よくある質問
有り 50台 無料 予約不要
最終更新日:2022-02-21
車利用の場合 山口宇部空港から50分 北九州空港から40分 福岡空港から90分 公共バスの場合 山口宇部空港から90分
最終更新日:2023-07-06
(宿泊プランによって異なる場合がございますので、詳細は各宿泊プランをご確認ください。)
最終更新日:2023-07-06
数々の歴史の舞台となった関門の急流を望み、深い緑に抱かれた佇まいと美しい下関の迎賓館「春帆楼」
【 創業 】
春帆楼の歴史は、古くは江戸時代まで遡ります。
江戸時代の末、豊中中津(大分県)奥平藩の御殿医だった蘭医・藤野玄洋は、下関の阿弥陀寺町(現在地)で医院を開きました。
春帆楼は玄洋没後の明治十四〜十五年頃、伊藤博文の勧めによってミチがこの医院を改装し、割烹旅館を開いたことに始まります。
【 ふく料理解禁 】
明治二十年、大時化の日「魚を食したい」という初代内閣総理大臣伊藤博文公に、お手打ち覚悟でご禁制のふぐを出した、女将藤野ミチ。
その旨さに驚かれ、「一身よく百味の相をととのえ」と絶賛され、翌年二十一年に「調理さえ心がければ」との条件つきで、豊臣秀吉による「ふく禁食令」を解き、それ以来、春帆楼は、ふく公許一号の店として、広く知られる様になりました。
【 日清講和条約締結会場 】
明治28年(1895)3月19日、総勢百人を超える清国の使節団を乗せた船が亀山八幡宮沖に到着しました。
日本全権弁理大臣は伊藤博文と陸奥宗光、清国講和全権大臣李鴻章を主軸とする両国代表十一名が臨みました。
講和会議は、当時の春帆楼の二階大広間を会場に繰り返し開かれ、4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結されました。
最終更新日:2022-02-21
最終更新日:2023-07-06
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