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奥州平泉 世界文化遺産認定

中尊寺

平泉の歴史的背景

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都市平泉完成まで 〜清衡の思い、戦争のない理想郷を目指して〜

中尊寺本堂清衡の父である経清は、前九年合戦の際、安倍氏に荷担しました。そのため安倍氏の敗北とともに経清は処刑されました。このとき清衡7歳。戦の習いでは清衡も父同様の運命を辿るはずでした。ところが母は、敵方の清原氏に清衡を伴い再嫁したことにより、清衡は奇跡的に命を助けられました。

中尊金色堂新覆堂のちに清衡は、清原家の家督相続争いに巻き込まれ、後三年合戦が勃発。清衡は、絶妙なバランス感覚でこの合戦を唯一生き延び、ついに東北地方の覇者となった。しかしその過程は、異父弟に妻子を殺害されるなど、肉親相食むあまりにも悲惨なものだったのです

毛越寺南大門その後清衡は、非戦を決意し平泉へと向い中尊寺を建立しました。中尊寺は、平泉が東北地方の中心であることを意味すると同時に、戦争のない理想郷を造りたいという清衡の理念を表したものでした。

二代基衡は、父の遺志を継ぎ、平泉の南の玄関口に毛越寺造営を開始しました。毛越寺周辺を京都の鳥羽・白河のようにすることが目的だったようです。のちに「吾朝無双」と称された金堂円隆寺は落慶したものの、嘉祥寺の完成を見ずして脳溢血によりこの世を去りました。1157年のことです。

無量光院三代秀衡により嘉祥寺が完成し、毛越寺は落慶しました。さらに秀衡は、柳之御所遺跡付近の再整備を行い、無量光院、加羅御所、平泉館という平泉の政治的中枢部を造り上げています。ここに、要所に大寺院を配した都市平泉が完成しました。

落日、そして現代へ

毛越寺本堂源頼朝を率いる鎌倉の大軍により、1189年に奥州藤原氏は滅亡しました。平泉は、藤原氏という庇護者を失ったことから、少しずつ衰退していき、1226年には毛越寺の円隆寺、1337年には中尊寺主要堂塔と徐々に焼失し、1600年ごろにはおおよそ現在の状態になったようです。
現在、往時の建物の多くは灰になり遺跡化し、庭園などは田地となっています。しかし平泉の人々は、誇りを持ち続け、遺跡を良好な状態で現在まで守ってきました。さらに舞いなどの芸能もよく伝えられています。「平泉の文化遺産」は、過去の栄華の痕跡だけではなく、現代にも息づいているのです。

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2024-04-21 更新

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