくれたり、台風の対策を紹介したりと、住む者のリアルな情報から島の生活の一部を知ることができます。
島で調味料や生活用品が不足したら隣人から分けてもらい、次は自分がお返しする。持ちつ持たれつの助け合いの文化が息づいているからか、この島の空気はやわらかです。昔ながらの深島の生き方が、島を超えて日本全国へと広がり、深島に暮らす人とねこ、そして私たちを旅先以上の関係でつないでいます。
深島
- 住所
- 大分県佐伯市蒲江大字蒲江浦
- アクセス
- 【車】大分空港から九州自動車道を経由して約1時間半、大分市街から約1時間で蒲江港へ。定期船「えばあぐりいん」に乗船して約30分
- 定期船
- えばあぐりいん(蒲江-深島・1日3便):往復 大人1,350円、小児690円
問い合わせ:0972-42-1188(蒲江・深島航路事務所) - 詳細
- でぃーぷまりん深島
撮影・取材・文/浅井みら野