■慶応3年11月11日 林謙三宛 /所蔵 高知県立歴史民俗資料館
- 十日に書かれた手紙、十一日に届きましたきに拝見させてもらいました。それぞれのお考えはよう分かりました。その中でも蝦夷(北海道開拓)のことは特別にかねてより思い続けちゅう事ですきに、(おまさんが私と共に次の機会をお待ちくださるというお考えに)勿論同意致しますきに。別に2通の手紙が入っちょりまして、愛進(沢村惣之丞)に送るものですけんど、内々ご覧になった後、封をしてお送りしとおせ。ほいたら愛進(沢村惣之丞)から何かゆうてくると思うがです。
その上でお考えくださりませ。私も暇ができたら大坂へ行きたいと思うちょります。他に用件もありますきに。
○さて、今朝(京都におる幕府の)永井玄蕃の所に行き、色々と話しをしたところ、天下のこと(大政奉還後の今)は危険な状態で、(元将軍徳川慶喜公を新政府にお迎えすることは)残念とも、何ともお気の毒で言葉に表すことができません。あなた(林謙三)も今しばらく命を大事にしてつかぁさい。
実は今が一番大事な時ですきに。やがて行かな行かん方向を定めて、修羅か極楽かにお供することになるやらもしれません。謹言。
十一月十一日
龍馬
追伸、かの永井玄蕃は(幕府の人間やけんど)我々と同じ考えの同志でござりまする。(ご安心つかぁさい。)再拝再拝。
- 待ち受ける運命は「修羅か極楽か」。
海軍熟練者の林謙三に宛てた手紙で龍馬は日本の行く末や自らの運命についてこのように述べました。修羅になれば内戦、極楽になれば無血革命。
そして林には身辺にくれぐれも気をつけるように忠告します。蝦夷地の一件とは、龍馬と林が内戦で海軍の人材が失われるのを避けるため、蝦夷地へ避難させるべく合意していたことを示します。
そして運命の十一月十五日が到来。
龍馬を待ち受けた運命は「修羅」でした。
手紙を受け取った林は偶然にも襲撃直後の近江屋を訪れ、龍馬の最後の姿を目撃することとなります。林は維新後、海軍中将となりました。
幕府の若年寄・永井玄蕃頭尚志は勝海舟と共に幕府海軍を立ち上げた人物です。大政奉還における徳川方の立役者の一人で、同時に龍馬を高く評価していました。後、戊辰戦争において最後の五稜郭まで戦い抜くことになります。
■慶応3年11月7日 陸奥宗光宛 /所蔵 国立国会図書館 所蔵
- 追伸
お手元の品(短刀)はどうなりましたか、決着をつけちょかんとまた難しいことになりやしませんろぉか。世界の話でも申し上げるべきでしょうか、この件は白峰(駿馬)や(竹中)与三郎よりちっくと聞いちょります。近頃しょうえい話やおかしい話がげに山のようにござります。かしこ
拝啓
ところで陸奥先生はまもなくご上京すると聞いちょりますが、いろいろご尽力のこと、お察し申し上げます。
今朝与三郎が来て、話を聞いたところでは、陸奥先生のご周旋で(与三郎が)長崎へ行くとのこと、この与三郎はもともと(高松)太郎が大極丸のことでもめた時、ご承知のように我々共々世話をかけた人で、海援隊の外部の人でもあるがです。
先生がお一人で引き受けてくれればええがですけんど、隊士の中から誰か見つけて、長崎で今度手に入れた屋敷で面倒を見て用心をしちょかんと、そのうち立ち行かんようになってやっかいなことになるろぉと思うがです。小野淳輔(高松太郎)の一件については私どもにはいささか意見がござります。ご上京と伺いましたので、一筆さしあげました。
十一月七日 謹言
読後、火中へ
四条通室町上ル西側沢屋御旅館
敬具
陸奥源ニ郎様 才谷楳太郎
御直披
内々の用ながやきお一人で見とおせ。
- 「世界の話でもしよう」
死の九日前、龍馬は同じ市中にいる陸奥宛の手紙の中でこう呼びかけました。
とは言えこの時期の龍馬は多忙です。大政奉還により徳川が天皇に政権を返上したものの、誰も新政府の青写真を描いていませんでした。龍馬は福井で由利公正に会い、京都で永井尚志に面会し、明治政府の枠組みを作っていきます。にも関わらず、龍馬は自ら作った新しい政府の役人になることを望まず、それのみか世界を相手に商売することを考えていたのです。
日本国内に内戦に突入するかしないかの不穏な空気が流れる中、役人にもならずに世界を旅することを夢見た龍馬の姿は、日頃から分かっているとはいえ、陸奥に強烈な印象を与えたに違いありません。
しかしながら龍馬はその夢を実現することなく、近江屋で刺客に襲われ、九日後の十一月十五日に命を落としました。
龍馬から世界の話をもちかけられた陸奥は、後に外務大臣となり、江戸幕府が諸外国と締結した不平等条約を撤廃します。手紙の中に登場する海援隊士・白峰駿馬は同じ海援隊士の菅野覚兵衛と共に渡米して造船技術を学び、神奈川で白峰造船所を作りました。龍馬の志は、残された仲間たちに引き継がれ、やがて彼らをして世界へと飛び出させていきます。
ちなみに龍馬、これ以前にも西郷に「世界の海援隊」の話を語ったり、乙女に「外国ニ遊び候事を思ひ立候」(慶応ニ年夏頃?の手紙)と語っています。もちろん龍馬は昔から世界を相手に商売をしたかったのでしょう。けれども彼の根底にあったものは、少年のように純粋な、未知の世界へ連れて行ってくれる「船」への憧憬だったような気がしてなりません。
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