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手紙でめぐる龍馬とニッポン

ドラマの世界観で旅路を楽しもう!ロケーションベースマガジン龍馬伝誕生。詳細はこちらから

京都のの龍馬史跡

京都駅周辺エリア

龍馬が幕府の重鎮・永井主水頭と会ったとされるのが東本願寺の別邸・渉成園。建築好き、庭好きには必見のスポットで、じっくり時間をかけたい場所です。近くには陸奥陽之助(後の陸奥宗光)ら海援隊士たちが龍馬の弔い合戦を行った天満屋の跡があり、ひっそりと碑が建っています。

  • 中井正五郎殉難地碑(天満屋騒動之跡)
  • 中井正五郎殉難地碑(天満屋騒動之跡)
  • 龍馬の暗殺犯と考えられた紀州藩士・三浦休太郎を、海援隊士・陸奥陽之助や十津川郷士・中井庄五郎らが襲った場所。三浦は難を逃れ、襲った中井は護衛の新選組により斬殺されてしまいます。近くの宇治茶の美好園さんが当時の面影を残しています。
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  • 渉成園(枳殻邸)
  • 渉成園(枳殻邸)
  • 東本願寺の別邸。龍馬が大政奉還の大儀を説くため、大目付・永井尚志と会ったのが枳殻邸と言われています。3代家光により寄進された東本願寺の境内です。池泉回遊式の美しい庭園があり、14代家茂、15代慶喜、松平春嶽らも訪れています。
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御所・二条城エリア

こちらは京都の政治の二大中心地。龍馬の思想が結実した舞台でしたが、龍馬が足を踏み入れることは終生ありませんでした。なお京都御所見学には事前手続きが必要ですが、京都に行ったからにはこの非日常感、是非とも体験して頂きたい必須スポットです。

  • 越前福井藩邸跡碑
  • 越前福井藩邸跡碑
  • 二条城の目の前、「京都国際ホテル」の辺りが越前福井藩邸の跡。龍馬は幕府の政治総裁職として多忙な日々を送っていた藩主・松平春嶽にアポなしで会いに行き、海防策の意見を求めたとか。それにしても脱藩浪人で藩主に会ってしまう龍馬に脱帽です!
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  • 二条城
  • 二条城
  • 徳川慶喜が在京した40藩の前で、土佐藩の建白書を受け入れ大政を奉還したのが二の丸御殿大広間。慶応3年10月13日のこと。用いられざる時には死を覚悟して登城する後藤象二郎に対し、龍馬は海援隊で決起し切り込む覚悟を記した檄文を書いています。
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  • 京都御所
  • 京都御所
  • 慶応3年12月9日、王政復古後初の会議が小御所で行われ、倒幕派の暗躍により徳川家に辞官と領地返上を命じることを決定。戊辰戦争へと流れは続きます。残念ながら建物は昭和29年に消失、再建されたものですが、この空気感は是非体験してみて下さい!
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  • 横井小楠殉節地
  • 横井小楠殉節地
  • 先進的すぎる余りに自藩から疎まれるも、松平春嶽の政治顧問として活躍、私塾「四時軒」にて人材を育てた横井。龍馬の思想的な先生でもあり、龍馬の新政府構想でも参議となっていましたが、維新後に惜しくもこの地で保守派に殺されました。
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河原町・木屋町

河原町・木屋町は龍馬の最後の息吹を感じる場所。周辺は当時も今も喧騒に包まれており、龍馬遭難の空気を感じることは難しいかもしれません。けれども京都最重要史跡の一つ、現存する海援隊本部であった酢屋さんから慎太郎の寓居、鳥新跡、そして遭難の地(近江屋跡)の歩みはこの旅のクライマックス。是非、自分の足で順を追って歩いてみてください。

  • 酢屋(坂本龍馬寓居跡)
  • 酢屋(坂本龍馬寓居跡)
  • 京都最重要史跡!慶応3年6月に上洛した龍馬は材木商・酢屋嘉兵衛に匿われ、その2階に海援隊本部を置きました。現在も酢屋さんが材木商を営み、建物が残ります。龍馬がいた2階は「龍馬ギャラリー」に。天満屋事件もここに隊士が集まり決起されました。
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  • 中岡慎太郎寓居跡
  • 中岡慎太郎寓居跡
  • 陸援隊隊長で、龍馬以上に薩摩・長州の和解に尽力した中岡慎太郎は、龍馬がいた近江屋とは河原町通りを挟んで向かい、土佐藩御用達の書林・菊屋の鹿野安兵衛宅に隠れていました。現在はお店の前にひっそりと石碑が立っています。
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  • 鳥新跡
  • 鳥新跡
  • 慶応3年11月15日夜、龍馬が使い走りの峰吉に大好物の軍鶏を買いに行かせたのがこの辺り。「鳥新」は高瀬川に架かる四条小橋の角にありました。待たされた峰吉が戻ってみると既に惨劇の後でした。明治後、「鳥新」は縄手四条上ルに移転し、現在に至ります。
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  • 木戸孝允邸址
  • 木戸孝允邸址
  • 京都を追われ続けた桂が近衛邸を買い取って京に別邸を持ったのは明治2年のこと。明治10年、桂はこの屋敷で病に倒れ、明治天皇の見舞いを受けますが、1週間後に息を引き取ります。当時の建物が「職員会館かもがわ」にて保存されています。必見です!
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東山エリア

龍馬を巡る旅はこの地で終焉を迎えます。二軒茶屋は今なお当時の空気を伝えてくれる老舗茶屋。そして龍馬坂を通って運ばれた龍馬と慎太郎は、現在の京都霊山護国神社へと葬られます。そしてこの地は龍馬と慎太郎のみならず、数多くの幕末の志士たちが眠り、祀られている場所でもあります。彼らの想いを噛みしめながら、ゆっくりと時間をかけて回ることをオススメします。

  • 二軒茶屋 中村楼
  • 二軒茶屋 中村楼
  • 龍馬が暗殺された現場に残されていた2足の下駄のうちの片方が「二軒茶屋中村屋」。創業450年になる老舗で、幕末には多くの志士が訪れました。明治後に「中村楼」と改称。現在は料亭として営業しながら、表では茶屋として名物の豆腐田楽が味わえます。
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  • 龍馬坂
  • 龍馬坂
  • 翠紅館の裏手に竹に覆われたひっそりとした石畳の道があります。観光客も滅多に通らない正法寺へと向かうこの道は、慶応3年11月18日、海援隊士や陸援隊士らによる龍馬と慎太郎の葬列が通った道。いつの頃からか龍馬坂と言われるようになりました。
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  • 京都霊山護国神社
  • 京都霊山護国神社
  • 日本初の官祭招魂社として創建。明治維新の立役者たちが1000人以上祀られています。龍馬と慎太郎、桂と幾松、その他にも久坂玄瑞、吉田稔麿、吉村寅太郎らがこの地に眠ります。また京都市内の眺めや紅葉も見事。京都観光のクライマックスです!
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  • 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
  • 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
  • 京都最重要史跡です。龍馬と慎太郎が眠るこの場所は今でも多くのファンや観光客が訪れます。墓前には寄せ書きが数多く並び、ひっきりなしに参拝客が訪れます。また命日の11月15日には龍馬祭が開催。龍馬の好物であった軍鶏鍋が振舞われます。
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  • 桂小五郎(木戸孝允)・幾松の墓
  • 桂小五郎(木戸孝允)・幾松の墓
  • 薩摩の西郷、大久保と共に維新三傑と称され、維新後は長州閥の重鎮として文明開化を推進した桂。西南戦争の最中病に倒れ、西郷の行く末を案じたまま息を引き取りました。「同志と共に眠りたい」という遺言に基づき松子夫人(幾松)と共にこの地に眠ります。
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  • 維新の道
  • 維新の道
  • 東大路通りを折れた坂道で、京都霊山護国神社、霊山歴史館、幕末に志士たちが聖地と崇めた霊明神社へと続きます。第二次大戦後荒廃しますが、明治100年を記念し、再整備され「維新の道」となりました。題字は故・松下幸之助氏によるものです。
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  • 坂本龍馬・中岡慎太郎像
  • 坂本龍馬・中岡慎太郎像
  • 枝垂桜で有名な円山公園内にある龍馬と慎太郎の銅像。京都の高知県人会により建立されるも戦争のため没収。昭和37年に再建されました。今も年に一度県人会による清掃が行われます。ちなみに原型が霊山護国神社にある龍馬・慎太郎像となります。
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  • 霊山歴史館
  • 霊山歴史館
  • 全国唯一の幕末・明治維新の専門博物館!5000点を越える所蔵品の中から約100点が公開展示。龍馬を切った刀や近藤勇の鎖帷子という当時の資料から再現模型や再現映像まで展示も工夫がされており、分かりやすく幕末が分かります!
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