王墓山地区は、南から東谷古墳群・真宮古墳群・大池上古墳群・赤井西古墳群の四つの古墳群からなっており、公園内には現在25基の古墳が残されています。
なかでも北端に位置する王墓山古墳(県指定史跡)は家形石棺を伴い、豊富な副葬品を出土するなど、この地域においてかなり傑出した存在であったことをうかがわせます。
他の古墳については、ほとんどが未調査のため詳しいことは明らかではありませんが、いずれも横穴式石室を有しており、おおむね古墳時代後期(六世紀後半頃)に築造されたものと思われます。
倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端,楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。 自然地形を利用し盛り土を行って整えられた墳丘の規模は,現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級です円丘部は径約50m, 高さ5m。北東側と南西側に突出部を持っていましたが,工事によって破壊されてしまいました。墳丘頂部には5個の巨石が立っており,墳丘斜面には円礫帯が めぐっています。岡山大学考古学研究室による発掘調査の結果,朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され,鉄剣と大 量のガラス小玉,土製の勾玉などもみつかりました。弥生時代から古墳時代へかけての社会の変化を研究する上で,触れずにすますことのできない全国的にも重要な遺跡のひとつです。
倉敷美観地区には、江戸時代から明治時代を主とし一部昭和初期にかけての町並みが残っています。
倉敷川沿いにたたずむ蔵屋敷、このようなたたずまいは、江戸時代に入って、特に寛永19年(1642年)幕府の直轄地である天領となってから形成されていきました。直轄地となり、代官支配を受けてからは、新田開発による農地の増加、綿花の栽培による商工業の発展により、周辺から多くの人々が流入するようになったのです。
備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路、水路を通じて集荷、搬出されるようになり、一大商業地として繁栄。川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの倉庫が次々と建てられました。
RSKバラ園は、山陽放送(略称RSK)がラジオ送信所の用地を利用し、地域の人々の憩いの場として昭和49年に開園しました。バラは中央のRSKラジオ放送アンテナ(高さ105m)を中心にした約3万平方メートルの同心円型花壇に、およそ250品種が植えられています。
バラの多くは四季咲きですが、ここでは春は5月中旬から6月上旬、秋は10月中旬から11月上旬の年2回のシーズンに最も美しいバラが楽しめるよう栽培管理してあります。また、バラ園の外周には、梅園・サクラ並木・ボタン園・ハナショウブ園・ロックガーデン(山野草展示園)も併設されており、チューリップ・フジ・ツツジ・ハナミズキ・アジサイ・大賀ハスなど四季おりおりの花木も楽しめます。
犬養木堂記念館は、日本の政党政治の確立に大きく貢献し、5.15事件で凶弾に倒れた犬養毅(号・木堂)の人柄、功績を広く顕彰する為、木堂生
家(国指 定重要文化財)に隣接して平成5年に開館しました。直筆の書や手紙、愛用の筆や硯、5.15事件の時の血染めの座布団など木堂ゆかりの資料8000点のうち約120点が常設展示され、また、選挙の為に録音したレコードで木堂の肉声を聞くこともできます。記念館の中はなまこ壁と焼板に囲まれた路地が設けられており、その両側に常設展示室と企画展示室があり、木堂翁の遺徳を偲ぶにふさわしい雰囲気をかもしだしています。
総社市南部のアカマツにつつまれた丘陵地のほぼ中心部に位置し、聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つです。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、 現在の建物は江戸時代中期以降に再建されました。境内にそびえる五重塔は、県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっています。
備中高松城は、備前の国から備中松山にいたる松山往来沿いの要衝の地にあり天正10(1582)年、羽柴秀吉の備中高松城水攻めの主戦場となった城趾として有名です。高松城趾公園(たかまつじょうしこうえん)は、JR吉備線「備中高松駅」の北北西800メートル、国道180号から徒歩で約10分の位置にあり、田園のなかにこんもりとした松の緑が映え、古戦場の名残がうかがえます。公園の中央にある7000平方メートルもの広大な堀には、毎年7月中旬になると蓮「宗治蓮」が約4000平方メートルにわたって咲き乱れ、来園者やアマチュアカメラマンを愉しませています。
資料館内には、水攻めにまつわる案内パンフレットや模型等も展示されています。
数多くの伝説とロマンを秘め、古代から豊かな文化を花開かせてきた吉備の国。雄大な造山古墳に代表される古墳群や、桃太郎伝説の舞台としても知られています。また備中国分寺・国分尼寺など数多くの寺社が点在し、数多くの歴史物語に彩られた吉備平野。今なお豊かな野山が広がり、その風景は訪れる人々の郷愁を誘います。その風光明媚な田園にたたずむ、高さ27メートルにも及ぶ巨大な大鳥居が出迎えてくれる最上稲荷。正式名称は「最上稲荷山妙教寺」。明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど神仏習合時代の形態を数多く残しています。
岡山市北部にあり、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。大吉備津彦大神は、記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化 の基礎を造られたとされています。古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られています。有名な回廊は天正7年(1579年)再建、全長360mにもおよび、
自然の地形そのままに一直線に建てられています。(県指定重要文化財)
岡山後楽園は、岡山市北区後楽園にある日本庭園で、日本三名園のひとつです。約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政(いけだつなまさ)が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。延養亭や能舞台を中心に園内各所に置かれた亭舎や祠には、歴代藩主の思いが込められています。広い芝生地や、池、築山、亭舎が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるよう工夫された庭園です。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三ツ星に認定されています。毎年、夏と秋には人気のイベント、夜間特別開園「幻想庭園」が開催されます。
三井アウトレットパーク倉敷は、2011年12月にグランドオープンした120店舗を揃える中国地方最大級アウトレットモールです。ブランドファッション・スポーツブランドはもちろん、生活雑貨やファッション雑貨など幅広いジャンルのショップが全120店舗集まった充実のラインナップ。倉敷の豊かな自然の溢れる町をテーマに水と緑に囲まれた心安らぐ空間が広がります。倉敷IC、倉敷駅からほど近く、お車でも電車でもアクセス抜群で、アウトレットパークの周りには多彩な魅力にあふれる観光地が数多くあります。
アウトレットでお買い物をした後には、そうした観光地の一つである日本の伝統的な町並みが残る倉敷の町を訪れるのもおすすめです。