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日本モータースポーツの原点、1955年(昭和30年)公道を閉鎖して、第1回浅間高原レース(全日本オートバイ耐久レース)がここ北軽井沢で開催された。その後浅間牧場内に国内初の専用サーキット「浅間高原自動車テストコース」を建設し、1957年、1959年に第2回・第3回のレースが開催されました。浅間の火山灰を踏み固めた未舗装のコースでしたが国内唯一のクローズドサーキットであり、浅間(北軽井沢)は日本のモータースポーツのメッカとなったのです。
日本ロマンチック街道のドライブ・ツーリングの際に当時をしのぶポイントを付け加えてみてはいかがでしょう。 |
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浅間高原レーススタート地点(発祥の地碑とともに北軽井沢セーブオン駐車場にあります)ここから南に向かってスタートした。公道閉鎖で行われたため、警察との約束によりタイムの公表は前車との差のみとされた。 |
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浅間火山博物館の隣に浅間記念館があります。
入り口にあるガソリンの給油機は火山レースの際ハイオクガソリンをレースマシンに給油したものです。館内には浅間火山レースを走ったオートバイや貴重な写真、メグロ、ライラック、陸王といった今は無きメーカーのフラッグやポスターが展示してあり、往時を偲ばせてくれます。
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第3回火山レースで、18歳の新人北野元がホンダワークスの新鋭機を抑えて優勝したホンダベンリィCB92。浅間から世界へ、やがて日本のオートバイは世界を席巻していく。 |
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第2回火山レースで優勝したメグロRZ。大型のバイクでは人気の高かったメグロも、メーカー淘汰の中でカワサキに吸収されていく。 |
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第2回第3回の浅間火山レースが行われた浅間火山コースも今は無い。ほとんどは浅間牧場の牧草地に帰っているが、一部当時の名残が残っている。 |
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二度上峠より浅間高原を望むことができる。雄大なパノラマとかつての浅間火山レースを偲ぶことができる。 |