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手紙でめぐる龍馬とニッポン

ドラマの世界観で旅路を楽しもう!ロケーションベースマガジン龍馬伝誕生。詳細はこちらから

長崎の龍馬史跡

亀山エリア

長崎篇はまずは亀山エリアから!龍馬之像に亀山社中、資料展示場(ここの海援隊手拭いはカッコいいです!)も外せません。ぶーつ像で写真を撮ったらあとは時間を見ながら行く場所を選んで!龍馬通り沿いには野良猫がチラホラ。長崎はとにかく猫が多い街。そんな長崎猫は尻尾がくるりと曲がっています。気を取り直して龍馬史跡です!数を攻めるか、のんびり息吹を感じるか。とにかく数が多いですから、計画的に周りましょう!ちなみにこのエリアは意外とすぐに全部周れてしまいますよ!

  • 坂本龍馬之像(風頭公園)
  • 坂本龍馬之像(風頭公園)
  • この銅像、とにかくカッコいいです!長崎が一望しつつ銅像と同じポーズで写真を撮る人、続出中です。左足が台座からはみ出ているのは型破りな性格を表しています。平成元年「龍馬の銅像建つうで会」の募金活動で建てられました。作は長崎市在住の彫刻家・山崎和國氏によるものです。
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  • 司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑(風頭公園)
  • 司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑(風頭公園)
  • 何はともあれ司馬遼太郎氏「竜馬がゆく」が理想の龍馬という人は多いはず。碑には長崎に関連した一節が小説から抜粋されて刻まれています。こちらは「亀山社中ば活かす会」により平成10年に建立されたもの。龍馬之像と向かい合って立っています。
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  • 長崎市立亀山社中記念館
  • 長崎市立亀山社中記念館
  • 慶応元年(1865)、龍馬が仲間と組織した日本初の商社!海運業や武器斡旋を行い、犬猿の仲の薩摩藩と長州藩を利害によって結びつけました。記念館は社中の跡地に復元され、龍馬の隠し部屋なども再現されています!長崎最重要史跡のひとつです!。
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  • 龍馬のぶーつ像
  • 龍馬のぶーつ像
  • 記念館のすぐそばに亀山社中創設130年(1995)に設置された龍馬のブーツのモニュメントがあります!ブーツに靴のまま足を入れて舵を握って、写真を撮りましょう!この遊び心は長崎ならでは!ちなみに市内には龍馬ブーツを作れるお店もあります。
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  • 上野彦馬の墓
  • 上野彦馬の墓
  • 龍馬之像のすぐ脇に上野彦馬の墓があります。絵師の家系に生まれた彦馬は、父と共に写真技術の習得と普及に多大な功績を挙げ、日本初のプロカメラマンとなりました。彦馬は龍馬だけでなく、多くの幕末の志士たちを撮影し、後には西南戦争にも従軍しました。
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  • 亀山社中資料展示場
  • 亀山社中資料展示場
  • こちらも記念館の近くにあります。もともと「亀山社中ば活かす会」が亀山社中跡(現・記念館)で一般公開していたものを展示。龍馬に関する話が聞けたり、写真が撮れたりと龍馬を身近に感じられる施設。海援隊旗の手拭い等オリジナルグッズにも注目です!
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  • 龍馬通り
  • 龍馬通り
  • 寺町の深崇寺と禅林寺の間の路地から、亀山社中記念館〜風頭公園まで続く急な勾配の小道はかつて龍馬や社中の仲間が行き来した道。長崎らしい、細い道が続きます。時間を気にせず、のんびり歩いて龍馬たちの息吹を感じましょう!
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  • 若宮稲荷神社
  • 若宮稲荷神社
  • 亀山社中の下、楠木正成を祀る同社は「勤皇稲荷」とも呼ばれ、龍馬たち社中の志士の尊崇を集めました。境内には風頭公園の龍馬像の1/3の原型も移設されています。また龍馬の絵馬もあり要チェックです。すぐ下に龍馬らが遊んだ料亭・藤屋跡があります。
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  • 玉川亭跡
  • 玉川亭跡
  • 龍馬通りを下り、寺町通りを越え、中島川に突き当たると、龍馬が土佐藩士佐々木高行とともに、長州の桂小五郎や伊藤俊輔(伊藤博文)と会談した玉川亭跡があります。現在は幼稚園となっていますが、当時は川魚が食べられる料亭として川に面していました。
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  • 上野撮影局跡
  • 上野撮影局跡
  • 玉川亭跡から中島川に沿って少し上がると、彦馬が開いた日本初の写真館「上野写真局」の跡があります。龍馬の写真が撮られたのはこの場所!当時の写真は薬品の臭いがひどく、彦馬は周辺住民に長崎奉行所へ訴えられたこともあるとか。
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長崎駅周辺エリア

このエリアには大河ドラマ「龍馬伝」好きにはたまらない長崎歴史文化博物館の龍馬伝館があります!けれどもオススメはなんと言っても聖福寺。唐寺という異国情緒を感じさせつつ、いろは丸事件の談判が行われた当時のままに残る姿は時間の経過も感じさせ、まさに圧巻。このエリアで必ず押えたい龍馬史跡です!

  • 長崎歴史文化博物館
  • 長崎歴史文化博物館
  • 復元された長崎奉行所が見所!また期間限定(2011年1月10日まで)で龍馬伝館がオープン!大河ドラマ「龍馬伝」やドラマの裏側の紹介などがドラマの進行に併せて3期に分けて展示されます。またこちらのミュージアムショップはかなり充実しています!
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  • 聖福寺
  • 聖福寺
  • 1677年に創建された黄檗宗の唐寺で「いろは丸」事件の談判が行われた場所。当時のままに残るその姿と庭は異国情緒漂いつつも時間の流れを感じさせ、正に圧巻の景観です。長崎龍馬最重要史跡の一つです。勝負事に勝ちたい人にもオススメの場所です。
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  • 福済寺
  • 福済寺
  • 1628年創建の黄檗宗の唐寺。元治元年(1864)に龍馬が勝に連れられて初めて長崎の地を訪れた際の逗留先がここ。勝と龍馬が相撲を取った逸話がお寺に残されています。戦前は国宝でしたが残念ながら原爆により全焼。羅漢像や灯篭が当時のまま残ります。
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  • 本蓮寺(沢村惣之丞の墓)
  • 本蓮寺(沢村惣之丞の墓)
  • 1620年創建の日蓮宗の寺院で海軍伝習所時代の勝が境内に4年間滞在し、お久(梶クマ)とのロマンスがあった場所。龍馬と共に脱藩した海援隊士・沢村惣之丞は龍馬の死後、長崎奉行所占拠の際に誤って薩摩藩士を射殺。責任を取って切腹しました。
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  • 後藤象二郎宅跡
  • 後藤象二郎宅跡
  • 藩命にて武器や軍艦の買い付けに長崎へとやってきた土佐藩参政・後藤象二郎の居宅跡です。後に岩崎弥太郎が譲り受けました。現在のテレビ長崎の正面玄関左横に碑が立っています。
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  • 小曽根家宅跡(海援隊本部跡)
  • 小曽根家宅跡(海援隊本部跡)
  • 豪商・小曽根家の邸宅跡。長男・乾堂や海援隊士でもあった四男・英四郎は金銭的に龍馬や社中をバックカップ。後の海援隊本部はここ!龍馬の幼馴染・饅頭屋こと近藤長次郎が密航未遂の罪で切腹したのもここです。現在は長崎地方法務局が立ちます。
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まちなかエリア

期間限定ですが、長崎まちなか龍馬館は龍馬初心者には非常に優しい展示!パネル中心ですが、是非御覧あれ!さらにここのショップは龍馬グッズ市内随一の品揃えかも!まとまったお土産はここで買うのがオススメです!出島は中をじっくり回るのもオススメですが、川から眺める石垣と付近の舗装に注目。当時の出島の形がよく分かります。じっくり見ると結構時間がかかります。

  • 出島
  • 出島
  • 龍馬が長崎に最後に滞在した時のビジネスがハルトマンから土佐藩用のライフル銃1,300挺を買うこと。出島に残る旧石倉はハルトマンが使用していた倉庫で龍馬も行ったことでしょう。出島に行くと当時の海岸線がどこにあったのかを実感できます!
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  • 長崎海軍伝習所跡
  • 長崎海軍伝習所跡
  • 安政2年(1855年)オランダの協力を得て幕府が長崎奉行所・西役所内に創設した海軍養成学校跡です。1859年に閉鎖されるまで勝や榎本武明らを輩出しました。ちなみに観光丸が練習船として使われたのはここ。現在は長崎県庁となっており、碑のみが残ります。
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  • 土佐商会跡
  • 土佐商会跡
  • 土佐藩が1866年に設置した長崎出張所。後藤より岩崎弥太郎が運営を任され、武器輸入などを行いました。弥太郎は同時に海援隊の資金管理も担当しました。ちなみに実際の土佐商会はこちらの交差点付近。鐵橋の手前に碑が建っています。
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  • 薩摩藩蔵屋敷跡
  • 薩摩藩蔵屋敷跡
  • 薩摩藩はここを拠点に亀山社中への援助を行いました。龍馬も幾度と通ったことでしょう。薩長同盟締結時には秘かに長崎に入った長州藩の伊藤博文や井上馨などもこちらにかくまわれていました。今はほぼ同じ敷地に三菱UFJ信託銀行が建っています。
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  • 長崎まちなか龍馬館
  • 長崎まちなか龍馬館
  • 初心者には龍馬が分かりやすく、ファンには清風亭の調度品が楽しめる展示施設。期間限定ですがかなり楽しめます!1Fのショップには龍馬グッズが満載。お土産は是非こちらがオススメ。またカフェ機能も併設しており、龍馬が愛した珈琲ほかが頂けます。
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  • 清風亭跡
  • 清風亭跡
  • 龍馬が盟友・武市半平太を殺した仇敵・土佐藩参政の後藤象二郎と初会談を行った料亭跡。利害関係と共に意気投合した2人から大政奉還へと繋がっていきます。長年場所が不明とされていましたが2009年に特定されました。こちらも当時を偲ぶのはやや困難なスポットです。
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  • 大浦慶居宅跡
  • 大浦慶居宅跡
  • 幕末から明治にかけて日本茶の輸出で一代を築いた女傑「大浦慶」の住居跡。龍馬や陸奥宗光を始めとする志士たちの経済的な援助も行っていました。当時は426坪の広大な敷地で長崎を代表する庭園を擁しました。晩年は不遇でしたが、死の直前に明治政府より功労褒賞が贈られました。
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  • 晧台寺(近藤長次郎の墓)
  • 晧台寺(近藤長次郎の墓)
  • 江戸初期に建立された曹洞宗の寺で、豪商・小曽根家の墓地内に近藤長次郎の墓があります。龍馬は彼を弔うためにこの地を訪れました。(以前はもっと上にあったとか)。上野彦馬の墓(龍馬之像のすぐ近く)、シーボルトの日本人妻・滝のお墓もこちらです。
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丸山・東山手エリア

幕府公認の3大遊郭の一つ・丸山は当時の社交場、高級サロンとしても機能としました。龍馬を始め、社中の仲間たちもかなり出入りしていたよう。岩崎弥太郎の日記にも通った記述が出ています。路地の石畳や、現在は個人宅と思われる町屋造りの建物などに当時の面影を偲ぶことができます。 また東山手は観光地としてはお馴染みですが、龍馬という視点で見直すと、当時と同じ雰囲気が味わえる貴重な史跡です。是非もう一度訪れてみることをオススメします!

  • 史蹟料亭 花月
  • 史蹟料亭 花月
  • 1642年創業の老舗料亭で現存する唯一の丸山遊郭の建物。イカルス号事件当時、花月で遊んでいた海援隊士・菅野覚兵衛、佐々木栄に嫌疑がかけられた。事件後に龍馬は奉行所に苦 情書を提出。その下書きが残されています。
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  • 中の茶屋
  • 中の茶屋
  • 遊女屋「中の筑後屋」が茶屋を設けていた場所で、花月楼と共に丸山(寄合町)の二大茶屋として知られます。花月楼と共に「長崎ぶらぶら節」で謳われ、長崎奉行の市中巡検の際には休憩所ともなりました。庭が当時のままに残されています。
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  • 坂本龍馬之像(丸山公園)
  • 坂本龍馬之像(丸山公園)
  • 平成21年11月に丸山公園に建てられた龍馬像で、ちょっとスマした龍馬像です。懐にピストル、右手には懐中時計、更には台座の龍の尻尾が背面でハートになるなど小ネタ満載です。台座が低いので並んで写真を撮れるのも特徴的!
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  • 唐人屋敷跡
  • 唐人屋敷跡
  • 幕府により1689年に建設された中国人居留地。現在は四堂のみが修復改築されて現存します。出入りを許されていたのは遊女と僧侶だけでしたが、龍馬が長崎に入ったのは開国後。好奇心旺盛にこの地を訪れたことでしょう。今でも異国情緒たっぷりです。
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  • 運上所跡
  • 運上所跡
  • 海援隊士が疑われたイカルス号事件の裁判が行われたのが長崎奉行・立山役所(慶応三年8月18日)とここ(翌19日)。龍馬は才谷梅太郎の名で裁判に立ち会いました。その時の糺門が掲示板に記されています。現在は市民病院が建っています。
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  • 旧グラバー邸(グラバー園)
  • 旧グラバー邸(グラバー園)
  • イギリス人貿易商トーマス・グラバーの館。グラバー商会は船や武器の輸入で幕末の政治情勢に深く関わり、龍馬も幾度となくここを訪れています。当時この文化に触れた龍馬たちはどれほどの刺激を受けたことか。志士たちを隠す天井裏の隠し部屋もあります。
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  • 旧オルト邸(グラバー園)
  • 旧オルト邸(グラバー園)
  • イギリス人貿易商ウィリアム・オルトの館です。土佐藩との結びつきも深く、オルト商会から多くの船や武器を購入しています。弥太郎の日記によれば聖福寺でのいろは丸事件の裁判の後、龍馬と後藤象二郎、弥太郎がこの地を訪れています。
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ちょっと離れているけれど、ここまで来たら行ってみたい!

こちらは長崎市内から少し離れたところにある龍馬史跡です。当時の龍馬の気分を味わうには復元された観光丸に乗るのが一番!龍馬が勝に同行した初めての来崎を追う旅は中村家⇒鍋島邸と辿り、島原湾を船で越えて熊本県に入り、四時軒⇒群像⇒二重峠⇒的石と続きます。また熊本には龍馬に大きすぎる影響を与えた横井小楠がいました!ここでの注目は五島列島。池内蔵太らの墓をお参りしつつ、世界遺産暫定リストに登録された教会郡を見て、五島うどんや海の幸を満喫する!龍馬が全国各地を周ったということを痛感させられる場所のひとつとなっています!

  • 観光丸
  • 観光丸
  • 1855年にオランダから徳川幕府に献上され、長崎海軍伝習所の練習艦となった日本初の蒸気帆船。勝海舟、榎本武揚らを育て、神戸海軍塾にて龍馬らの練習船となりました。2代目は当時の設計図と模型を元にオランダにて完全復元。龍馬の船が体感できます。
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  • 坂本龍馬ゆかりの広場
    (池内蔵太らの墓)
  • 坂本龍馬ゆかりの広場(池内蔵太らの墓)
  • 1866年グラバーから購入した練習船ワイル・ウエフ号が暴風で遭難。池内蔵太ら12名が死亡しました。潮合崎を望む広場に石碑が、江ノ浜の共同墓地に隊士らの墓があります。「塩谷そど(騒動)」という歌も伝わっており、毎年5月に殉難者墓前祭が行われます。
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  • 中村家屋敷(島原城下本陣跡)
  • 中村家屋敷(島原城下本陣跡)
  • 文久4年に勝のお供をして初めて長崎に入った龍馬。往路はこの屋敷で休憩を取り、復路は宿泊したと伝えられています。現在跡地には碑のみが残り、移築された屋敷の門が現存しており、外から見ることができます。※個人宅であり、外観のみ眺めることが可能です。
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  • 神代小路・鍋島邸
  • 神代小路・鍋島邸
  • 領主・鍋島氏の陣屋跡。元禄期の建築の長屋門や主屋、明治・昭和期の近代和風建築の書院座敷などは威厳たっぷり!こちらは文久4年の復路にて、ここで昼食をとっています。
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  • 四時軒(しじけん)
  • 四時軒(しじけん)
  • 熊本の思想家・横井小楠の家塾で、龍馬は元治元年に2度、慶応元年に1度訪問しています。客間は現存し、九州エリア龍馬関連最重要史跡の一つです。隣接の記念館には勝の手紙他、暗殺時の小刀や、血染めの羽織などの遺品も展示されています。
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  • 横井小楠と維新群像
  • 横井小楠と維新群像
  • 熊本城下・高橋公園内に小楠の生誕190年と没後130年を記念して建立。横井、勝、松平春嶽と龍馬の3人の師匠が並び、そこに龍馬と後の熊本県知事で横井の改革を現実化した細川護久の計5名が並ぶ珍しい銅像です。銅像マニアは必見です!
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  • 二重峠石畳
    (ふたえのとうげいしだたみ)
  • 二重峠石畳(ふたえのとうげいしだたみ)
  • 現存する石畳としては国内最長で阿蘇の外輪山を越える峠道に約1.6キロ続いています。勝と龍馬はこの峠を文久4年2月20日と元治元年4月7日に越えています。「阿蘇の脚甚だ広く、田野あり」と記した広大な風景が目の前に広がります!
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  • 的石御茶屋跡
    (まといしおちゃやあと)
  • 的石御茶屋跡(まといしおちゃやあと)
  • 二重峠石畳の近くに的石御茶屋跡があります。御茶屋とは藩主の休憩所のこと。幕臣・勝の一行は二重峠を登る前にここで休憩。勝の日記に「領主小休の亭あり。素質、底は山泉一面に流る」と記された庭が現存しています。現在は個人宅であり、隣の隼鷹天満宮より一部を見ることが可能です。
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