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手紙でめぐる龍馬とニッポン

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東京の龍馬史跡

龍馬の東京(江戸)史蹟なんてあるの?意外にも龍馬と江戸の関係は深く、2度に渡る剣術修行や脱藩後に勝海舟に弟子入りした時を含めるとその生涯において少なくない時間をこの地で過ごしています。現存する史蹟はほとんどなく、一見ものすごく難易度が高い龍馬史蹟と思われがちですが、意外や意外、銀座・有楽町・東京駅近辺に集中する龍馬の関連史蹟を歩いて巡ると、龍馬の当時の生活範囲、更には当時の江戸の町というものをかなり明確にイメージできる優れものです。スタートは土佐藩上屋敷があった東京国際フォーラム、もしくは土佐藩中屋敷があった中央区役所あたりから始めましょう。頑張れば半日あれば巡れる東京の龍馬史蹟巡り、是非体験してみてください!

  • 土佐藩上屋敷跡
  • 土佐藩上屋敷跡
  • 龍馬が最初の剣術修行で江戸に出てきた嘉永6年(1853)に滞在したのが現在の東京国際フォーラムの辺りです。かつては上屋敷跡碑がありましたが現在はありません。当時を想像するのは難しい場所ですが、東京の龍馬史蹟巡りはここを拠点に始まります!
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  • 土佐藩中屋敷跡
  • 土佐藩中屋敷跡
  • 有楽町の東京国際フォーラムからは銀座を通って歩いて10分ほど。2度目の剣術修行時に武市半平太と共に滞在したのが現在の中央区役所の辺りです。ここも当時を想像するには非常に難易度が高い場所ですが、辺りは確実に龍馬が歩いていた場所です。
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  • 千葉定吉道場跡(1)
  • 千葉定吉道場跡(1)
  • 2説あり、まずは玄武館から程近い日本橋堀留町1丁目付近を紹介。嘉永6年の古地図に千葉定吉の名があり有力視されています。碑や看板も一切なく、どこが跡地付近なのかも分かりにくいですが、近くの椙森神社が当時の姿を残しています。
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  • 千葉定吉道場跡(2)
  • 千葉定吉道場跡(2)
  • もう1ヶ所が東京駅八重洲口鍛冶橋交差点北東、八重洲ブックセンターの北隣。明治3年に千葉重太郎の住所が「桶町三十一番地」だったことから推定されます。龍馬が学んだ時期にここだったかどうかは分かりませんが、実際に歩くと上・中屋敷からほど近いこちらではないかなと思ってしまいます。
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  • 玄武館跡
  • 玄武館跡
  • 上屋敷・中屋敷から徒歩20分強で神田お玉ヶ池・千葉道場に着きます。北辰一刀流創始者・千葉周作は龍馬修行時には高齢だったため、龍馬は弟・千葉定吉道場に学んだとも。旧千桜小学校跡地に碑が立っています。龍馬も試合や稽古などで出向きました。
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  • 桃井道場(志学館)跡
  • 桃井道場(志学館)跡
  • 龍馬2度目の剣術修行時には龍馬の盟友・武市半平太も同時に江戸に出ていました。武市が剣術を学び、塾頭となったのが江戸3大道場の1つ、桃井春蔵の士学館。中屋敷からは徒歩5分ほど。現在は京橋プラザ前の公園に小さな看板が出ています。
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  • 佐久間象山邸跡
  • 佐久間象山邸跡
  • 龍馬が佐久間象山の下で西洋砲術を学んだのは象山が吉田松陰に渡米密航を勧めた罪で逮捕されるまでの僅か4ヶ月間。龍馬、最初の江戸留学中でした。土佐藩上屋敷から程近い、銀座東5丁目付近。現在の電源開発本社ビル付近が邸跡です。
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  • 越前福井藩邸跡
  • 越前福井藩邸跡
  • 脱藩直後の文久2年(1862)、龍馬はここで幕府の政治総裁職だった松平春嶽と面会しました。皇居の程近くで千葉定吉の道場からは徒歩10分ほど。今はNTTてれぱーくが立つ辺りです。この時に横井小楠、勝海舟への面会状を入手したと言われています。
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  • 勝海舟邸跡
  • 勝海舟邸跡
  • 龍馬が千葉重太郎と共に訪れ、その場で弟子入りをしたのがこの場所。現在はGABYというバーがあり、その前に碑が立っています。当時の面影を想像するのは困難ですが、近くの氷川神社を訪れれば、赤坂の地を愛した勝の気持ちを感じることができます。
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  • 幕府軍艦操練所跡
  • 幕府軍艦操練所跡
  • 勝海舟が頭取を勤めた操練所に龍馬が通ったのは脱藩以降。中屋敷から徒歩10分ほど。現在は築地市場の建物が建ち、看板があります。元治元年(1864)将軍家茂上洛の際に、護衛目的で勝と共にここから幕府船の観光丸で出航、大阪に入りました。
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  • 浜川砲台跡
  • 浜川砲台跡
  • 龍馬最初の留学時、品川警護を命じられて配置されたのがこの付近。ここからペリーの黒船を見て大変なショックを受け、父・八平宛に手紙を書きました。最近礎石と思われる石が出土し、据えられています。龍馬が寝泊りをした土佐藩下屋敷が浜川中学校周辺。
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  • 勝・西郷会見の地碑
  • 勝・西郷会見の地碑
  • 勝は坂本龍馬を見出した人物ですが、その最大の偉業は江戸を戊辰戦争の戦火から救ったことかもしれません。慶応4年3月14日、勝と西郷隆盛はこの地(旧薩摩藩蔵屋敷)で会談を行いました。このすぐ裏手が海だったなんて、今ではちょっと信じられませんね。
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上野の西郷さんだけじゃないんです。なかなか知られてはいませんが、龍馬像に勝海舟の銅像、ちょっと離れますがお龍の銅像まで。写真を撮るのなら、ここです!

  • 坂本龍馬像
  • 坂本龍馬像
  • 余り知られていませんが、東京でも龍馬に会えます!京浜急行・立会川駅下車すぐの北浜川児童遊園に龍馬が立ちます。これは品川区が浜川砲台の礎石を高知市に送ったお礼として、高知市から贈られたもの。ホテル南水の前にあった強化プラスチック製の龍馬像です。
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  • お龍の銅像
  • お龍の銅像
  • お龍の終焉の地に立つ銅像で、「おりょう会館」(葬祭場)の敷地内にあります。こちらは高知の銅像とは違い、晩年のおりょうの姿。龍馬と別れた後の哀愁が漂います。お龍のお墓を訪れた際には是非立ち寄ってみてください。※「おりょう会館」は葬祭場の為、くれぐれもお静かに見学してください。
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  • 勝海舟の銅像
  • 勝海舟の銅像
  • 龍馬の師であり、江戸を戦火から救った勝海舟。銅像は市民有志によりH15年に建立され、彼がこよなく愛した隅田川近く、墨田区役所前に立っています。勝が生まれ育った墨田区には、勝の生誕地、居住の地などのいくつかの史蹟が残されています。
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  • 西郷隆盛像
  • 西郷隆盛像
  • 脱藩した龍馬を保護した西郷隆盛は、また勝と共に江戸を戦火から救いました。その功績を称えて1898(明治31)年に建立されたのがこの銅像です。草履に着流し姿で上野恩賜公園正面の山王台広場に愛犬とともに立つ姿は、今や東京のシンボル的存在。
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生誕地があれば、終焉の地、つまりはお墓があります。ここ江戸には維新を生き抜き、明治の時代を形作った人たちが多く眠ります。また龍馬の生涯を彩った3人の女性の終焉の地でもありました。東京・青山霊園には龍馬の初恋の人・平井加尾、東京で亡くなるも現在は山梨県甲府市・清運寺に眠る龍馬の許婚・千葉佐那、そして横須賀に眠る龍馬の妻・お龍。龍馬ファンならばこの3ヶ所には是非ともお参りしたいところです。

  • お龍の墓(信楽寺)
  • お龍の墓(信楽寺)
  • 龍馬の死後、高知、京都、横須賀と苦労を重ねたお龍はツルと名乗り、西村松兵衛と結婚。貧困の中、明治39年66歳で亡くなり、神奈川県横須賀市大津町の信楽寺(しんぎょうじ)に眠ります。墓石には贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓と刻まれています。信楽寺には龍馬・おりょう夫婦の等身大の木造座像もあります。
    ※観光地ではなく、お墓ですのでくれぐれもお静かにお参りください。
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  • 千葉佐那の墓(清運寺)
  • 千葉佐那の墓(清運寺)
  • 千葉定吉の3人の娘の長女・佐那。「龍馬の許婚」として終生独身を通し、形見の袴を大事にしました。学習院女子部の舎監などを経て、明治29年59歳で死去。谷中霊園に埋葬後、この地に分骨され現在に至ります。墓石には坂本龍馬室と刻まれています。
    ※観光地ではなく、お墓ですのでくれぐれもお静かにお参りください。
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  • 勝海舟の墓
  • 勝海舟の墓
  • 勝は西郷隆盛との江戸城明け渡し会談の際に立ち寄った洗足池の自然に感嘆し、洗足軒という別邸(現・大森六中)を設けました。今はその近く、洗足池の畔に妻と共に眠ります。その脇には西南戦争で散った西郷隆盛を惜しみ、勝が建てた留魂祠もあります。
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  • 青山霊園
    (後藤象二郎・平井加尾ほか)
  • 青山霊園(後藤象二郎・平井加尾ほか)
  • 桜で有名な青山霊園は日本初の公営墓地で明治7年の開園。土佐から遠く離れたこの地には、後年龍馬の盟友となって大政奉還を完成させた後藤象二郎、龍馬の初恋の人・西山加尾(旧姓・平井加尾)などが眠っています。
    ※観光地ではなく、お墓ですのでくれぐれもお静かにお参りください。
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  • 板垣退助の墓
  • 板垣退助の墓
  • 土佐閥の生き残りとして元勲となるものの征韓論で敗れ下野。自由民権運動を起こし、実質龍馬の跡を継いだような形となった板垣は、生前の希望通り、品川神社の裏(元の「高源院」(東海寺末寺)にひっそりと眠っています。
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  • 雑司が谷霊園
    (千葉定吉・重太郎/ジョン万次郎)
  • 雑司が谷霊園(千葉定吉・重太郎/ジョン万次郎)
  • 池袋の住宅街にある雑司ヶ谷霊園も同じく明治7年に開園。この地にも龍馬の師匠・千葉定吉、兄のように慕った重太郎、また龍馬と同じ土佐出身でアメリカ漂流後に幕府の直参旗本となったジョン万次郎らが眠っています。
    ※観光地ではなく、お墓ですのでくれぐれもお静かにお参りください。
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  • 山内容堂の墓
  • 山内容堂の墓
  • 幕末の四賢候と呼ばれるも、龍馬にとっては土佐勤王党を弾圧され、直接会う機会もなかった土佐藩主・山内容堂。彼が龍馬を知ったのは維新後と言われています。今は遺言により龍馬も訪れた土佐藩下屋敷があった大井公園内に眠ります。
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