| | |  | 石積の玄関を入ると大きなペチカがどっしりとそなえられ、建物全体をやんわり暖めていました。1、2階にはテラスもあり、周りの木々も今ほど大きくなく、アルプスの山々が一望できました。当時は11月に雪が積もりました。 |
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|  | |  | |  | 昭和29年全国でもまだ珍しいリフト(木柱)ができて霧ヶ峰スキー場は最盛期を迎えました。リフトを待つ長蛇の列はしばらく続きました。 |
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| | | | |  | ”それより以前にヒュッテ霧ヶ峰があった”霧ケ峰に初めての建物として現ヒュッテとほとんど同じ場所に、岡山出身の長尾宏也さんが経営していたヒュッテ霧ヶ峰がありました。昭和6年建設で昭和11年に焼失してしまいました。ヒュッテには、さまざまな分野の高度な知性の人たちが集まり、いわゆる山の勉強会がしばしば開催されました。講師は木暮理太郎(日本山岳会会長)、武田久吉(日本山岳会設立者の一人)、辻村太郎(東京帝國大学教授)、藤原咲平(中央気象台長、お天気博士、諏訪市出身)、柳田国男(日本民族学の創始者)の諸家。講習生は尾崎喜八(白樺派詩人)、深田久弥(日本100名山)、小林秀雄(文芸評論家)、中西悟堂(鳥類研究にも著名な詩人)、松方三郎(アルプスで活躍の登山家)、村井(黒田)初子(女流登山家のパイオニア、NHK料理番組担当)、石黒忠篤(後の農林大臣)他多くの人たちだった。実に錚錚たるメンバーでありました。
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