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「江姫たちの戦国」、どんどん面白くなってきていますね。須賀谷温泉にも、先日、江の3番目の夫役である向井理さんが来てくださいました。ここでは江姫ゆかりの地をご紹介いたします。是非訪れてみて下さい。 ・・・この写真は実宰院です。落城に際して長政は、姉である見久尼に三姉妹の養育を依頼したと伝えられています。実宰院にいる見久尼を頼って、茶々、お初、お江の三姉妹はお市の方とともに城を脱出しました。そしてこの庵に匿われた三姉妹を、尼自らが養育したと伝えられています。  質素な門をくぐると、すぐ正面に木造の本堂が見えてきます。落ち着いた風格のある本堂で、この本堂の中に、本尊である観世音菩薩像と淀殿(茶々)が寄進したとされる見久尼の像が安置されています。
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(小谷城址 浅井長政自刃の碑)本丸に向かうメインストリートの途中に、右側に折れる小道がある。赤尾屋敷跡に通ずる小道だ。武運に見放され最早これまでと悟った浅井長政が最期の場所として選択したのが、家臣である赤尾氏の屋敷だった。 静寂が支配し、訪のう者も稀なこの空間で、浅井長政は29年の短い生涯を終えた。その場所がまさにこの地なのだと思うと、万感想いが重なって、胸が詰まる思いがする。ここは小谷城における最も神聖な場所であるかもしれない (小谷城の石垣の名残り)本丸跡に至る道には、僅かに石垣が残されている。今後城として機能できないように既存の城の機能を徹底的に破壊する行為を「破城」と言うが、堅牢不落を誇った小谷城の石垣が現在ほとんど残されていないのは、小谷城の征服者である羽柴秀吉らによって小谷城が破城に遭ったことを如実に物語っている。 (姉川の合戦跡)「戦いは午前5時ごろに始まり午後2時ごろには終わった。」 説明板は、こんな見出しで始まっている。 姉川を挟んで織田軍と浅井軍とが対峙した。姉川の北側の「野村」という土地は、今では幹線道路である国道365号線の1本東側を通る側道となっているが、昔は北国脇往還と呼ばれる街道だった。 こちら側に浅井・浅倉連合軍18,000人が、川を挟んで反対の南側に織田・徳川連合軍28,000人が陣取っていた。 (Phot & Sentences by A.Toyoshima)
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(首据石)身内の反逆者の首を見せしめのためにさらしたとされている石です。  湖北地方にはたくさんの国宝や重要文化財の仏像が散在しております。戦の地で人々を救ったものは「祈り」しかなかったのでしょうか。この「渡岸寺の国宝十一面観音」は民衆が背中に背負って戦火を逃れ土の中に隠して守った観音様です。 同様に、人々は、両親を失った三姉妹の無事を三姉妹が小谷の地を離れたあともずっと祈り続けていました。 浅井能楽資料館・・・浅井の地は聖徳太子の時代から養蚕が盛んでした。この地でとれる絹糸は光沢があり弾力性に富み質が高いので多くは天皇家に献上されていたといいます。江姫が政略結婚で佐治一成に嫁ぐ時、周囲のものは11歳という若さの江姫を哀れに思ってましたが、江姫本人は、きれいなきものが着られると言って明るく振舞っていたといわれています。