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この国旗は、当ホテルに宿泊して下さっている外国のお客様に、敬意と感謝を表して、ここに掲揚いたします。 |
| 横須賀の歴史は古く、北部の夏島では、縄文時代の貝塚が発見されており、古事記には走水を舞台に弟橘媛(おとたちばなひめ)と日本武尊(やまとたける)の悲哀が綴られ、平安時代後期には三浦一族が衣笠に居城を構え、鎌倉幕府の成立に貢献しました。 嘉永六年六月三日(1853年7月8日)、米海軍提督ペリーの率いる黒船の来航により、久里浜で米国フィルモア大統領の親書が手渡され、江戸幕府の 200年以上にわたった鎖国政策が解かれ、日本は近代の幕開けを迎えました。それまで一漁村にすぎなかった横須賀は、慶応元年(1865年)に製鉄所が建設され、以来、造船軍港の町として発展を続けてきました。 横須賀町が市になったのは96年前で、日露戦争が終わって間もないころの明治 40年(1907年)2月15日です。当時の人口は62,876人、面積は12.93平方キロ、戸数は11,433戸でした。今では43万人が暮らす大きな都市に発展しており、開国関連の行事のリニューアルを行いながら「開国の街よこすか」として盛り上げています。 |
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毎度ご愛用頂き有難うございます。当ホテルにて、旅のひとときをお寛ぎ頂ける一例をご案内致します。 1階ロビーにございますインディーのバーラウンジで味わえる、夕刻からの明るい国際友好的な雰囲気を既にお試しでしょうか。 一仕事を終えて戻られたお客様がカウンターにかけて、バースタッフにご挨拶、カウンターの違う所からも挨拶が帰ってきます。海外からのお客様が多いのですが、なんとスタッフは何を言われても日本語で対応しています。これが非常に和やかな雰囲気で続くのです。 |
| 今晩、お客様のお隣はどちらからの方でしょうか。お気軽に大家族の雰囲気に加わってくださいませ。国際親善都市横須賀での民間外交はここでの一杯から始まるのかもしれません。 |
| 私はここのホテルにたびたび滞在しますが、インディーのバーラウンジが好きです。あの暖かい雰囲気の光に包まれている一角を夕方、ホテルに戻った時に見る瞬間にほっとするのです。私がカウンターでグラスを傾けていると、どこからとなく挨拶がはじまります。この前お話したのは日本での一仕事が終わり、明日からタイで休暇を過ごしてアメリカに帰られるという女性の専門家の方でした。 これが、なんとも言えない短いけれど貴重な一時でした。世の中はこういう一時で繋がっていると思ったからです。この場が提供しているのは、バースタッフの雰囲気とおつまみのピーナッツの他に、ここで過ごした、交わした一時です。 |
| 「日本百名町」 知恵の森文庫 嵐山 光三郎(著) 出版社/光文社 日本百名町リストのNo.34に「横須賀市本町」が掲載され、その中にホテル横須賀とホテルニューヨコスカ が紹介されました。 |
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嵐山 光三郎 / あらしやま こうざぶろう 1942年東京生まれ。作家。「太 陽」編集長を経て、執筆活動に入る。 '88年『素人庖丁記』にて講談社 エッセイ賞、2000年『芭蕉の誘惑』 により、JTB紀行文学大賞を受賞。 近著に『不良定年』がある。旅をこよなく愛し、一年のうちの半分は国 内外を旅行している。『東京旅行記』『芭蕉の誘惑』(文庫版『芭蕉紀行』)『奥の細道温泉紀行』『温泉旅行記』『日本全国ローカル線おいしい旅』など、数々著した紀行文は多くの読者の共感を呼び、旅の後追い人が絶えてやまない。 |
| 横須賀は海軍ゆかりの町である。宇崎竜童のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの歌に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」というのがあったな。「あんたあのこのなんなのさ」とかいっちゃって。 横須賀港には軍艦が碇泊していて、アメリカ兵が多い。 泊まるならホテル横須賀がおすすめである。外国人客が多く、外国に行った気分になる。 港ぞいに新しいホテルニューヨコスカができたが、三十年前の、ヨコスカの気配が残っているのは、古くからのホテル横須賀のほうなのだ。 本町には、魚藍亭よこすか海軍カレー館がある。横須賀はカレーの町宣言をし、市内の各店が工夫をこらしたカレーを作っている。魚藍亭のよこすか海軍カレーは「明治四十一年のイギリス海軍レシピに最も忠実な味」を謳っており、敬礼していただきたくなる味である。 魚藍亭から一歩足をのばすと、ドブ板通りで米軍放出品を扱う店が集まっている。 横須賀は日本とアメリカがクロスする町である。 |
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〒238-0041 神奈川県横須賀市本町1-12 TEL. 046-820-1111 FAX. 046-820-1112 |