釜石の地酒を介して、渋谷の横丁と釜石のプレハブが結ばれました。
冷やして飲んでも、
心は温かく。
冷やして飲んでも、
心は温かく。
三陸の旅。今回、出会う人、出会う人、みなさん、おしゃべり好き。毎日の仕事に疲れて、この日も体力的に心配かな、なんて思っていたのに、どんどん元気になる自分がわかります。なんだかみなさん、心の底からキラキラとしているんです。不思議です。だって…。どうしてもこの件には触れなければなりません。震災と津波です。なかでも三陸は、激烈で壮絶。津波は、容赦という言葉がこの世の中にはないのではないかというほどの獰猛さで襲ってきました。取材先の「渚亭 たろう庵」では、そのときに社長の松本さんが撮影したビデオを見ることができます。静かな海が異常な水位の上昇を見せると、その刹那、堤防をらくらくと超えて松本さんに向かってきます。家々は紙細工のように軽々と舞い、飲み込まれる。ビデオには松本さんの悲痛で、でも、もうなすすべがないと悟ったような弱々しい「逃げてぇ!みんな逃げてぇ…」という声が残されています。今回、あえて被災された方を取材先に選んだわけではありません。どの取材先を選んでも、みな、あの日、大切な何かを失ってしまった人ばかり。たろう庵も、移りたくて丘の上に移ったわけではありません。釜石の名所となったプレハブの横丁も、キッチンカーも、そうしたくてそうしたわけではないのです。車を走らせれば、平穏と傷跡と自然の美しさがモザイクのように現れます。それなのに、みなさん、元気なんです。笑顔がキラキラしているんです。りくカフェのママたちは、何もなければ、そのままの場所で医院や薬局を営み、平穏な毎日を過ごしていたでしょう。今、新しい丘に美しいハーブガーデンをつくり、世界の人や日本の匠や知が交流する場を運営して「とても楽しいわよ!」と言います。BAR LINKの山崎さんは、私たちと一緒になって軽く酔っぱらってくれて、こんなことを言いました。「ここに来てね、楽しく飲んでくれる。それでいいんですよ。で、ここでもちゃんと楽しくがんばって店をやってるやつがいるってわかってもらえれば」。そう、何かをしようなんて思わなくていい。素直に三陸の海に感動して、美味をいただく。そして元気をもらうことが、三陸の人たちの元気になる。たろう庵での夕食のとき、松本さんが微笑みました。「これだけの素晴らしい海の幸があるんですから。漁師は、どんなことがあったって、ここで漁業をやりたいですよ」。宮古の肉厚のわかめをかみ締めたとき、その言葉をしみじみと実感できました。
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外が寒い分、中は暖かい。
カウンターでは自然に会話も進む。 -
「浄土ヶ浜旅館」の若女将が朝ごはんに添えた
直筆のうれしいメッセージ。 -
「渚亭 たろう庵」の松本社長。
優しい笑顔と澄んだまなざしが印象的でした。
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りくカフェ
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高田大隅つどいの丘商店街
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Cafe&Restaurant Hamayui
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かまいしキッチンカープロジェクト
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釜石はまゆり飲食店会
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大寿司
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渚亭たろう庵
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浄土ヶ浜旅館・味処 海舟
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義経北行伝説
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龍泉洞