幽泉亭
国登録有形文化財『幽泉亭』
工匠・川島徳次郎(1871‐1955)により、1931(昭和6)年に皇族専用の宿泊棟として建てられました。多彩な意匠を駆使して創意あふれた数寄屋風の建物です。
工匠・川島徳次郎(1871‐1955)により、1931(昭和6)年に皇族専用の宿泊棟として建てられました。多彩な意匠を駆使して創意あふれた数寄屋風の建物です。
幽泉亭 特別室
ゆうせんてい とくべつしつ
国登録有形文化財とは?
- 近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。
幽泉亭の歴史
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「保性館 幽泉亭」は、工匠・※川島徳次郎(1871‐1955)により、1931(昭和6)年に皇族専用の宿泊棟として建てられました。
木造平屋建で、*燻瓦(いぶしがわら)の*桟瓦葺(さんがわらぶき)に*熨斗棟(のしむね)を載せた*入母屋造(いりもやづくり)とし、東面に*?葺(こけらぶき)の*唐破風(からはふ)を架け渡した*車寄(くるまよせ)状の庇(ひさし)を付しています。
この庇は、1989(平成元)年に幽泉亭の南東側にあった表門の唐破風庇を移設したもので、*蟇股(かえるまた)に宝鏡と勾玉を象るなど、皇族専用の宿泊棟として相応しい意匠を掲げて格式ある佇まいを演出しています。
また、入母屋屋根に加えて2 層の庇を延ばした3 枚の屋根が積層する優雅なプロポーションを有し、これは小屋裏に仕込んだ鉄材によって深い軒の出の造りをなし、桟瓦葺でありながら?葺や*檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に通ずる軽やかさを表現しています。
内部は、多彩な意匠を駆使して創意あふれた*数寄屋(すきや)風にまとめられ、多種多様な銘木をふんだんに用いて造作に富んだ*座敷飾(ざしきかざり)を構え、杉材の大面2 枚を室全体に渡って架け渡した*鏡天井(かがみてんじょう)を形成するなど、天井や欄間、引戸に極めて華やかな意匠を持ち、とりわけ桑材の輪切材を欄間や室内装飾に用いて雅趣あふれる造作をなしていることは、幽泉亭特有の意匠として特筆すべきものとなっています。
幽泉亭は、保性館ならびに玉造温泉の歴史を伝え、また島根県内の近代和風建築の高い文化水準を伝える歴史・文化資産であり、HMIホテルグループとしては、こうした経緯を高く評して、今後とも地域の資産として大切に保存してまいります。
言葉の説明
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- *燻瓦 いぶしがわら
- 瓦を焼きあげる最後の工程で、炭素を付着させて銀色の色を出します。年が経つにつれ屋根全体に独特のムラが出るのも特徴です。
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- *桟瓦葺 さんがわらぶき
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江戸時代から普及した瓦の葺き方です。それまでの「本瓦葺(ほんがわらぶき)」では、横方向は瓦の両端を∩方の丸瓦でつなぎ、 縦方向は瓦の半分位を重ねて葺きます。
しかしそれでは瓦の枚数が多く、屋根重量が重くなり、それを支える柱なども太くする必要がありました。
「桟瓦葺」は、屋根の下板に横桟を打っておき、そこに瓦の端の¬型をひっかける工法です。∩型瓦を省略でき隣同士の瓦の重なり部分も少なくすることができ、また葺き土も軽減化できて屋根の軽量化に成功しました。
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- *熨斗棟 のしむね
- 棟の施工において「菊」や「輪違い」等の装飾をせず、熨斗瓦(のしがわら)だけで積まれた棟のこと。
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- *入母屋造 いりもやづくり
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屋根の構造が、上部に切妻造(長辺側から見て前後2方向に勾配をもつ造り)、下部に寄棟造(前後左右四方向へ勾配をもつ)の2つで造られた物。
古くからもっとも格式が高い形式として重んじられています。
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- *?葺 こけらぶき
- ?板で屋根を葺く(おおう)こと。
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- *唐破風 からはふ
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入母屋造りにある三角形の部分。また、その斜め部分に打ち付けた板。
中央部を凸形に、両端部を凹形の曲線状にしたもの。
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- *車寄 くるまよせ
- 殿舎に牛車を寄せて昇降するために廂(ひさし)の屋根を張り出し,下を敷石にした場所。
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- *蟇股 かえるまた
- 和様建築で,梁や頭貫 (かしらぬき) 上にあって上の荷重を支える材。
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- *檜皮葺 ひわだぶき
- 檜(ひのき)の樹皮で屋根を葺く(おおう)こと。
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- *数寄屋 すきや
- 元々は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味し、茶室形式を取り入れた住宅の様式とされます。
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- *座敷飾り ざしきかざり
- 床の間・違い棚・付け書院・帳台構えなど。
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- *鏡天井 かがみてんじょう
- 天井板を支えるための竿縁(さおぶち)や格縁(ごうぶち)などが無く、杉(すぎ)、檜(ひのき)、桐(きり)、欅(けやき)などの杢目(もくめ)の一枚板を使用した天井。
※川島徳次郎
- 1871(明治4)年、島根県意生郡揖屋村(現在の島根県松江市東出雲町揖屋)生まれ。明治から昭和戦前期の出雲地方を代表する名工であり、重要文化財木幡家住宅「飛雲閣」(松江市宍道町)などを手掛けました。