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エコノミーホテルほていや ほていや 〜今昔物語〜

エコノミーホテルほていや

こちらの宿泊施設は、宿泊者からの総合評価点数が高い、もしくは多くの宿泊実績がある等の独自の条件を満たしたプリファードプログラム参加施設です。楽天トラベルへサービス利用料を支払うことにより、原則同条件の他の施設よりも上位に表示されています。(ヘルプページ参照)
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    クチコミ・お客さまの声
    いつもお世話になっています。とにかく、コスパがよいです。宿泊だけしたいので、余計なものがなくて、本当に機能的で...
    2020年12月19日 16:17:51
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    イメージ写真
    詳細情報
    → 住所
    〒111-0021
    東京都台東区日本堤1-23-9 吉野通り前
    → TEL:03-3875-5912
    → FAX:03-5849-4366
    → チェックイン:16:00
    (最終チェックイン:23:00)
    → チェックアウト:10:00
    → 交通アクセス
    東京メトロ日比谷線「南千住駅」南改札より徒歩8分/JR、つくばEX「南千住駅」徒歩10分/都バス「清川2丁目」すぐ
    → 駐車場
    無し(近くのコイン式駐車場をご紹介してます)

    関東大震災後の復興期に『ほていや』は罹災者を収容する木賃宿として山谷に誕生しました。戦後復興期の昭和25年(1950年)には木造二階建ての簡易旅館として今の建物の裏の3m道路に玄関がありました。
    photo1

     創業者は、福井県足羽郡福田村(現福井市)出身で、明治33年(1900年)二十歳の時に単身上京し東京大相撲の高砂部屋へ入門、大関初代朝潮の指導を受けながら大緑仁吉の四股名で関取となった第八代 年寄大山親方です。

     プロの力士の傍ら明治期から浅草山谷で副業の瀬戸物業を営んでいましたが、大正12年(1923年)の関東大震災と昭和20年(1945年)の東京大空襲と22年間に二度も被災し全財産を失うも震災後は罹災者を収容する木賃宿を、終戦後は製材所などを興し息子達と共に再び戦災で住むところを失った罹災者や外地からの引揚者などを収容する事業に協力することになりました。これが『ほていや』の旅館業に至ったルーツです。

     右の白黒写真は昭和25年3月当時の木造時代の『ほていや』の玄関です。


    バブル期の昭和63年(1988年)春には、現在の耐火構造5階建てのビジネスホテルタイプの簡宿へと建て替えられました。

     改築当時は建設ブームの真っただ中だったことで、主に首都圏の現場で働く建設作業員を長期に滞在させることを意識して建物は造られましたが、平成9年(1997年)頃から本格的に一般旅行者を泊める宿へと方向転換しました。
     「ムダを省いてより安く」のコンセプトはそのまま、門限のない「自由で気を使わせない宿」というポリシーの施設へとシステムを改め現在に至っています。

     2002年サッカーワールドカップ(W杯)あたりから30㌔もある大きなリュックを背負った外国人バックパッカーが激増してきましたが、現在は、出張のサラリーマン始め就職活動で上京するリクルート・ルック姿の女子大生、ディズニーランドなどのテーマパークに向かう家族連れなどが節約のために利用することがとても多くなりました。


    photo2
    ● 明治末期の山谷通り(現在の吉野通り)は、400m西に新吉原遊郭、1,300m南に聖天町の芝居街の二大歓楽街に接近していたので周辺は木賃宿の街として栄えた。 
    photo3
    ● B29の焼夷弾により東京・下町一帯が一夜にして焼き尽くされた。上の画像は昭和20年当時の聖天町付近の避難民。
    (焼け野原になった山谷から仲見世が見えたという)
    ● 復興期にあった大部屋式の簡宿には小さな女の子も泊まっていた。
    (山谷の簡宿に泊まる罹災者の労働力は戦後の東京復興の原動力になった)

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