所要時間:徒歩のみ…5時間40分/徒歩とバス利用…5時間30分
【銀山公園】
石見銀山観光の玄関、銀山公園からスタート
【龍源寺間歩】
「間歩」とは銀を採掘するための坑道のことです。石見銀山には大小合わせて約600の間歩が存在するとされますが、現在、一般公開されているのはこの龍源寺間歩だけです。
【佐毘売山神社】
佐毘売山神社は鉱山の守り神である金山彦命を祀る神社です。石見銀山では最大の神社で、銀山に暮らす人々の心のよりどころとなっていました。神社周辺には多くの住居跡が棚田のような石垣として残っており、これも見どころの一つです。
【石銀】
石銀地区は、仙ノ山(標高537m)の頂上付近にあります。ここは、神屋寿禎が日本海沖から光る山を見つけたという『発見伝説』の舞台であり、戦国時代から江戸時代にかけて銀鉱石の採掘や製錬が盛んに行われた地です。
仙の山の頂上である石銀地区から本谷口番所跡、原田駐車場へと至る道沿いには、銀山の歴史にまつわる多くの遺跡が残っています。
【謎の岩盤遺構】
2003年の発掘調査で、釜屋間歩に近い斜面から高さ18mの岩盤を三段のテラス状にくりぬいた巨大な遺構が発見されました。いつ誰が何の目的で造ったものか謎が多いため『謎の岩盤遺構』と名づけられました。
【釜屋間歩】
釜屋間歩は、石見銀山の初代奉行・大久保長安の部下である安原伝兵衛が発見したと伝えられる間歩です。
【大久保間歩】
大久保間歩は、石見銀山の初代奉行である大久保長安の名をとってつけられた間歩です。
【原田駐車場】
【銀山公園】
石見銀山の発見伝説の舞台となった石銀地区、『五ヵ山』と称された大坑道の龍源寺間歩(入場見学)や大久保間歩など、重要な鉱山遺跡を集中して巡るコースです。
銀山の歴史をじっくりと感じたい方にお勧めです。
佐毘売山神社に始まる約1時間の上り坂は決して楽ではありませんが、石銀地区に到着するや、美しく爽快な眺望に心洗われ、苦労が報われるほどです。
このコース沿いには、何百年も前に銀山で暮らした人々の住宅地跡が石垣としてあちこちに残っており、その数は1000以上とも言われます。さてあなたは幾つ見つけられるでしょうか?
また運が良ければヤマドリの姿を見ることもできます。
【銀山公園】
石見銀山観光の玄関、銀山公園からスタート
【山吹城大手門跡登山口】
【山吹城跡】
山吹城は戦国時代、銀山争奪の拠点として何度も戦さが繰り広げられた舞台です。1533年(天文2年)頃、大内氏がここ要害山(標高414m)の頂上に山吹城を築いたのが始まりで、小笠原氏、尼子氏、毛利氏が争奪戦を繰り広げ、1562年ついに毛利氏が陥落させるまで戦いはおよそ30年間も続きました。
【龍源寺間歩】
「間歩」とは銀を採掘するための坑道のことです。石見銀山には大小合わせて約600の間歩が存在するとされますが、現在、一般公開されているのはこの龍源寺間歩だけです。
【銀山公園】
何といっても山吹城跡からの眺めが最大の見どころです。
大森などの町並みを歩くだけでは分らない石見銀山の地理地形の全容が一目瞭然で理解できます。
山吹城の上り口では「大した山とも思えないのに、なぜこんなところに守りの城を築くのか?」とも思えるのですが・・・ 息せききって登れば、周囲の山々や町、物資を積み出す港、まさに360度のパノラマ。
「自分が戦国武将であればやっぱりここに拠点を築いただろう」と納得できる見事な風景です。
この実感をぜひ体験してください。