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手紙でめぐる龍馬とニッポン

ドラマの世界観で旅路を楽しもう!ロケーションベースマガジン龍馬伝誕生。詳細はこちらから

鹿児島の龍馬史跡

鹿児島エリア

脱藩直後に入国を拒まれながらも、やがて小松や西郷に招かれる形で龍馬は薩摩を訪れます!小松や西郷の家に泊まり、桜島を見て、集成館を見学します。鹿児島では「西郷さん」を抜きにしては語れない土地。龍馬の足跡を押えつつも、西郷さんの前で写真を撮ったり、のんびりと加治屋町周辺を歩いてみたり、それから南州墓地を訪れてみてください。薩摩の志士たちを培った風土が体感できるかもしれません。ちなみに、仙巌園は特にオススメですので、ゆっくりと時間をかけて周ることをオススメします!

  • 坂本竜馬新婚の旅碑
  • 坂本竜馬新婚の旅碑
  • 寺田屋で襲撃され負傷した龍馬は、傷の療養を兼ねて薩摩に招待されました。小松帯刀、西郷、大久保利通、吉井友実らに引き連れられて、お龍と上陸したのがここ天保山。今では埋め立てられましたが、運河沿いの松林が当時の海岸線を思い起こさせます。
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  • 西郷隆盛生誕地
  • 西郷隆盛生誕地
  • 1827(文政10)年、西郷が生まれたのがここ。下級藩士が住んだ加治屋町からは、他にも東郷平八郎、山本権兵衛、大山巌、大久保利通など錚々たる人物が輩出します。それを支えたのが薩摩独自の郷中(ごちゅう)教育。近くには学び舎も再現されています。
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  • 西郷南州翁宅地跡
  • 西郷南州翁宅地跡
  • 1865年、1866年に龍馬が薩摩を訪れた際、泊まった西郷の家がここ。雨漏りがひどく、西郷の妻が文句を言っていたというエピソードは有名な話。生誕地の甲突川対岸に位置し、こちらも現在は共研公園となっており、石碑が立てられています。
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  • 小松帯刀邸跡
  • 小松帯刀邸跡
  • 1865年の薩摩訪問時、1866年の寺田屋襲撃後と、龍馬が薩摩で最も多く滞在したのがこちら。現在は個人宅であり外観を眺めるのみとなっています。小松は年下ながら家老として西郷や大久保を保護、龍馬の支持者でしたが維新後36歳で病死しています。
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  • 維新ふるさと館
  • 維新ふるさと館
  • 西郷、大久保、大山巌、東郷平八郎など多くの偉人が生まれ育った加治屋町にあります。薩摩藩や幕末について非常に分かりやすく、かつしっかりと展示されており、思わず時間を忘れてしまうほど。薩摩を知るには外せない施設です。映像も必見。
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  • 鹿児島県歴史資料センター 黎明館
  • 鹿児島県歴史資料センター 黎明館
  • 鶴丸城本丸跡に建つ歴史資料館で、現在でも濠,石垣,石橋などが残り、西南戦争時の銃痕も見ることができます。現在は所蔵(寄託含む)する龍馬関係資料を展示しており、幕末期の鹿児島の歴史が学べます。(展示期間平成22年2月26日から約1年間)
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  • 西郷隆盛像
  • 西郷隆盛像
  • 何はともあれ鹿児島を訪れたら、西郷さんに会いに行かないわけにはいきません!台座を含めて高さ8m。自決した城山をバックに、桜島を向いてどんと立つ姿は誇らしげです。制作は渋谷のハチ公像を制作した安藤照氏。鹿児島屈指の写真スポットです!
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  • 小松帯刀像
  • 小松帯刀像
  • 西郷も大久保も、小松なくては活躍できなかったと言われるほどの小松の像は西郷隆盛像と道を挟んで反対側に。龍馬にとって小松は亀山社中の大切なパトロンでした。明治3年僅か36歳で病死。小松がいれば西南戦争もなかったとも言われるほどの人物です。
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  • 西郷南州顕彰館・南州墓地
  • 西郷南州顕彰館・南州墓地
  • 1877年(明治10)9月24日、城山で西郷が切腹し、西南戦争は幕を閉じました。この地に幕末に活躍した薩摩の士2023人が眠ります。西郷の左には桐野利秋、右には篠原国幹らが並びます。隣接して西郷南州顕彰館、南州神社があります。
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  • 仙巌園
  • 仙巌園
  • 19代島津光久により万治元年(1658)に作られた別邸。桜島を築山に、錦江湾を池にみたてた回遊式庭園は圧巻!広大な庭園内に、錫門や磯御殿、勝と島津斉彬が会談した望嶽楼など見どころは尽きません。半日ぐらいかけてゆっくりと回ってください!
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  • 旧集成館
  • 旧集成館
  • 28代島津斉彬は富国強兵・殖産興業を推進するため、仙巌園の隣接地に造船・製鉄・紡績・ガラス・電信・ガス灯など様々な分野に及ぶ集成館事業を興しました。龍馬も1865年にここを見学。旧集成館(国史跡)ほか世界遺産暫定リストに記載されています。
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霧島エリア

日本初の新婚旅行の地、霧島!ここは絶対に高千穂峰に登ってみてください!片道2時間と決して楽な行程ではないのですが、龍馬の手紙を正にそのままに体験することができる非常に貴重な場所です!もちろんヘビーな龍馬ファンでなくとも登山中の景色のダイナミックさにはただただ圧倒されます。さらにここ霧島は温泉天国!あちこちから湯気が立ち昇ります!新しく再オープンする塩浸温泉、湯量と大きさに圧倒される硫黄谷温泉、雰囲気抜群の栄之尾温泉、地元に愛される西郷どん湯などなど。どの温泉もオススメですのでたっぷり時間をかけましょう!

  • 浜之市
  • 浜之市
  • 龍馬とお龍が吉井幸輔(友実)に連れられて、鹿児島から霧島に入ったのがここで、遠く高千穂峰を眺めることができます。龍馬は慶応2年の3月16日〜4月12日まで25日間を霧島で過ごしました。龍馬とお龍は帰り際にも船待ちのためこの辺りで1泊しているようです。
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  • 西郷どん湯(日当山温泉)
  • 西郷どん湯(日当山温泉)
  • 今も地元に愛され、「元湯」と呼ばれる日当山最古の自噴泉!当時は地下にありました。龍馬はこの辺りに行きに1泊、帰りに3泊しています。後に征韓論で下野した西郷が通ったので西郷どん(せごどん)湯と言われますが龍馬が入った可能性もかなり高いです!
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  • 塩浸温泉(坂本龍馬・お龍新婚湯治の碑)
  • 塩浸温泉(坂本龍馬・お龍新婚湯治の碑)
  • 江戸〜明治にかけて繁昌した温泉で、龍馬は傷の治療を兼ね、霧島登山の前後18泊しました。魚を釣り、ピストルで鳥を撃つ等、人生で最もリラックスした時間だったよう。2人が浸かった湯船が崖下に残ります。現在工事中ですが、5月1日に再オープンします!
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  • 和気神社
  • 和気神社
  • 藤まつりで有名な和気清麻呂を祭った神社です。奈良時代、道鏡に都を追われた和気清麻呂が過ごした場所と伝えられ、龍馬は「和気清麻呂がいおりおむすびし所」と紹介しました。龍馬とお龍の新婚旅行記念碑があり、2人を記した絵馬が大人気!
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  • 犬飼滝
  • 犬飼滝
  • 和気神社からは徒歩10分の場所にある高さ36mm、幅22mの美しい滝。龍馬は乙女姉さんへの手紙で「陰見の滝」と紹介し、「この世のものと思えないほど珍しい場所」と感動しました。道路沿いでは上から見るだけですが、ここは是非下まで行ってください!
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  • 硫黄谷温泉
  • 硫黄谷温泉
  • 龍馬たちが高千穂峰登山前日に宿泊したのがこちら。湯船は現存しないものの源泉は同じ。なにはともあれこのスケール感に圧倒されてください!ホテル内には龍馬の展示スペースやお土産所もあります。ちなみに小松帯刀は龍馬らにカステラを持たせたとか。
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  • 栄之尾温泉
  • 栄之尾温泉
  • 渓谷沿いに8つの湯船が並ぶ秘湯で、島津家当主らが湯治し、小松帯刀が好んだ温泉地です。小松の日記によると龍馬が見舞いに訪れたのは3月28日。温泉も楽しんだことでしょう。現在は緑渓湯苑として、昼は水着で、夜は宿泊者のみ入浴することができます。
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  • 高千穂峰
  • 高千穂峰
  • 「天孫降臨」の山で龍馬とお龍は3月29日に登山。馬の背越えでお龍の手を引き、ツツジに感動し、山頂で天の逆鉾を引き抜きます。今は高千穂河原まで車で行けますが、当時は硫黄谷温泉から徒歩・・・。当時の人の健脚ぶりに脱帽です!
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  • 霧島神宮
  • 霧島神宮
  • 天孫ニニギノミコトを祀り、高千穂峰の背門丘に鎮座するも噴火により炎上。高千穂河原を経て現在地に至ります。龍馬とお龍の二人は高千穂峰登山後に参拝。御神木の大杉を見ました!ちなみに当時の参道は亀石坂。苔むした参道の雰囲気、オススメです!
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  • 華林寺跡
  • 華林寺跡
  • 霧島神宮の別当寺で、志坊が7つもある大きな寺でした。慶応2年3月29日、高千穂峰に登山した龍馬とお龍が下山して宿泊したのがこちらの宿坊です。明治の廃仏毀釈により徹底的に破壊され、現在は石垣や累代の住職の墓が点在し往時を偲ばせます。
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  • 西郷公園
  • 西郷公園
  • 鹿児島空港を下りるとドンと正面にそびえ立つのがこちら。高さ11m、重さ30tの日本一の人物像です。細かいことは抜きにして、まずはその圧倒的存在感の前で写真を撮ることをオススメします。資料展示室もあり、西郷の歴史を学ぶこともできます。
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