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手紙でめぐる龍馬とニッポン

ドラマの世界観で旅路を楽しもう!ロケーションベースマガジン龍馬伝誕生。詳細はこちらから

京都のの龍馬史跡

伏見エリア

まずは京都の入口・伏見から周りましょう。何はともあれ寺田屋から。再建説があるものの、折角なのでそんな野暮なことは言わずに雰囲気を存分に楽しみましょう!そこから寺田屋を脱出した龍馬、三吉慎蔵の脱走ルートに沿って行くのがオススメの周り方。ちなみに寺田屋近くの竜馬通り商店街では龍馬グッズや龍馬にちなんだお食事メニューなどもあります。注目は「かき仙」の「龍馬寿司」。とにかく旨い!伏見必食の1品。1本\2,600で2人で食べてもボリューム満点です。

  • 寺田屋
  • 寺田屋
  • 京都最重要史跡の一つ!龍馬の定宿で、お龍が裸で龍馬と三吉慎蔵の危機を救ったエピソードは余りにも有名。女将・お登勢の人柄もあり、多くの志士に愛されました。再建説が有力視されるも当時の雰囲気は存分に味わえ、宿泊もできれば十分です!
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  • 西岸寺
  • 西岸寺
  • 天正18年に建立され、油をかけて祈願すると願いが叶うという油懸地蔵で有名です。寺田屋から徒歩5分足らずの場所にあり、寺田屋で襲撃された龍馬と三吉がこの地蔵に身を潜めたという伝説が残ります。龍馬史跡巡りのついでに願い事をしてみては。
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  • 材木納屋跡
  • 材木納屋跡
  • 寺田屋を脱出した龍馬と三吉が身を潜めたのが濠川沿いの材木納屋です。寺田屋からは徒歩7-8分。龍馬は左右の指を負傷し、ここで動けなくなりました。お龍と三吉が相次いで伏見薩摩藩邸に急報。龍馬は船で救出されます。現在は酒造会社になっています。
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  • 伏見薩摩藩邸跡
  • 伏見薩摩藩邸跡
  • 竹田街道を北上して徒歩15分ほど。濠川沿いに伏見薩摩藩邸跡がポツリとあります。寺田屋事件の際は、留守を守る大山彦八が藩邸前の濠川を藩旗を立てた船で下り龍馬救出へと向かいました。材木納屋の前の川と繋がっている点に注目です。
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京都駅周辺エリア

龍馬とお龍の出会いの地がこの辺り。お龍の父・楢崎将作が亡くなったことにより一家は離散しましたが、それゆえにお龍は龍馬と出会ってしまいました。龍馬とお龍が一緒にいた時間は僅か3年半ばかり。しかもその時間は龍馬にとって人生でもっとも忙しい時。2人が実質過ごした時間は本当に僅かでした。その短すぎる時間をかみ締めて史跡を巡ってみてください。

  • 七条新地 扇岩跡
  • 七条新地 扇岩跡
  • 父・楢崎将作が亡くなった後、お龍が奉公に出ていたのが「扇岩」です。東本願寺の東側・高瀬川正面辺りにありました。現在は旧七条新地跡として面影を残しています。ちなみに母・貞が住み込みで働いた河原屋五兵衛の隠居所は鴨川を挟んですぐ。
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  • 三十三間堂南大門付近
  • 三十三間堂南大門付近
  • 元治元年(1864)頃、龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太ら土佐藩士たちの居住地となっていたのが南大門の南・大仏南門通にあった河原屋五兵衛の隠居所です。ここに賄いとして住み込みで働いていたのがお龍の母・貞。ここで龍馬とお龍は出会いました。
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御所・二条城エリア

御所の北に二本松邸、西に蛤御門、東に梨木神社と御所の大きさがよく分かります(笑)。ちなみに蛤御門の銃弾跡を見ると、禁門の変が遠い昔の話とは思えないのが不思議です。また二本松藩邸は寺田屋襲撃後、薩長同盟成立前夜に龍馬が入った場所。石碑と案内文のみですが、距離感を体感するためにも是非訪れてほしい史跡です。少し話は逸れますが、京都の龍馬史跡は自転車で巡るのがオススメ!駅前でレンタサイクルを借りて市内を走破してください!

  • 蛤御門
  • 蛤御門
  • 文久3年(1863)8月18日の政変で京都から撤退した長州藩が再度上洛し、復権を図った「禁門の変」の激戦地です。長州の久坂玄瑞らがここで命を落とし、その後の長州征伐へと流れが続きます。京都御所の西側にあり門には今なお当時の銃跡が残ります!
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  • 梨木神社
  • 梨木神社
  • 京都御所の東側、旧三条家邸宅跡に三条実万・実美親子が祀られています。いわゆる実美は急進派の七卿の1人でその中心人物でもありました。龍馬も大宰府で実美と会い、薩長同盟を説いています。現在は萩の名所としても知られています。
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  • 薩摩藩二本松邸跡碑
  • 薩摩藩二本松邸跡碑
  • 慶応2年(1866)薩長同盟未締結を知った龍馬が怒り心頭で寺田屋から駆けつけたのが西郷がいたこちら。また寺田屋襲撃後の龍馬が伏見藩邸から担ぎ込まれたのもここになります。その規模は約9,000uもあったとか。現在は同志社大学が建っています。
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河原町・木屋町

史跡だらけの木屋町。かつて高瀬川を挟んで東に料亭やら船宿やら、西に藩邸が連なりました。今は歓楽街となった街並みの至るところに石碑があるわあるわ。ここは日中明るい時間に巡るのがオススメです。幾松と三条大橋の擬宝珠は当時を感じられる貴重な史跡。佐久間象山の遭難之碑は、少々分かりにくい所にありますが、彼の偉大さが感じられる大きさです!

  • 坂本龍馬 妻お龍の実家 楢崎家跡
  • 坂本龍馬 妻お龍の実家 楢崎家跡
  • お龍は天保12年(1841)に富小路六角付近で誕生後、家族と共にこの地に長く住みました。父・将作は梅田雲浜らと親交があり、尊皇派の交流の場だった可能性もあります。お龍は父の在世中は良家のお嬢様として家事をせず、華道、茶道などに専念しました。
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  • お龍独身時代寓居跡碑
  • お龍独身時代寓居跡碑
  • お龍が文久2年(1862)の父の死後、家族と移り住んだのが木屋町の家。お龍が大坂から妹光枝を連れ戻したのはこの時のエピソード。後にお龍は「扇岩」に、母と妹君江は南大門南の河原屋五兵衛の隠居所に住み込みで働き、その縁で龍馬と出逢います!
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  • 土佐藩邸跡
  • 土佐藩邸跡
  • 文久3年(1863)、勝の尽力により脱藩の罪を許されるも7日間の謹慎処分を受けたのがここ。高瀬川の西には藩邸が連なっていました。上士の役人ばかりの藩邸を龍馬は嫌がり、殆ど滞在することがなかったとか。後に遭難する近江屋の近く、というのも皮肉です。
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  • 武市瑞山先生・吉村寅太郎寓居之跡
  • 武市瑞山先生・吉村寅太郎寓居之跡
  • 吉田東洋暗殺後、藩の実権を握った武市半平太が京都留守居役となって住んだのが木屋町高瀬側沿いの料亭「丹虎」。龍馬より早く脱藩した吉村寅太郎も隣に居を構えるも、武市は藩主山内容堂に命じられ帰国後、切腹。吉村も天誅組の変で戦死します。
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  • 池田屋騒動之址碑
  • 池田屋騒動之址碑
  • 元治元年(1864)6月5日、新選組は旅籠・池田屋に踏み込み、吉田稔麿、宮部鼎蔵、望月亀弥太ら過激派の尊皇攘夷志士たちを討ち取り、京都を震撼させました。現在は同名の居酒屋が建ち、新選組ファンが集います。
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  • 三条大橋の擬宝珠
  • 三条大橋の擬宝珠
  • 池田屋からすぐの三条大橋の西から2番目の南北の擬宝珠には刀傷が。これは池田屋を脱出した志士とそれを待ち受けていた新選組との激しい戦闘で付いたとされるもの。知らないと分かりません。じっくり見てください!
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  • 志る幸(しるこう)
  • 志る幸(しるこう)
  • 近江郷士・古高俊太郎が営む桝屋があったのはここ。志士たちを援助するも新選組に捕らえられ、武器弾薬を発見されました。それをきっかけに池田屋騒動が起こり、多くの志士が犠牲になりました。現在は昭和7年創業の「志る幸」が幕末の雰囲気を伝えます。
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  • 象山先生遭難之碑
  • 象山先生遭難之碑
  • 勝、龍馬も学んだ佐久間象山は、門弟・吉田松陰密航事件による連座蟄居後、元治元年(1864)に一橋慶喜に招かれ、公武合体論と開国論を説きました。しかし共も連れずに木屋町を歩き、尊皇攘夷派により暗殺。碑の大きさから佐久間の影響力が伝わります。
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  • 料理旅館 幾松
  • 料理旅館 幾松
  • 長州屋敷の東に、桂と芸妓・幾松の寓居がありました。現在は料理旅館ですが、敵の襲撃に備えた抜け穴や吊天井が当時のままに!長州の京都撤退後、乞食に扮して情報収集を行う桂とそれを支えた幾松は明治後結婚。2人の愛の物語は有名です。
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  • 長州屋敷跡
  • 長州屋敷跡
  • 木屋町通、御池通の北に幕末の火薬庫・長州藩の京都藩邸がありました。尊皇攘夷派の中心地であるも元治元年(1864)の禁門の変後、自らの火でその役目を終えます。現在は京都ホテルオークラが建ち、桂小五郎像と長州屋敷跡の碑が建っています。
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東山エリア

なんと言っても京大和。高級料亭のため簡単に入れる場所ではありませんが、運が良ければ「翠紅館会議」と同じ場所で食事をすることが可能です。お龍との内祝言を挙げた場所が現在はユースホステルというのも、なんとも龍馬らしいなと思ってしまったりします。

  • 京大和
  • 京大和
  • 京都最重要史跡の一つ!文久3年(1863)1月、久坂玄瑞、武市半平太らが集い、続く6月に桂小五郎、真木和泉ら各藩代表が集まり攘夷を話し合った「翠紅館会議」の舞台です。現在は料亭「京大和」となっており、運が良ければ同じ場所で京懐石が楽しめます。
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  • 明保野亭
  • 明保野亭
  • 清水寺へと向かう産寧坂、多くの観光客が通るこの場所に、龍馬の定宿の一つ明保野亭があります。龍馬のみならず幕末の志士御用達の料亭でもあり、池田屋残党狩りに新選組が踏み込んだ「明保野亭事件」でも有名。龍馬御前はボリューム満点です!
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  • 坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)
  • 坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)
  • 元治元年(1864)8月初旬、龍馬とお龍が「内祝言」を挙げたのがここ。お龍の亡父・楢崎将作が青蓮院宮仕えの医師という縁で、住職智息院が仲人を務めました。しかし禁門の変直後の激動期で龍馬は東西奔走中。お龍は寺田屋に預けられ別居生活でした。
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