長崎県島原市は、「島原城」や城下町の面影を残す町並み、炎の美しい揺らぎが楽しめる伝統工芸品・和ろうそくなど、至るところで江戸時代の風情を感じられる地域です。
古き良きたたずまいのお店も数多く並んでおり、休憩をはさみながらカメラを片手に散歩をするのにぴったり。写真映えするスポットや押さえておきたいグルメなども含めた、島原の観光モデルコースをご紹介します。
全国3位の高さを誇る「島原城」
島原市といえばやっぱり「島原城」は見逃せません。「島原駅」から歩いて10分ほどの距離にあります。
安土桃山時代で「関ヶ原の戦い」が起きた後、戦いで功績を挙げた人たちが、与えられた新しい土地で権力を誇示するために、全国各地に城を一斉に建て始めました。「島原城」もそんな築城ラッシュの中で建てられた城のひとつです。
「大坂夏の陣」で功績を挙げた松倉重政(まつくらしげまさ)が、約7年の歳月を費やし1624(寛永1)年に築城。1874(明治7)年に廃城となってしまいましたが、1964年に現在の城が再建されました。
まず、注目したいのは城の大きさ。「島原城」の天守は33mもの高さがあり、大阪城、名古屋城に次いで全国3位の高さ、九州内では一番の高さを誇ります。
ちなみに、この大きな天守閣を撮影するには、正門の右斜め前に建つ「西の櫓(やぐら)」から撮るのがおすすめ。この場所からなら、天守閣全体を写真に収めることができますよ。
安土・桃山時代の築城様式と江戸初期の石垣構築技術を取り入れた豪華な天守閣は、総延長2,233mの「矢挟間塀(やざまへい)」に囲まれています。
壁には、敵が侵入した際に鉄砲や矢を放つために作られた穴が空いているので、間近で観察してみてください。
天守閣の石垣にはハート形の石が紛れ込んでいるスポットも。どこにあるのか探してみましょう。
天守閣の入口では、「島原城七万石武将隊(しまばらじょう しちまんごく ぶしょうたい)」がお出迎え。歴代城主の松倉重政(まつくら しげまさ)、高力忠房(こうりき ただふさ)、松平忠房(まつだいら ただふさ)のいずれかが立っています。
取材時は、高力忠房が歓迎してくれました。他領からの移住民を受け入れて、寺社の創設や再興を行うなど「島原の乱」で荒廃した土地を立て直すために尽くした人物です。
武将隊は写真撮影も可能なので、一緒に撮りたい場合は混雑状況などに気をつけながら、声を掛けてみてください。
「島原の乱」は禁教に反対したキリシタンによる一揆ではなかった!?
日本最大の一揆「島原の乱」。その舞台となったのが「島原城」です。
「島原の乱」はキリスト禁の禁教反対による一揆と認識されることも多いですが、この乱が起きるきっかけとなったのは松倉重政とその息子・勝家の圧政だといわれています。
実は「島原城」は松倉家の財政と見合わないほど大規模な造りで、城の建築費用は重政の強権支配によって捻出したものでした。
重政の逝去後も、息子の勝家はさらに厳しい年貢の取り立てなどを続けたため、それに耐え切れなくなった領民たちが結託し、1637(寛永14)年に一揆を起こします。
一方、熊本・天草でも同じく重税で苦しんでいた領民たちが、当時キリシタンの間で人気だった天草四郎を中心に一揆軍を決起。
この2つの一揆軍が各地で大きな反乱を繰り広げたあと合流し、当時廃城となっていた南島原市の「原城(はらじょう)」に立てこもって、幕府軍と戦いました。この一連の騒動が「島原の乱」です。
翌年、幕府の力によって一揆は鎮圧され、勝家は責任を取って斬首刑に処されます。260年ほど続いた江戸時代の大名の中で、斬首刑になったのは勝家ただ1人のみ。それほど幕府にとっても、勝家は深刻な問題を引き起こした大名だったことが分かります。
天守閣の1階はキリシタン史料を展示
天守閣の1階は「島原城」を語る上で欠かせない「島原の乱」やキリシタンにまつわる資料を展示する、キリシタン史料コーナーです。キリスト教が島原に伝来されてから、どのように繁栄し、禁教となり「島原の乱」へと続いたのかが、年代順に展示されています。
天守閣の2階は郷土史料を展示
2階は郷土史料コーナーです。島原藩は松倉勝家の斬首刑以後も、高力氏、松平氏、戸田氏、松平氏と藩主が入れ代わりながら土地を治め、約250年栄えました。
模型を見ると、島原城は天守閣を中心に、大小50の櫓(やぐら)を要所に配置していたことが分かります。
天守閣5階の展望所から一望できる絶景!
5階の「天守閣展望所」から見えるのは、島原市内と眉山、平成新山、対岸の熊本など。空と海、山、町が織り成す絶景を望めます。心地よい風に当たりながら見晴らしを楽しんだり、ベンチで休憩したりと思い思いの時間を過ごしましょう。
懐中電灯に照らされた薄暗い天守閣を散策する「島原城 夜の陣」
「島原城」の天守閣では、毎週土曜日の夜を中心に「島原城 夜の陣」が開催されています。懐中電灯を持って、天守閣を散策できるイベントです。
フロアごとに異なる光と音の演出がされており、まるで別世界に入り込んだような気分に。
特に2階の甲冑は、懐中電灯で照らすと迫力満点!
イベント開催中は島原城がライトアップされ、最上階から夜景を堪能することもできます。夜空には、「キャッスルモンスター」と呼ばれる影絵も出現するのだとか。ぜひ現地で確かめてみてください。
※イベント開催日時はこちらで確認できます。
復元された「西の櫓」と「巽の櫓」「丑寅の櫓」
「島原城」の見どころは天守閣だけではありません。「西の櫓」や「巽(たつみ)の櫓」、「丑寅(うしとら)の櫓」など、敷地内の建物はどれも特徴的。全景を見渡すと、屏風折り(びょうぶおり)の石垣が美しくまるで芸術品のようです。
そんな「島原城」ですが、実は過去に一度解体されてしまっています。
1873(明治6)年に発布された「廃城令(はいじょうれい)」により、全国各地の城は軍用地利用として陸軍省や大蔵省の管轄となるか、もしくは解体や払い下げすることになりました。このとき、「島原城」は廃城となり、1874(明治7)年に解体するに至ったのです。天守閣や二の丸、櫓などほとんどの建物がなくなり、石垣と堀だけが残りました。
城を失ってしまった島原の人々は、心のよりどころとして長い間「島原城」の復活を望み、1960(昭和35)年に「西の櫓」を復元させます。続いて、1964(昭和39)年に「天守閣」を再築。その際、館内にキリシタンや郷土にまつわる史料を展示し、現在のように資料館としての役割も担うようになりました。
1972(昭和47)年には「巽の櫓」が復元され、島原出身の彫刻家・北村西望(きたむらせいぼう)氏の作品を展示する「西望記念館」として開館。
そして1980(昭和55)年には「丑寅の櫓」が再建されました。中ではいろりや釜など明治や大正、昭和の暮らしに使われた民具の数々が展示されています。
一方で、当時の姿のまま保存されているものもあります。
島原藩第13第藩主・松平忠和の時代に建てられた「御馬見所(おんうまみしょ)」は、移築を繰り返していたため取り壊しを逃れ、1966(昭和41)年に再び城内へ戻ってきた建造物です。
島原城の数少ない遺構のひとつとして、国の登録有形文化財に登録されています。
城内を歩く令和によみがえった武将たち「島原城七万石武将隊」
城内では藩主として活躍した3人の武将が、入口でのお出迎えだけでなく、観光案内や歴史解説、写真撮影などのおもてなしをしてくれます。
平日は交代で出陣し、土日は3人で集まって演武を披露してくれます。公式サイトに出陣スケジュールが載っているので、会いたい武将がいる人は事前にチェックしておきましょう。
また、2024年は「島原城」が築城400年を迎える記念イヤー。年間を通して祭りや茶会、プロジェクションマッピングなどさまざまな催しが行われているので、ぜひ今年の内に訪れてみてください。
島原城天守閣
- 住所
- 長崎県島原市城内1-1183-1
- 営業時間
- 9:00~17:30(入館は17:00まで)
- 定休日
- なし
- 入場料
- 大人700円、小・中・高校生350円
- アクセス
- 島原鉄道「島原」駅から徒歩約11分
- 公式サイト
- 島原城天守閣
押さえておきたい島原グルメ!
島原城を満喫した後は、ランチとスイーツを食べに行きましょう。島原は「島原手延べそうめん」や「かんざらし」など豊かな湧き水を使ったグルメが充実しています。
江戸末期の建物の中でいただく「冷やしソーメン」
「島原駅」から徒歩約3分、「猪原金物店(いのはらかなものてん)」は金物を中心としたセレクトショップです。
店内は一部リノベーションされていますが、白壁の装飾や瓦の模様、板など当時の町屋の面影を残しており、建造物としても見ごたえ抜群。2003(平成15)年には国の登録有形文化財に認定されています。
並べられているものは、どれも全国各地の職人たちが丁寧につくりこんだ品々ばかり。手触りの良いお茶碗や、材質と機能美にこだわった和包丁など、日本人の手仕事を伝える場となっています。
この金物店に併設しているのが、茶房・ギャラリー「速魚川(はやめがわ)」です。
ランチメニューが充実している喫茶店で、とっておきの「島原手延べそうめん」をいただくことができます。
湧き水でつくった「冷やしソーメン」(1,100円)は、一年中注文可能な看板商品。毎年冬になると「にゅうめん」(1,100円)も登場するそうです。
島原市内に手延べそうめんの製麺所はたくさんありますが、「速魚川」では6代目がこだわりを持って選んだ麺が使われています。細くて軽やかな舌触りとコシのある麺は、島原の湧き水と相性ぴったり。調理工程のすべてに湧き水を使うからこそ出せる味わいです。
また、「島原手延べそうめん」は島原の乱にゆかりのあるフードでもあります。
戦いで多くの人が亡くなった島原へ幕府は移民対策を行い、全国から島原へたくさんの人が移り住みました。一説によると、その移住者の中にいた香川県・小豆島出身の人がそうめんづくりを広めたことをきっかけに、島原のソウルフードとして定着したと伝えられています。
歴史を学んだ後で食べると、より趣のある時間が過ごせそうですね。
席は店内とテラス席にあります。気候のよい時期のテラス席では、庭の緑と水の音、涼やかな風鈴の音色を愛でながらのんびりできますよ。
茶房・ギャラリー 速魚川
- 住所
- 長崎県島原市上の町912
- 営業時間
- 11:00~17:30(L.O.17:00)※祝日は営業時間の変更あり
- 定休日
- 水曜・木曜 ※祝日の場合は営業、別日に振替休あり
- アクセス
- 島原鉄道「島原」駅より徒歩約4分
- 公式サイト
- 茶房・ギャラリー 速魚川(はやめがわ)
かんざらしの名店「銀水」でひとやすみ
1792(寛政4)年に起きた雲仙岳の噴火(通称・島原大変)により、島原の各所では澄んだ地下水が湧き出るようになりました。そのため、島原市内には50を超える湧水地があるのです。
中でも「島原駅」から20分ほど歩いたところにある「浜の川湧水」は、地域の人たちの生活に欠かせない場所。食料品を洗う用、食器を洗う用と用途ごとに区画が設けられており、現在も大切に使われています。
「浜の川湧水」の横に店舗を構えるのが、元祖かんざらしの店「銀水」。
かんざらしとは、島原の湧き水で冷やした白玉だんごに蜂蜜や砂糖などで作った蜜をかけて食べる和菓子のことで、島原市の郷土料理のひとつです。
1915(大正4)年創業の「銀水」は、一度惜しまれながら閉店しましたが、20年ほどの時間を経て2016(平成28)年に営業を再開しました。古い町並みの中に溶け込むようなレトロなたたずまいで、天井の梁(はり)や扉など、当時の日本家屋の情緒が随所に感じられます。
「銀水ジュースセット」(1,000円)は、かんざらしとジュース、カステラ・チェリー豆・島原駄菓子の中から好きな添え菓子を一つ選べるメニューです。飲み物をコーヒーや抹茶、島原和紅茶にしたい場合は「銀水セット」(1,200円)を注文しましょう。
湧水は温度が一定なので、だんごを水に漬けて置いても硬くならないのだとか。みずみずしくてもちもちとした食感は、現地に足を運んで食べたい一品です。かんざらしはお店によって特徴が異なりますが、「銀水」のかんざらしは少し小ぶりで、蜜はほんのり甘く、最後まで飲み干せるさっぱりとした味わい。
蜜の中でかんざらしが浮くのも、銀水がこだわっているポイントだそう。時間が経つと沈むので、浮いているうちに撮影を忘れないようにしましょう。
かんざらしはテイクアウトもできますが、時間があるなら風情のある畳敷きのお部屋でいただくのがおすすめ。窓からは「浜の川湧水」を眺めることができます。
銀水
- 住所
- 長崎県島原市白土桃山2-1093
- 営業時間
- 9:00~18:00(フードの提供は10:00~17:00)
- 定休日
- なし
- アクセス
- 島原鉄道「島原」駅より徒歩約20分
- 公式サイト
- 銀水
「本多木蝋工業所」で和ろうそくづくりと絵付け体験
島原市は、かつてろうそくの製造が盛んな地域でもありました。原料となるハゼが多く穫れたからです。
江戸時代、松倉重政・勝家の圧政により財政が厳しくなった島原藩ですが、松平忠房が領主になってからは、木蝋(もくろう)※1を売って難局を乗り切ろうとハゼの栽培を進めます。4代目・松平忠刻(まつだいらただとき)の時代には領内にハゼを10万本植えて、藩の財政の立て直しを図りました。
ハゼは木蝋(もくろう)だけでなく、化粧品の原料の蝋にもなることから、江戸時代には換金作物※2であったハゼ。雲仙岳の噴火が起きた際には大阪に木蝋を送り、現在の価値で約15億円の利益を島原にもたらしたといわれています。
※1:木蝋‥‥ハゼの実の皮より得られる油脂。和ろうそくの元となる
※2:換金作物…食べるためではなく、売ってお金にすることを目的として生産する作物のこと
時代とともに和ろうそくの文化は衰退してしまいますが、「本多木蝋工業所」では、ハゼを使った和ろうそくを製造しています。
江戸時代から続く「玉締め式圧搾機」でハゼの実を絞り、化学薬品を一切使わない木蝋100%のピュアなろうそくを作り続けることで、島原地方を支えたハゼの木蝋文化を今に伝えている貴重な工業所。現在もこの伝統的な製法を行っているのは国内で「本多木蝋工業所」のみなのだとか。
「本多木蝋工業所」では、和ろうそく作りと絵付けの体験も可能です。(体験料各1,500円、セット2,300円)
島原におけるハゼの歴史に触れながら作り方を教えてくれるので、体験を通して歴史を学ぶことができます。子どもの自由研究の題材としても扱えそうですね。
ちなみに、代表の本多俊一さんが右手に持っているのが、ハゼの実です。
溶かした木蝋を型に流し込み、固まった後に余分な部分をカットすれば、和ろうそくの完成です。
固まるのを待つ間は、「玉締め式圧搾機」の見学などができます。
和ろうそくは石油由来のパラフィンで作られた西洋のものやキャンドルと違い、風がなくても炎が揺れるのが特徴。火を灯した和ろうそくの様子もこの時間に見せてくれるので、じっくりと観察してみてください。
絵付け体験では、アクリル絵の具を使って和ろうそうに絵や模様を描くことができます。花の絵などの見本が用意されているので、デザインが思いつかない場合は参考にしましょう。
絵が乾いたら完成です。島原で伝統工芸に触れ、実際に体験することで、完成品に一層の愛着が湧きます。旅の記念にぴったりなお土産ができました。
本多木蝋工業所
- 住所
- 長崎県島原市有明町大三東丙545
- 営業時間
- 9:00~18:00
【和ろうそく作り・絵付け体験】開始時間は応相談(所要時間30~90分) - 定休日
- 月曜
- アクセス
- 「大三東」駅より徒歩約10分
- 公式サイト
- 本多木蝋工業所
SNSでも話題の「大三東駅」
CMや映画など、多くの作品に登場している「大三東(おおみさき)駅」。「本多木蝋工業所」から10分ほど歩いた先にあります。晴れた日の満潮時には真っ青な有明海と青空が広がる、日本一海に近い駅のひとつです。
ホームでは願い事が書かれた黄色いハンカチがはためいています。
ハンカチは駅で販売されているカプセルトイ(500円)で入手可能。叶えたいことを書いて吊るし、祈願をしましょう。カプセルトイは500円硬貨(新旧不問)のみ利用可能なので、出かけるときは500円玉の用意をお忘れなく。
※ハンカチは一定期間掲げられた後、神社に奉納されます。
視界を遮るものはなにもないので、映画のワンシーンのような写真を収めることができます。
線路を走る島原鉄道の黄色い列車と一緒に撮れば、より映える写真が撮れそうです。
有明海の奥には阿蘇の山々が見え、真っ青なブルーと黄色のコントラストが旅先ならではの思い出を美しく彩ってくれますよ。
大三東駅
- 住所
- 長崎県島原市有明町大三東丙135-2
- 公式サイト
- 島原鉄道
長崎県・島原へのアクセス
長崎県の玄関口「長崎空港」までのフライト時間は、東京から約2時間。名古屋・大阪からは約1時間30分、 神戸からは約1時間15分です。
空港から、島原市への移動は直通バスでの移動がスムーズですが、現在、長崎空港~島原間は運休しているため、まずは路線バスで諫早(いさはや)市まで移動して、そこからバスや電車で島原へ行く必要があります。
諫早市へは「長崎空港」バス乗り場3番から県営バスに乗車し約50分(長崎空港~諫早駅前:片道640円)。島原市へは、諫早駅で島原鉄道に乗り換えて約1時間10分(島原鉄道 諫早駅~島原駅:片道1,460円)で到着します。
福岡から向かう場合は、JR「大牟田(おおむた)駅」または「西鉄大牟田駅」に着いたら、西鉄バスに乗って「三池港」へ行きます(大牟田駅~三池鉱:片道240円)。「三池港」から三池島原ラインのフェリーに乗って約50分で島原港に到着です(三池島原ライン 三池港~島原港:片道2,300円)。
今回は、島原駅と大三東駅から歩いて行けるスポットをモデルコースとしてご紹介しました。
大三東駅に行くときは、島原駅から島原鉄道に乗って出かけるのもおすすめです。島原駅では、駅員が昔ながらの改札ばさみで切符に切り込みを入れてくれる、今では珍しい貴重な体験をすることができますよ!ぜひ宿泊して、ゆっくり巡ってみてください。
取材・文/原口可奈子 撮影/井上由紀子