伝えられ育まれる
久米島紬の技術
久米島紬 機織り体験
久米島紬の里「ユイマール館」の門構えは糸車がモチーフ
「トン、トン、カシャン…、トン、トン、カシャン…」と独特のリズムを刻む機織りの音。私は沖縄で暮らすようになって、はじめてこの音を耳にした。あるときは八重山の離島の民家で、またあるときは沖縄本島で伝統工芸の織物を学んだ若い人たちの工房で。沖縄県外で生まれ育った私にとって「機織り」というのは昔話や物語のなかに出てくるようなもので、なかなか身近には感じられないものだったけれど、沖縄では織物の文化が今も息づいている、と知ることができたのだ。
実は、久米島はそうした織物の文化、なかでも「紬」と呼ばれる蚕から糸をつむいで織り上げる手法が日本に伝わる起点となった、「発祥の地」といえる島なのだそうだ。糸をつむぎ、柄を生み出すために丁寧にくくり、島に自生する植物たちで染め上げ、さらに島の土の泥などで繰り返し染め、幾度も手をかけて、明るくうつくしい色合いや深みのある渋い色合いへと仕上げる。その糸を高機(たかばた:手織機のこと)という木製の機を使い、ひと織りひと織り手作業で織り上げていく。
染料の材料について説明してくれる山城さん(右)
「とても手間と時間がかかる行程を分業せずに、すべて一人の織り子の手で行うのも久米島紬の特徴なんですよ」と教えてくれたのは久米島紬の里「ユイマール館」の山城智子さん。
ユイマール館は、国指定の重要無形文化財である久米島紬を紹介する展示資料館であり、伝統継承のため織り子を養成する作業場でもある。そして、織りや染めの体験もできる場所だ。こちらでは、技術を持つ織り子さんの指導で実際に高機を使ってコースターを織ることができるというので、体験させてもらった。
山城さんに手取り足取り教えていただいた
経糸が綺麗にセットされた状態から始める
筬(右手で引いている部分)でトントンと糸を押さえる
緯糸の色を変えるときは左手の手投げ杼を変える
この日指導をしてくださった山城さんは久米島紬の織り子として仕事を始めてもう19年目になるそう。
「でも、私はまだまだひよっこなんですよ。久米島には80代後半でも現役の方がたくさんおられます。その方々の技術はすばらしいです」と山城さん。
久米島では島の人々の暮らしの中で、久米島紬の技術が伝えられ、今も身近なものとして育まれている。ユイマール館は単にそのことを「知る」だけでなく、「感じる」ことができる場所だった。「世界でひとつ」の自分が織ったコースターを手にして、しみじみとそう思った。
生まれて初めて織ったコースターを手に山城さんと記念撮影
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高機に腰掛け、手投げ杼(ひ)と呼ばれる緯糸(よこいと)を通す木製の道具を右手に持って経糸(たていと)の間を横にすべらせ、足踏みで上下の経糸を入れ替え、筬(おさ)で手前に打ち込み、また緯糸を逆方向にすべらせる――。言葉にすると単純な作業だけれど、手と足をいっしょに動かすので最初は思っていた以上にあたふたしてしまう。丁寧に指導をしていただいて、ようやく糸の通し方のタイミングがつかめてくる。トン、トン、と糸を押さえる時の力が強すぎても弱すぎても柄がゆがんでしまうので、ほどよい一定の強さで手を動かすのがコツのようだ。