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手紙でめぐる龍馬とニッポン

ドラマの世界観で旅路を楽しもう!ロケーションベースマガジン龍馬伝誕生。詳細はこちらから
龍馬の手紙
人間と云ものハ世の中のかきがらの中ニすんでおるものであるわい
■慶応2年7月28日 三吉慎蔵宛 (前半)/所蔵 仙台市博物館
手紙の写真
亀山社中、解散の危機です!
  • 現代語訳
  • 何も特に言うことはありません。けんどわしらぁは長崎に帰ったらまた乗り換える船ものぉて水夫らぁに泣く泣くいとま(休暇)を出したら、皆ぁ泣きながら出て行く者(もん)もおって、いつまでも死ぬるまで共にしたい言う者(もん)もおります。
    全員の内で外に出て行った者(もん)は全部で三人でした。大半の者(もん)は死ぬるまでどんな場所までも一緒に行くと言うてくれて、また(それはそれで)困ったけんど国(長崎)に連れて帰ったがです。
    幕府は(この事態に)大いに目をつけて、また長崎でもわしらぁとひと戦やっちゃおうと考えゆうみたいで、また幕府の役人らぁは金を出したりして、わしらぁの水夫を誘うたりする勢いもあったみたいながですけんど、これがどうして、中々頼もしい者(もん)ばっかりで出て行くもんはおりません。今、御藩(長府藩)が海軍を設立するがやったら、この人数を移したらえいと思うております。 今朝、伊予の大洲藩から屋敷に誘いがきて、水夫計三人、蒸気方三人ばぁをしばらくの間借りたいと言うてきましたき、わしらぁの人数を屋敷より五代才助(五代友厚)を頼りに差し出したがです。
    ○木圭氏(桂小五郎)に手紙は長崎の近況の様子をうけたまわって書いたもんを送るけんど、これは極々内々だけで見ていただきたいがです。極めて正確な情報ですき、山口にまでお送りいたします。
    慎三さま   龍
    右七月二十八日
  • 解説
  • 当時の龍馬は船がないことに困り果てていました。せっかく亀山社中を結成したものの、肝心要の船がないのです。薩摩藩の金で購入したワイルウエフ号は五島列島沖で沈没し、乗艦していた池内蔵太ほか社中同十二名が死亡。ユニオン号は下関海戦を境に長州籍に戻り、これまた手元から離れます。途方に暮れた龍馬は社中の解散を検討しますが、嬉しくも心苦しいことにほとんどの水夫は残ると言い、ライバルであった長崎奉行所がこの機を幸いと水夫買収に走るも誰も応じません。そこで龍馬は長府の三吉慎蔵に海軍を作れよ、お得だぞとけしかけています。
     この手紙を宛てた三吉慎蔵は長府藩士で、遡ること半年前、共に伏見寺田屋の変を切り抜けた間柄。龍馬は慎蔵を深く信頼しており、多くの手紙が残されています。五代才助(五代友厚)は薩摩藩で龍馬と同い年。後のいろは丸事件で龍馬を救います。明治後、大阪の近代化を進めました。
     手紙の後半はこの手紙の前日に桂小五郎に書いた手紙を慎蔵に託した内容。前日の手紙で龍馬は下関海戦(第二次長州征伐)後の薩摩藩と幕府の動静を桂に連絡しています。木圭とは桂を分解した変名でこの時期の桂はこの変名を多く用いています。

神も仏もあるものニて御座候
■慶応3年4月初旬 坂本乙女宛 所蔵 京都国立博物館
手紙の写真
龍馬、倒産の危機を迎え、人間を哲学的に語りました!
  • 現代語訳
  • さてもさても(こないだの乙女姉やんの)手紙に書かれちょった話の面白さはげにまっこと腹をかかえるばぁやった。「秋の日より」の例え話は、一番面白ぉて笑わせてもろぉた。
    自分のことやけんど、(故事にある)「浮木の亀」みたいに、(何かよう分からんもんが)鼻の先にぶら下がっちょって、お日さんの光をよう見ることが出来んかったがです。この頃、えらい妙な岩に打ち上げられて登ってみて、ふとまわりを見渡して思うことには、さてさて世の中と言うもんは牡蠣の殻ばっかりである。人間ゆうもんは世の中という牡蠣の殻の中に住んぢゅうもんであるわい、ほんま興味深うておもしろいことですき。めでたいことですわい。
     龍馬

    乙女姉やんへ
    猶おばあさん、おなんさん、おとしさんの御歌をありがたく拝見させてもらいました。かしこ
    ほんで昨年七千八百両でヒイヒイ困っちょったところを、薩摩藩の小松帯刀という人が出してくれたがです。神も仏もあるもんやと思いました。
    こないだも、わしらぁ亀山社中の資金繰りが悪ぅなって一万五百両がないといかんと心配しよったら、思いがけんことに後藤象二郎という人が出してくれたがです。この人は同志の中でもまっこと面白い人ながです。かしこ
  • 解説
  •  前略もすっ飛ばして「さてもさても」とお得意のスタイルで始める有名な手紙です。上記の手紙から九ヵ月後、亀山社中は海援隊と名を変え、総合商社として機能し始めていました。龍馬は時代の寵児となりつつあり、全国を飛び回ります。けれどもなかなかうまくいきません。龍馬は自らを故事「浮木の亀」(目の見えない亀が百年に一度だけ水面に浮かび上がり、水面に漂う流木の穴に入ろうとする話)になぞらえ、その困難さを表現します。この手紙の龍馬は更に哲学的です。続けて人間を牡蠣の殻のようだと言います。堅い岩にしがみついて堅い殻(身分とか立場とか)を背負っている牡蠣のようだと。でも中身は軟らかい。興味深い一方で腹も立つやらと、龍馬は達観しているようです。
     後半では海援隊の金策について、大極丸購入の保証金を薩摩の小松帯刀が払ってくれたということ、一万五百両を土佐の後藤象二郎が払ってくれたと伝えています。注目は後藤を「おもしろき人」と称している点。後藤は土佐勤王党を弾圧、盟友・武市半平太を殺した、土佐藩の下士全員の仇敵。ところが龍馬はそんな気分では動きません。天下国家を動かすために、後藤を人物と認めた上で(正月に清風亭にて初会談)、龍馬は後藤の背後にある土佐藩と結びつきます。そして彼を通して大政奉還論を仕上げていきます。そんな龍馬にはやはり批判も相当なものだったらしく、後に乙女姉さんから姦物役人に使われているという批判の手紙が来、龍馬は弁明の手紙を書いています。

仙台市博物館

仙台市博物館概観

仙台伊達家からの寄贈資料をはじめ、江戸時代を中心とした仙台藩に関わる歴史・文化・美術工芸資料などを約9万点所蔵。年4回の展示替があり、随時約1000点を展示している。(展示内容については直接お問い合わせください)

※4月19日まで展示室リニューアル他工事のため休館中。
4月20日リニューアルオープン

<住所>
〒980-0862 仙台市青葉区川内26番地[仙台城三の丸跡]
<電話番号>
022-225-3074
<開館時間>
9:00〜16:45(入館は16:15まで)
<休館日>
月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
祝日・振替休日の翌日(土・日曜日、祝日の場合は開館)
12月28日〜1月4日
<常設展観覧料>
一般・大学生\400 高校生\200 小・中学生\100

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