当館所在地に、昔河津を治めていた
河津三郎祐泰(かわづさぶろうやすすけ)の
館があったことから、由来します
河津三郎祐泰は日本3大仇討ちの一つ
曽我物語り(曽我兄弟)の父親で
今の伊東付近で暗殺された事により
物語が始ります。
相撲の強い人で、相撲技「河津掛け」の
考案者とされており、河津三郎祐泰を奉っている、
河津八幡神社には
河津町出身の木彫家
「後藤白童」
作で、朝夕の鍛錬に使ったと言われる
「力石」(ちからいし)抱える河津三郎の像が有ります
当宿駐車場付近に記念の塔が有ったそうですが
過去の地主により当宿から徒歩3分の
専光寺に移転されております
この事から、当館に限らず、「館通り」「館跡バス停」「館橋」「河津三郎の足湯処」と、この付近の名称には「館」(やかた)があふれています