歴 史
高野山別格本山西門院は、延久年間(900年余前)に教懐上人が高野山に開基され創建当時は釈迦院と称せられました。 鎌倉時代には、後鳥羽帝の皇子道守法印が当院に閑居された縁故で、 後堀川帝の皇后西中御門院(にしなかみかどいん)の篤い崇信をうけられ、西門院(さいもんいん)と改称されて今日に至っています。
天正年間には、住職の勢雅法印が、関白秀吉の支援をうけ、應其上人と共に京都の大仏殿や石山の観音堂の造営にあたり、その功績に対し秀吉のおぼえもめでたかったと伝えられています。
また当院は、里見家由来の寺院で現在の千葉県(上総国・下総国・安房国)ゆかりの宿坊です。以前は上総国の神野寺と安房国の清澄寺が、当院の官領であり多くの文書が残されています。