提供:北日本放送
富山県高岡市から石川県七尾市へと北上する国道160号。氷見市のまちなかや海岸線を走る幹線道路として交通量は多く、沿道にはスーパーや飲食店などが多く並びますが、その中にうっかりすると見逃してしまいそうな、普通のビル…かと思いきや、ひっきりなしに地元の客が訪れるハンバーグの店があります。
店の名前は、「レストハウス ツーロン」。店の看板よりも大きな「日本一おいしい ひみハンバーグ」の文字が目印です。
店があるのは、この建物の2階。飲食店っぽくはない見た目ですが、「氷見市民で知らない人はいない」と言われるほど人気の店です。
氷見市民が愛する“日本一おいしい”ひみハンバーグ
地元の人がこよなく愛するというのが、「ツーロン」のハンバーグ。決して目立つ立地ではありませんが、ランチタイムは地元の客でいっぱいになります。
人気の理由は、1966(昭和41)年の開業から変わらないというハンバーグのレシピ。とろけるようなやわらかさが特徴で、「噛まんでも飲めるほど!」と語る客もいるほどです。
氷見市内のスーパーでは家庭用のハンバーグが販売され、市のふるさと納税の返礼品にもなるなど、氷見が誇る自慢の味です。
氷見牛ミンチで作るハンバーグ。やわらかさの秘密は自然薯
ハンバーグに使うのは、地元が誇るブランド牛・氷見牛のミンチ。そこに甘みを引き出すために、タマネギをたっぷりと加えます。さらに加わるのが、「ツーロン」の隠し味、自然薯。
山間部が多く、農林業が盛んな氷見ならではの食材ですが、入れすぎるとヒビ割れの原因となるため、絶妙な配合が大切なんだとか。この自然薯によって、ふんわりとやわらかなハンバーグの食感に仕上がります。
毎日50個を手作り。83歳で厨房に立ち続ける店主
店内で提供するものと家庭用に加工して販売するもの。合わせて50個のハンバーグを毎日手作りしているのは、店主の蔵田淑彦さん。
御年83歳ながら、いまだ厨房に立ち続けるベテランで、「フライパンを持ちながら死にたい」と豪語する根っからの料理人。メニューによって変わるタネの分量も測りを使わずに手だけでぴったり正確につかみ取る職人技です。
焼くのに使うフライパンは、同時に3台。フル稼働で20個ものハンバーグを並行作業で焼き上げます。鉄板などの専用什器のほうが効率よく作業できそうですが、ふっくら香ばしくなるように、こまめに返しながらじっくり火を入れるのが「ツーロン」流。というわけで、創業当初から変わらずフライパンを使い続けています。
相当に体力がいる作業ですが、手際よくフライパンを振る蔵田さんの腕は力強く、まるで80歳超という年齢を感じさせません。
とろけるハンバーグにかけるのは特製の「ミートソース」
やわらかい食感が特徴の「ツーロン」のハンバーグは、ナイフを乗せただけでスッと刃が入るほど。口の中に入れると、あっという間にほどけていきます。
かけられるソースは、ハンバーグにもごはんにも合う特製の「ミートソース」。東京で料理人となる修行をしていた時代、蔵田さんは香草などを使った本格ソースを勉強したものの、氷見に帰って店を開いてみると、その味は客に受け入れられなかったのだそう。
そこで、独自に研究を重ねて生み出したのが、ミートソースでした。これがおいしいと評判を呼び、店の人気メニューになっていったのです。
卵とじの代わりに…かつ丼にも自慢のミートソース
自慢の特製ミートソースを使ったメニューは、ハンバーグ以外にも。それが、「ツーロン風かつ丼」です。
一般的な卵とじのかつ丼ではなく、ウスターソースのソースかつ丼でもない…ミートソースをかけた洋風かつ丼は、マイルドな味わいで肉の旨みをたっぷりと感じられます。
親子でつなぐ「ツーロン」の味
しかし、そのかつ丼の誕生には、とあるエピソードがありました。
きっかけは、現在、2代目として淑彦さんを支える息子の大さん。幼いころ、店が忙しくて食事をとる暇もなかった時に、親に隠れてこっそりとごはんに特製ミートソースをかけて食べていたんだそう。それが、とてもおいしかったことを思い出し、アレンジして生まれたのがこの「ツーロン風かつ丼」なのです。
父の淑彦さんも認めるおいしさで人気のメニューですが、何よりも淑彦さんにとってうれしいのは、自分の料理と仕事が息子へと受け継がれていくこと。変わらずに愛される味を親子でつないでいくのが、何よりも誇らしいのです。
店のファンが「今以上に混むと困るから、本当は教えたくない」とまで語る、人気の店。しっかりとその味をつないでいます。
レストハウス ツーロン
- 住所
- 富山県氷見市柳田14-7
- 営業時間
- 第2・第4火曜日
- 電話番号
- 0766-91-2953
- 公式サイト
- レストハウス ツーロン
※この記事は、2024年10月4日に放送したKNBテレビ「いっちゃん☆KNB」をもとに、2024年10月13日に北日本放送「nan-nan」で公開された記事を転載したものです。