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木屋旅館が運営する喫茶店「茶房 木木」の一角に「カムパネルラの館」という名のスペースがあり、全国各地からたくさんの宮沢賢治ファンが多くいらっしゃいます。
それは当館の大女将の父である「河本緑石」に深い関係があるからなのです。
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『銀河鉄道の夜』
盛岡高等農林学校で知り合った、宮沢賢治と河本緑石(リョクセキ)。その後、親睦を深めそれぞれの道を歩むことに。
2人とも享年37歳と短い生涯の仲だったが、賢治の遺作『銀河鉄道の夜』カムパネルラのモデルとして緑石は今も語り継がれています。
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緑石の生涯
昭和8年夏、海水浴訓練中に溺れた同僚を救助に向かい、37歳で帰らぬ人となってしまいます。
その死は、同じく自由律俳句運動の中心の荻原井泉水の門下生だった種田山頭火にも衝撃を与えました。その想いは亡くなった八橋海岸の供養塔に刻まれています。
緑石の死から2ヶ月後、賢治もこの世を去りますが、賢治の遺作『銀河鉄道の夜』の中で、溺れる友を救って亡くなる“カムパネルラ”は緑石がモデルではないかと賢治研究家の中でよく言われているのです。
詳しくは、赤瓦白壁土蔵群(木屋から車で15分)という歴史地区にある「河本緑石記念館」へ☆
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