10円硬貨にプリントされている
京都 平等院鳳凰堂をモデルにし設計された龍宮殿本館。
かつては静岡県 浜名湖に建てられたホテルでした。
優雅なたたずまいの裏に秘められた歴史。
戦前・戦後、そして現在へと続く、足跡をご紹介します。
昭和13年(1938年)のこと、飛島組( 現在の飛島建設) の先代社長であった飛島繁氏が、静岡県の浜名湖にある景勝地・弁天島にホテルを開業。「浜名湖ホテル」と命名されたこのホテルは、当時わが国屈指の高級ホテルとして評判になりました。 外観は宇治の平等院をモデルにし、材料はすべてに最高級のものが厳選され、木材もケヤキやヒノキなどがふんだんに使われています。総工費は当時の金額で40万円という破格の豪華さを誇りました。当時、ボーイさんの月給が10円という相場でしたから、その建設費がいかに巨額であったかがわかります。
その時代の交通手段は東海道本線のみでしたから、列車で訪れたお客さまは弁天島駅で降り、そこからホテルまでの送迎には典雅な馬車が使われていました。 ホテルには常時、馬車が2台と馬が3頭用意されていて、そうした送迎も話題となり、皇族をはじめ、当時の多くの著名人がこのホテルを利用したと言われています。
しかしこのホテルは、先進的かつあまりにも高級指向であったことや、戦争の足音が聞こえる時代背景のせいもあって、創業からわずか1 年半後の昭和14年(1939年)10月、「浜名湖ホテル」は休業の憂き目を見ることとなってしまいました。やがて戦時中は県や軍部の所属施設となり、終戦後は浜名湖の畔に廃屋としてひっそりとたたずんでいました。
そうした折、浜名湖畔から芦ノ湖畔への移築が決まりました。 ここから「浜名湖ホテル」は、箱根プリンスホテル和風別館「龍宮殿」という新たな歴史を歩み始めることとなったのです。解体作業にはおよそ5ヵ月を費やしました。 やっと芦ノ湖畔に到着した後も、解体材の仕分作業に約半年間、その後の復元作業にも多くの人手と時間を必要としました。京都から宮大工を招き、各地から呼び寄せた多くの技術者が工事に携わり、移築作業には結局1年以上が費やされました。
そして昭和32年(1957年)、「龍宮殿」が開業し新たな歴史が始まりました。龍宮殿の外観や間取り自体は浜名湖ホテル当時のままでしたが、移築時に玄関の位置が変更され、従来玄関だったところは現在湖畔を向いています。洋間だった客室はすべて畳敷きとなり、純和風に生まれ変わりました。 龍宮殿のオープンはまたたくまに各方面の話題となり、当時の外務省は、この美しい日本の風情を楽しんでいただこうと、 インドのネール首相や西ドイツのアデナウアー首相を龍宮殿に招いたこともありました。
2011年3月11日に東日本に大きな被害をもたらした地震が起きました。 龍宮殿本館はそれほど影響を受けませんでしたが、お客さまの安全・安心を優先し閉館する決定に至りました。 こうして本館は旅館としての役目を終え、別館のみでの営業を続けてきました。
閉館から6年が経った2017年7月22日、本館は日帰り温泉施設にリニューアルオープンし、同年に国登録有形文化財に登録されました。雄大な芦ノ湖の自然と一体となるようなダイナミックな景色と、富士山も同時に望むロケーションの素晴らしさが特徴の温泉に浸かりながら四季の移ろいを感じ、 箱根の旅の疲れを癒やす、上質なひとときをお過ごしいただけるでしょう。
昭和から平成、そして令和へ。
龍宮殿は長く変化に富んだ歴史を刻んできました。
浜名湖で生まれ、この箱根・芦ノ湖畔という安住の地にたたずんで、数十年。
今日も、龍宮殿は訪れる人々を静かにお迎えし、
こころ安らぐ日本の風情をご提供できるよう精進いたします。