青森の小さな湊町で、
東京の大学生がポスターを作ったら。
深浦町に住む90歳の岩森わかさんを訪ねた小竿まゆるさん(画像1枚目左)と此下千晴さん(画像1枚目中央)。畑や自作の押し花など日々の暮らしぶりを見せてもらいました。
よそ者だから知り得るまちの魅力を探して
世界自然遺産の白神山麓を望み、深い青を宿す湾に沿うように佇む深浦町。小竿まゆるさんと此下千晴さんの2人がこの小さな湊町を訪れたのは、日本海に照り返す陽の光がきらきらとまぶしい、夏の訪れを感じる2015年6月20日のことでした。
全国各地のまちの魅力を、現地へ赴いて調査する。慶應義塾大学環境情報学部の加藤文俊教授の研究室が主催するフィールドワークがこの日、青森県深浦町で行われました。学生がペアになって地元の一般家庭や商店などを訪問して暮らしぶりを取材し、感じたことを写真と文章で表現したポスターを制作します。よそ者だから知り得るまちの魅力を学生の視点で伝えようという試みです。
2人もこれまでいくつかのフィールドワークに参加してきました。それでも知らない土地で、知らない人にインタビューするのは緊張するもの。まして今回の取材が90歳のおばあちゃんだと聞かされていたので、ちゃんと取材できるだろうか?不自由なく生活されているのだろうか?と不安がよぎりました。しかし出迎えてくれた岩森わかさんは、はっきりとした口調で「写真撮るのはあんまりダメだよ。撮ってもいいのを選んでちょうだいね」と頬を赤らめながら、まるで孫娘が帰ってきたかのような笑顔を見せてくれました。
4時間ほどの取材では岩森わかさんやその家族らと大福餅づくりを体験。生活のすべてが手作りといえるほど、衣食住に生活の知恵と日常を楽しむアイデアがあふれていました。
自分の手で、自分の生活をつくる
わかさんは1925年(大正14年)深浦生まれ。19歳で結婚し、軍人だった夫とともに朝鮮半島へ渡りました。戦況の激化で再び深浦へ戻ってからは、小さな磯舟1艘で海藻やアワビ漁で生計を立てました。「忙しくて寝る暇もなかった。特にここの冬は大変でした」と当時の暮らしぶりを振り返ります。
そんな湊町に暮らすおばあちゃんは、とにかく働き者です。毎朝5時には畑に出て水をやり、草むしり。2人を案内しながら「これがブロッコリー、ナス、トマト、アスパラ、オクラ…。これだけあると毎日仕事があるの」と教えてくれました。数日前には山から50匹もの猿が降りてきてジャガイモを荒らしたそうです。深浦での暮らしは自然との共生です。
農作業を終えると次はわかさんが「仕事場」と呼ぶ、自作の押し花が飾られた居間の一角で洋裁に勤しみます。わかさんのもとには着られなくなったワンピースや着物などが集まってきます。それをズボンや紋付にリフォーム。作品はまちの暮らしの工夫展で入賞するほどです。細部に目を凝らしてみると、元のブラウスのカーブや柄がそのまま活かされていることに2人は気づきました。「すごいなと思いました。それにどれもかわいい!」と千晴さん。不用になった衣服が、わかさんの手で再び息を吹き返すのです。
手仕事がひと段落すると、わかさんは2人に昼食をご馳走してくれました。きゅうりの浅漬け、鮭の昆布巻き、米麹で魚を発酵させて作る「飯寿司(いずし)」と呼ばれる郷土料理…。よそ行きではない、いつもの食卓に並ぶ品々。「東京の人だからお金を使えば何でも食べられるだろうけど、ここはお店も少ないから材料はほとんどもらったもの。何でも自給自足です」とわかさんは微笑みます。
深浦町は青森県内でも高齢化率が3番目に高いお年寄りのまちです。商店も、走る鉄道の本数も少なく、診療所も限られた日数しか開いていません。過疎化が進む地方の暮らしには不便がつきまといます。それでも「都会の暮らしより充実しているように思えた。不便を感じさせない生活の知恵があふれている」。そんなふうに、まゆるさんには映りました。4時間あまりの交流を通じて、自分たちが思い描くお年寄り像とはかけ離れた元気なおばあちゃんの姿に、2人は「生きることが楽しそう」と新鮮な驚きを感じました。
宿舎に戻ってのポスター制作。わかさんへの想いが強くなればなるほど、それをどう伝えるべきか悩む2人。作業は深夜まで及びました。
想いだけで描いちゃいけない気がした
知らないまちを訪れ、そこに住む人々と出会い、話を聞く。そうしてまちに関わりを持つことで知り得る魅力を探し出し、ポスターにする。
宿舎へ戻り、いよいよ制作に取り掛かります。翌日には取材した人やその家族らを招いての成果報告会があります。パソコンを開き、撮影してきた写真を画面上に並べる。そこまでは順調でしたが、やがて手が止まりました。
五感を駆使してわかさんの人となりを見つめてきました。たった数時間であっても会話を交わし、食事を共にした時間がその人への想いを特別なものに変えていく。いつのまにかわかさんのファンになっていたからこそ、伝えるべき言葉が選べない…。
「ポスターをプレゼントするというより、わかさんの日常を記録したものにしたいと思いました。だからこそ私たちの想いだけで描いちゃいけない気がしました」(千晴さん)。気がつけば夜が更けていました。
取材中に撮り貯めた写真を見返して気がついたことがありました。わかさんの「笑顔」と「手」ばかりを写していたのです。「自分の手で、自分の生活を作っていた。それを大変なこととしてやっているのではなく、普通にやっていることのように思えた」とまゆるさんはつぶやきました。
“日常を作る”ということをポスターを見た人にわかってもらいたい。わかさんはこういう人だよねって感じて欲しい。この瞬間、2人の想いが一致しました。