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有馬温泉 ホテル花小宿 神戸ビーフについて

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いつも美味しいお料理に癒されます
2016年11月16日 00:20:35
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神戸ビーフ・神戸牛・但馬牛を有馬温泉で食べる

平安絵巻を見ると牛車を引いているのは黒毛の牛。日本本来の牛は黒毛なのです。

豊臣秀吉が大阪城を築城の際、石材や木材を運搬させる為に、全国から牛を集めました。他のの牛が根を上げる中で、但馬の牛は小柄ですが、強く忍耐力もあり良くいう事を 聞いて頑張ったそうです。

太閤さんが、これを見て大いに喜び、 「温和にして強健但馬牛は日本一の名牛。あっぱれ!」と称賛したといわれています。

考えてみれば但馬の牛は、標高の高い所で仕事をしていたので、今でいう高地トレーニングを積んでいるから肺活量が多かったのと、小代に育つ山野草は“薬草”が多いのです。

健康に良い草を食べていた事がもう一つの理由です。

江戸時代末期、大阪の河内で一番高値で取引されていた牛が 小代の前田周助が育てた牛。

小代の牛たちが漢方薬を 食べて育つのだか健康で元気なのは当たり前田の周助さん。

その前田周助( 1776 〜 1872 )さんは、小代牛の中でも 良い母牛には良い子が 生まれる事を感じ、牛の系統づくりを始めた。

良い系統の牛を「蔓牛」と言い。 良い牛を集め、その牛を親戚などに配って育ててもらう事で、今でいう地域振興策。地域ブランドづくりを推進した。 メンデルの遺伝の法則が発表される前の事。

写真は前田周助のひ孫の前田八十一さん オーベルジュ花郷里の里には前田周助の足跡があります。

ご希望の方にはご案内させて頂きます。

神戸港が慶応3年12月7日に開港することに なった。 横浜から神戸でビジネスチャンスを求めて、イギリス人の E・CキルビーとE・Hハンター(神戸の異人館ハンター邸で有名。 日立造船の創始者)がやってきた。

キルビーは外国人や日本人に牛を食べさせようと考え、ハンターに牛を集めさせた。

その頃神戸といっても田舎で、米をあまり作っておらず、綿花や麦をつくっていた。 農家に行き、役目を終えた牛を売ってくれるようにハンターは農家を回った。 農家も年を取って役に立たなくなった牛を買ってくれるという事で、牛を集める事が出来たのだ。

屠牛場は現在のポートタワーのあるあたりの酒蔵を借りた。牛は殺してから熟成期間が必要。冷蔵庫のない時代。熟成期間がある事は都合は都合がよかった。 そこでハンターはサンプルに鞄に牛肉を詰め込んで歩いていた。

農家の人達も牛の肉に興味を持ち・・・というのはもともとイノシシは食べていたから。 ハンターは農家にある鍬や鋤を使って薪で肉を焼いて、肉の美味しさを広めたという。

日本でも牛肉を食べる事が普及した。 しかし和牛は身体が小さい。ならば外国の牛の血を入れて体格を大きくしようと考えた。

明治 2 年乳肉兼用型のショートホーン種が輸入され、明治 20 年頃から外国種と和牛との交配が全国的に盛んに行われた。

体格は確かに良くなり牛乳の量は増えたが、農耕に使おうとすると気性が荒く、いう事を聞かない。また肉質も悪く、失敗に気づいた時には時すでに遅しという状態になった。

前田周助がつくった周助蔓も外国種との交配により、 小代牛の遺伝子はバラバラに消えてしまった。

黒毛和牛絶体絶命の危機を迎えたのだ。

小代の一番奥、熱田地区は本当の秘境。現在では住む人もいない。
そこに純粋の周助蔓の血の牛が4頭残っていた。この4頭から和牛のリベンジが始まる。
そのキーパーソンが、ぬい号だった!

奇蹟の4頭(熱田蔓)から優秀な「ぬい号」が生まれた。
大正時代の事、場所は棚田 100 選で有名な小代の貫田地区。 ぬい号から 田尻号( 1939 〜 1954 )が生まれた。

田尻号は生涯 40 万頭の子牛の誕生にかかわった。そしてその種は全国に散らばった。

つまり全国には先述の混血種が存在し、それに田尻号の種や改良を加えることで、各地の名牛が誕生する。但馬牛は他県の牛と根本的に違うのが外来種が混ざっていないという事だ。

神戸で一つの事件が起こった。 それが神戸事件。

備前の大名行列の途中に外国人が通ろうとして殺傷事件が起きた。 その責任を取って備前の警備責任者が切腹することになった。
この事件を担当する為に伊藤博文(当時は俊輔)が派遣された。 彼はイギリス留学経験があり流暢な英語で外国人たちに許すように嘆願したがダメだった。 切腹の様子を見た外国人たちは大変驚き、ショックを受け、それ以来日本人に切腹を迫った事はないという。

この後、伊藤は神戸開港場外国事務一式の事例を受けた。 キルビーやハンターたちと親しくなり、整備が行き届いていない居留地の整備を行ったり、その後初代兵庫県知事に任命される。 パーティーを開き外国人のアドバイスにより、ハンターたちの勧めで牛肉を食べて、神戸を近代的な街に整備した。

伊藤博文はその後、44歳で英語力を買われ、初代首相となる。 御所坊には伊藤博文が訪れたようで「高談娯心」(こうだんごしん)と書かれた書が残っている。 現在2階の一番奥の部屋に掲げてある。

神戸ビーフは但馬牛の子牛を兵庫県下の指定生産者が肥育し、兵庫県内の指定食肉センターで処理され、一定の品質以上の肉を神戸ビーフと呼ばれている。 指定以外の食肉センターで処理された肉は、神戸ビーフの品質があっても神戸ビーフとは呼ばない。

松坂牛のランクや子牛の誕生先は色々あり、最高ランクは「本松阪牛」と呼ばれ、但馬牛の子牛を 900 日以上松坂で育てた牛をいう。
松阪牛の中でも但馬牛の子牛から育てた肉は特別だという事です。

世界的に有名な KOBE ビーフも松阪牛も、但馬の子牛が不可欠という事。但馬牛は日本の在来種の良い血統を組み合わせた、 唯一の和牛。但馬地方は本来は子牛を生産し、神戸や松坂の肥育農家に子牛を売ることで生計を立ててきた。子牛の生産と肥育という分業がなされてきた。
しかし効率化というと子牛の生産から肥育まで一貫した方が良い。他県の有名な和牛は一貫肥育を行っている。

優秀な種牛をを育てると、その牛は兵庫県の所有になり、精子の管理がなされる。
その精子を元に子牛が生産される。

生みの親より、育ての親という言葉があるが、優秀な雌牛が優秀な子牛を産み、その優秀な母牛が子牛をちゃんと育てた方が、良い牛に育つといわれている。 その点では一貫肥育と呼ばれる子牛の生産から肥育まで一貫して育てる方が良いとされている。

他県では多くみられる一貫肥育が、兵庫県は伝統的に行っておらず。分業で畜産は行われている。

最近、肥育業者から先の流通はうまくいっているのに子牛生産農家は子牛の値段が下がり生計が立てられない状況下になってきているという。

・・・という事は但馬で子牛が生まれないという事は、神戸ビーフや松阪牛がなくなってしまうというピンチというピンチの状況だ。

そこで小代に現代の前田周助と呼ばれる男が誕生した。

兵庫県香美町村岡地区に、種牛を育て、同時に優秀な母牛を育てている、上田伸也夫妻。 現在 500 頭ほどの牛を育て、一部は一貫肥育を行っている。 自分たちの手で育てた親牛の子供を同様に自分たちで育て 良い肉業として出荷する・・・・

現在肉牛はコードが振り分けられており、 血統から肥育先や処理場などの情報がちゃんと管理されている。

野菜などは最近生産者の顔が見えるようになってきている。 それなら牛肉も資産者の顔がちゃんと見える肉を扱うのも良いのではないかと考えた。

現在御所坊関係では上田伸也さん夫妻が育てた牛を、出来るだけ 100 %使うようにしています。 その一つの証に、上田さんの牛の名前を綿貫先生に付けて頂いて、 神戸ビーフとはまた違うブランドとして掲げたいと思っています。

 


 

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