貴族院議員の滝口明城氏、総理大臣の田中義一氏、近代日本画の巨匠・松林桂月氏、実業家で後の衆議院議員・久原房之助氏らの郷土の名士の方々が「中央からの客人をもてなす宿泊施設がない」と創業者となる厚東常吉に相談したことがきっかけとなり常吉の「常」、共に栄え「茂り」、「恵み」があるようにとの願いを込め、大正十四年十一月三日「常茂恵」が誕生しました。以来、昭和天皇の御宿泊所に選ばれるなど、萩の迎賓館と呼ぶにふさわしい由緒正しき時間を今日も紡ぎ続けています。平成元年に現在の場所に移転し、平成と共に生き、愛されてまいりました。時代が変わっても創業者の思いを大切に受け継ぎ、萩の迎賓館として守っていきたいと思っております。 | ||||
「明治維新胎動之地」
山口県出身で第61・62・63代総理大臣佐藤栄作の書です。創業者である厚東常吉の発案で松陰神社に「明治維新胎動之地」と刻まれた石碑が昭和43年に完成しました。その題字の原本となった貴重な書を当宿で継承し展示室で公開しています。 |
「薩長土連合密議之處」
(さっちょうどれんごうみつぎのところ) 山口県出身で元総理大臣岸信介の書です。「薩長土連合密議之處」碑が昭和43年に宿の跡地に建立されました。当宿では石碑の題字の原本である岸信介の貴重な書を継承し展示室で公開しています。 |
「誠為至極」
五・一五事件での「話せばわかる」発言が有名な犬養毅が1925(大正14)年夏に来萩した際に親交があった創業者である厚東常吉が依頼したものです。「誠は最高のものである」との意味ですが、出典や犬養の真意は定かではありません。 |
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「宿名」
創業者である厚東常吉は、独自の作風を完成させるなど生涯にわたって茶陶の再興に尽力し人間国宝にも認定された三輪休和に宿名「常茂恵」の揮毫を依頼しました。 |
「草莽崛起」
志を持った在野の人々が一斉に立ち上がり、大きな物事を成し遂げようとすることを意味する語。江戸時代末期に、吉田松陰が民衆主体の改革を望んで唱えた思想として知られる。 |
「ギャラリー」
館内全体がまるでキャラリーのよう。売店をはじめ石畳廊下や食事会場に名立たる作家の萩焼を展示・販売しています。館内を散歩しながら作品の数々をご覧下さいませ。 |