
提供:テレビ大分
日本伝統の防具を作る「甲冑師」。
甲冑(かっちゅう)といえば、アメリカのメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手がエンゼルス所属時代に「兜(かぶと)」をかぶるパフォーマンスで一躍有名になったことは記憶に新しい。
あの兜も、日本伝統の防具「甲冑」のひとつである。
その甲冑を作ったり修理したりする職人「甲冑師」が大分県杵築市にいるとのことで、TOSテレビ大分・刀祢(とね)優月アナウンサーが向かった。
作業場はヒミツの場所に
杵築市内の某所。指定された自宅兼作業場は、貴重な道具を保管しているため、場所は明らかにできないという。
お邪魔した刀祢アナが目にしたのは・・・
なんと、部屋の中に所狭しと飾られた甲冑と、そのパーツらしき部品の数々。
あまりの多さに圧倒されてしまう。

大分県内唯一の甲冑師
こちらが、大分県内唯一の甲冑師・角屋孝治(かどや こうじ)さん、60歳。
東京国立博物館などで国宝や重要文化財の修理などに携わったことのある、すご~い人なのである。
時代や戦い方によって進化する武器に対応するために、甲冑も形を変えている。
それだけでも興味深いが、角屋さんは甲冑を見ただけでどんな時代のものかわかるというから驚きだ。
ちなみに、価格は「ピンキリ」という。
安いもので40~50万円。
高いものは2,000~3,000万円・・・!
刀祢アナも驚きのあまり言葉を失った。

甲冑師の仕事
角屋さんの仕事は、骨董品店や個人から依頼されたモノの修理・修繕、また甲冑一式すべてをつくり込むものまで多種多様。
納品まで数年間を要するものまであるとのこと。

父親の影響
大阪府に生まれ、大分県別府市で育った角屋さん。
骨董品や大河ドラマが大好きだった父親の影響で、小学生の頃に甲冑に興味を持った。
武士たちがまとった芸術性の高い甲冑にどっぷりはまった。

「マイ甲冑」を独学で自作
高校生になっても、角屋さんの甲冑への情熱は、冷めるどころか更に加熱した。
誰にも教わることなく、プラスチック製の部品とヘルメットを使って「マイ甲冑」を作りあげたのである。
高校卒業後は、上京してホテルマンになったが23歳の時に一念発起。
子どもの頃からの夢であった、甲冑の世界に飛び込むことに。
名の知れた師匠の下で修業を積み、やがて独立。
43歳で地元に戻ってからも「甲冑道」を貫き、全国各地からの依頼を受け、仕事に汗を流している。

◆甲冑師 角屋孝治さん
「何もない、1枚の金属の板から少しずつ形になっていくのが楽しいんですよね」
角屋さんは、完成した甲冑を眺めながらご飯を食べて達成感を味わうのが好きだという。
知られざる甲冑の世界に触れ、興味津々の刀祢アナ。
無理を承知で、角屋さんにお願いをしてみた。

初めての甲冑の感想は
甲冑を着てみた刀祢アナ。感想は・・・やはり、「重い」!
細部までつくり込まれた甲冑と、角屋さんの甲冑への情熱の重さを体感した。
角屋さんは、これから個展などを開くのが目標とのこと。
また、1人でも多くの人に甲冑に興味を持ってもらいたいとSNSで制作の様子を投稿しているそう。
甲冑がどんなふうに作られているのか、気になった方は「角屋孝治」で検索を。
角屋さんの「甲冑愛」があふれ出るSNSを見ればあなたも、甲冑の虜になるかもしれない。

「角屋孝治」さん
- 公式SNS
- Instagram「japanese.armor.factory」
※この記事は、2025年02月07日にテレビ大分「TOSオンライン」で公開された記事を転載したものです。
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