【大分県中津市】 江戸時代、日田は「天領(てんりょう)」とよばれ、徳川幕府が直接支配した土地として栄えました。日田市の豆田地区には、そのころの様子がわかる資料館や、広瀬淡窓が開いた学校「咸宜園(かんぎえん)」の跡などがあり、毎年春には古いひな人形を展示するひなまつりが開かれています。また中津城の城下町だった中津には、一万円札の顔「福沢諭吉」が子どものころすごした家などが資料館として残されています。 一方、耶馬溪地域は、17世紀に禅海という人が30年かけて作り上げたトンネル「青の洞門」や春の若葉や秋の紅葉が楽しめるスポットがいっぱいです。 |
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【鮎帰りの滝】 鮎帰りの滝は、三光臼木鮎 帰りの河川敷の中心にあり、 小さな瀑状を呈しています。 山国川を泳ぎ上る若鮎が、こ の滝を上ることが出来ないと ころから、この名が生じたと いわれています。 |
【深耶馬渓】 山国川支流の山移川の渓谷には、奇岩奇峰が林立し、秋の紅葉の季節には特に美しい景観。深耶馬溪の中でも一番の景勝地である「一目八景(ひとめはっけい)」は、必見!! |
【耶馬渓橋】 耶馬渓橋は、山国川に架かる石橋で、青の洞門の下流約500m、荒瀬井堰の下流にあり、その橋長は116mで石アーチ橋として国内最大、8連アーチ石造橋も、我が国唯一のものです。 |
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【青の洞門】 山国川のほとりの競秀峰のすそに掘られた青の洞門。今は車が通るトンネルになっているが、昔の素掘りのトンネルも一部残っている。 |
【中津城】 中津城は、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田孝高(如水)が山国川(当時高瀬川)河口の地に築城したのが始まりです。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。 |
【福沢諭吉旧居】 慶応義塾の創始者である福沢諭吉の旧居である。諭吉は天保5年(1835)に大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれた。父が死亡したので諭吉が1歳6ヶ月の時に帰藩し、この家で19歳まで暮らした。 |