|
|
|
住所
〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字町内25 全室バストイレ付
|
|
TEL:022-354-3601 |
|
FAX:022-354-6154 |
|
チェックイン:14:30
(最終チェックイン:21:00) |
|
チェックアウト:10:00 |
|
交通アクセス JR松島海岸駅より徒歩2分。東北自動車道仙台南IC〜南部道路〜三陸自動車道 松島海岸ICより3分
|
|
駐車場
有り 50台 無料 |
|
|
|
|
湾内一周定期遊覧船コース(松島〜松島) |
|
仁王島、鐘島、桂島など大小の奇岩が次々と移り変わる風景が満喫できます。松島発着ですから、お車の方にも便利です。乗船した場所に戻ってきます。
遊覧船発着所まで、徒歩5分
|
|
五大堂(重文) |
|
松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初。
後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、
「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれています。現在の建物は、
伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。
徒歩5分
|
|
瑞巌寺(国宝) |
|
天長5年(828年)、慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の禅寺で、伊達政宗公の菩提寺。
正式には臨済宗妙心寺派・松島青龍山瑞巌円福禅寺。現在の建物は、慶長14年(1609年)、 政宗公が桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたものです。建築にあたっては、
諸国から名工130人を集めたほか、建材も熊野山から取り寄せるなど、奥州の覇者としての意気込みが伝わります。
特に唐戸や欄間、あるいは襖や床の間の豪華な絵画は日本の自然美を代表する人工美の極致とされています。
徒歩5分
|
|
雄島 |
|
朱塗りの渡月橋を渡ると、108の岩窟があったといわれる雄島。現在は50程度しか残っていませんが、
その昔、死者の浄土往生を祈念した岩窟で、内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名を彫った跡が数多く見られます。
橋を渡り道を左に曲がって短いトンネルをくぐると、三方に岩窟のある崖とわずかばかりの平地があります。
ここは見仏上人が、法華経60000部を読誦した見仏堂の跡で、奥の院といわれた場所。現在でも薄暗く、
見仏上人は、この場所で12年間もの長きにわたって修行を続けました。 また、江戸後期のころ、江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、乗り合わせていた白キツネに救われた話をもとに、
海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られています。
徒歩4分
|
|
観欄亭 |
|
「観瀾」とは、さざ波を観るという意味です。観瀾亭は、もともと豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を政宗公がもらい受けて江戸の藩邸に移してあったものを二代目忠宗公が納涼観月の亭にと、
海路松島へ一木一石変えずに移築したものです。観瀾亭と名付けたのは五代吉村です。 素木造り平屋建てで屋根は寄せ棟造りこけら葺き、三方が縁側で部屋は京間18畳2室。
床の間の張付絵や襖絵には、金地に槍や草花を描いた極彩絵があり、狩野派系統の絵師の筆といわれております。
徒歩5分 |
|
みちのく伊達政宗歴史館 |
|
200体を超える等身大のロウ人形を展示し、戦乱の世に生きた英雄.政宗公の波乱万丈の生涯を25の場面に分けて今に再現しています。
騎乗の政宗像は、まさに今にも走り出しそうな迫力。 併設する「みちのく偉人館」では、棟方志功、宮沢賢治、野口英世など、東北が生んだ偉人50名のロウ人形を展示しています。小泉首相,ノーベル賞受賞の小柴先生のロウ人形も追加展示。
徒歩8分 |
|
秋乃宮博物館・松島 |
|
メンコ、ビー玉、ブリキのおもちゃ、子供の頃の宝物だったものがたくさん!
大正昭和の玉手箱のようなレトロな館内は、いろんな思い出がよみがえります。
徒歩5分
|
|
松島グリーン広場 |
|
当館の国道を挟んで目の前にある、芝生できれいな公園で、松島湾を眺めながらの散歩に最適な場所です。
レジャーシートを敷いて、お弁当を食べたりとくつろげる無料スポットです。
徒歩2分 |
|
|