「みちや荘」は地元霧島のおばちゃん達がささやかなおもてなしをしている何処にでもある小さな温泉宿です。霧島温泉郷の中心地「霧島温泉市場」(観光案内所やコンビニ)まで車で1分、徒歩10分の立地にあるので車利用の方は、宿前の駐車場から霧島探索ドライブにお出かけするなど、便利に使っていただけます。
徒歩で約10分
小さなお子様からご年配の方まで幅広く楽しめる乗馬コースが充実しています。 また、天候に左右されずいつでも乗馬を楽しんでいただける室内馬場もあります。
徒歩で約15分
上流の林田温泉や硫黄谷温泉の温泉水を集めて落ちる珍しい湯の滝です。高さ23m、幅16mと豪壮にして華やかな滝で、夜にはライトアップされます。秋には紅葉が映え、冬には湯けむりが立ちのぼります。
徒歩で約10分
霧島温泉郷の中心エリアにあり、霧島の物産店や足湯(入浴100円)、観光案内所などが入る複合施設です。温泉の蒸気を利用した温泉たまごや紫芋の餡入り温泉まんじゅうが人気です。
車で約3分
陶芸工房、屋久杉資料館などの見学や、ろくろを使っての陶芸体験(1890円〜)が出来ます。実演見学や陶芸体験、みやげ選びにも格好のスポットです。
車で約5分
広大な敷地に音楽ホール、野外音楽堂、眺望広場が点在した霧島国際音楽ホールです。音楽ホールは、世界音響学会で奇跡のホールと称えられた音響を誇り、夏には霧島国際音楽祭をはじめ、ミニコンサートを開催しています。
車で約10分
霧島神話の里公園は霧島屋久国立公園内にあり、「道の駅霧島」としても広く親しまれております。レストランや特産品のコーナーの他、園内には展望広場や楽しい施設がいっぱい!入園・駐車場は無料ですのでお気軽にお立ち寄りください。
車で約20分
霧島町中央部にある神代の創建という古社です。噴火によって何度か移転しており、その雰囲気は老杉が茂り荘厳です。6 世紀に造られ、ニニギノミコトを祀っています。
車で約20分
生産牧場でしか買えない採れたての卵や希少な自然食品、にわとりグッズが盛りだくさん!レストランではおいしい卵を使ったオムライスをご用意しています。
車で約25分
霧島の大自然の中を馬に乗り、風を切って颯爽と走る、そんな体験はいかがですか? 初心者から上級者まで、お気軽に素敵な一日を過ごせます。
車で約30分
霧島連峰の最南端に位置する標高1574mの様々な伝説が残る山です。いつからあるのかは不明ですが、山頂には約140cmの鉾が突き刺さっています。ここから美しい桜島、日向灘などが眺められます。
車で約30分
拝殿前には狛猪があります。これは配流の際に、宇佐神宮に参詣しようと豊前国に上陸したところ、猪が輿を守ったとの伝説により、猪が和気清麻呂の守護神とされているためです。足腰健康、安産子育、入試合格、開運厄除、など4つのご利益があります。
車で約30分
高千穂峰の麓にある自社牧場を観光牧場として無料開放! 広々とした緑の牧場に放牧された牛や羊、子馬たちと自由に触れ合うことができ、乗馬や乳しぼりの体験もできます。お店にはチーズやヨーグルト、ソーセージ、アイスクリームなどの手づくり製品がそろっています。
車で約35分
霧島連山の麓、天然のミネラル豊富な地下水を利用して栽培された果樹園では年間を通していろいろな品種の果物が楽しめます。あまーい、フルーツをご堪能ください。
1866年3月9日、京都伏見の「寺田屋」で龍馬は、三吉慎蔵と共に幕士に襲われ、手傷を負うことになりました。ピストルで応戦し危機を脱出した龍馬は、事件の1ヵ月後、西郷さんから傷によく効くと評判の「霧島塩浸温泉」での湯治をすすめられ、お龍と共に同年4月17日、京都を出立、大坂からの船旅を経て(薩摩船・三邦丸)4月24日に鹿児島着、5月1日からの11泊を霧島で過ごしたと記録されています。 その後も7月13日まで鹿児島に滞在し、帰路についたということです。 いろいろあったので相当ゆっくりのんびりの新婚旅行ですね。
青蓮院官家の侍医・栖崎将作の娘で、父は安政の大獄で投獄され、志半ばで病死してしまいます。父の死後、姉弟を養うため扇岩という旅館に奉公し、竜馬と出会う事になったのですが、それから間もなく、お龍の妹達がだまされて大阪の遊女に売られるという事件がおきます。
◆坂本龍馬お龍新婚湯治碑
この時、お龍は刃物片手に単身女郎屋に乗り込み、無事に妹を救出したそうです。 気が強く奔放、茶道・華道の心得もあったようですが、家事は苦手なタイプだったとのことです。当時、龍馬とはたびたび京都鴨川べりをデートしていたそうですが、男女が連れ添って歩く事がおよそなかったこの時代に、二人の感覚はすでに先に行っていたようですね。
話は遡って、「寺田屋」の捕り物の際には、入浴中だったお龍が異変に真っ先に気づき、裸に袷(あわせ)1枚で2階に駆け上がり、龍馬に危険を知らせたそうです。 手傷を負った竜馬の為、伏見の薩摩藩邸に走り、救護の兵をだして一命を救いました。 そんなお龍の機転に感銘を受け、龍馬は妻として迎えたのかもしれません。
「薩長同盟」会談のパイプ役として大役を果たした龍馬は薩摩人として寺田屋に宿泊していましたが、そこを伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方百数十人が包囲し襲撃、両手に深手を負いましたが、お龍の活躍がなければおそらく、ここで龍馬の命は絶たれていたのだろうと思います。 歴史を大きく変えたこの時代の、硬派なラブロマンスと二人の強い絆を感じざるを得ません。
※参考資料「霧島市観光課 刊行PRグループによります。