絵になる宿場・妻籠宿を行く 江戸の町並みや信州グルメを満喫

江戸時代、街道の拠点であった「宿場」。多くの人が集まり、賑わいを見せました。長野県にある妻籠宿(つまごじゅく)は中山道42番目の宿場にあたり、昭和に入り日本で初めて古い宿場の保存を行った場所としても知られています。山深い木曽路にあって本格的な江戸の町並みを今日でも歩くことができる名所・妻籠宿、その魅力を紹介します。

妻籠宿とは?歴史背景とアクセス

妻籠宿

江戸幕府が成立した1603年、江戸と京都を結ぶ中山道が造られました。妻籠宿は、中山道六十九次のうち江戸から数え42番目、長野県塩尻市から愛知県岡崎市までを結んだ伊那街道と交差する地点ということもあって、古くから賑わいを見せていました。大名や武士、百姓、商人など多くの人が歩いた街道の面影が現在も残っています。宿場内は、ゆっくり歩きまわって2~3時間。古い町並みの中には、作家・島崎藤村の家系が代々切り盛りした宿などもあり、見どころ満載です。ぜひ、時代を感じながら町歩きをしてみてください。

妻籠宿 駐車場からの眺め

妻籠宿へのアクセスは、車が便利。東京からは約4時間、名古屋からは約1時間30分の道のりです。宿場周辺に駐車場は4つあり、乗用車は1日1台500円で駐車が可能です。写真は中央駐車場からの景色。橋を渡ればすぐに妻籠宿です。

電車の場合は、東京から名古屋で特急しなのに乗換えて南木曽駅で下車、駅からはタクシーやバスに乗り継ぎ、4時間30分程度です。

町並み保存運動の開始

妻籠宿は、全国で初めて古い宿場を保存する活動を行った場所と言われています。今も受け継がれているこの眺めの裏には、どのような努力があったのでしょうか。

妻籠宿 桝形

明治になって鉄道や道路が木曽川沿いに造られていき、妻籠宿は宿場としての機能を失い始めました。かつての繁栄が嘘のように、妻籠宿は衰退の一途をたどります。

妻籠宿 妻籠を愛する会事務所

やがて昭和40年代になり、地元有志が宿場の保存を進めようと立ち上がりました。その情熱に心を打たれた東京大学太田博太郎教授は、1967年(昭和42年)12月に「妻籠宿保存計画基本構想」を提案。住民の集落保存への理解も徐々に深まり、1968年(昭和43年)9月には妻籠地区全住民を会員とした組織「妻籠を愛する会」が結成されました。

具体的な保存活動

妻籠宿 町並み

住民は、家や土地を「売らない・貸さない・こわさない」を中心とする住民憲章をつくり、それを元に保存活動を行ってきました。現代社会において、あるはずのものがなくて驚く方も多いかもしれません。
まずは、電柱。町並みの中には、存在しません。日中10時から16時まで車両の進入は禁止されているため、車を見かけることもありません。さらに、送電鉄塔の色彩。風景にマッチした茶系の色合いを採用しています。

妻籠宿 町並み

そして、看板・のぼりばた・のれんの規制。看板は木製で1軒につき2つまで、のぼりは出さない、のれんの色は茶か紺で、長さや幅や形も指定されているそうです。他にも、商品は店頭に出さない、店頭にベンチを設置するなど、細かな決まりごとがあります。

お客さんの呼び込みもなければ、ゴミ箱もない。妻籠宿は、一般の観光地とは少し違った立ち位置のようです。住民はここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです。

妻籠宿を巡ってみよう

概要が分かったところで、いざ現地へ。江戸風情が豊かな町並みがお出迎えをしてくれます。住民たちの努力も噛みしめながら、宿場の散策を始めましょう。

江戸時代の本陣をそのまま再現。妻籠宿本陣

妻籠宿本陣

まずご紹介するのは、宿場の大きな役割の1つである宿泊を担った「妻籠宿本陣」です。本陣とは、天皇のおつかいである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人など、位の高い者が宿泊した施設のことを言います。

妻籠宿本陣

代々、作家島崎藤村の家系である島崎氏が庄屋・問屋を兼ね勤めていましたが、明治20年代に藤村の実兄が東京に出たのをきっかけに建物が取り壊されました。現在の建物は、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに、平成7年に復元されたものです。

妻籠宿本陣

土間の質感、調度品、薪の釜、囲炉裏、床の間など、江戸時代にタイムスリップしたような不思議な感覚になります。
部屋の奥、「上段の間」は、煌びやかな様子はなく掛け軸と花がそっと色を添えており、お殿様が旅の疲れを癒していたという情景が思い浮かびます。当時の様子に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

妻籠宿本陣

開館時間
9:00~17:00(入館受付は16:45まで)
入館料金
大人300円、小人(小学生)150円
定休日
12月29日~1月1日

 

すべてはここから始まった。美しい光に思わず息をのむ、脇本陣奥谷

妻籠宿 脇本陣奥谷

妻籠宿のほぼ中央、妻籠観光案内所から徒歩約3分のところに位置する「脇本陣奥谷」。脇本陣は、先ほどの本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されていました。

昭和42年、「町並み保存構想」が話し合われたのも、ここ脇本陣奥谷の囲炉裏端でした。住民をはじめ、たくさんの方に大切にされている建物です。

妻籠宿 脇本陣奥谷

受付で、「何分滞在できますか?」と聞かれました。訪れた人の時間や興味を考慮し、建物内を案内してくださいます。

妻籠宿 脇本陣奥谷

囲炉裏では、席順について教えてくださいました。
正面奥の「上座」に一家の主、その向かい側の「下座」に長男以外の子どもたち、入り口からすぐの「客座」には来客と長男、その向かい側の「嬶座(かかざ)」に女性、という席順だったそうです。上座と客座、それに嬶座の姑のみが畳の上、同じ嬶座でも嫁は下座と同じ板の上に座っていたそう。嫁姑の関係、長男とそれ以外の子どもとの立ち位置の差など、江戸時代の家庭内の厳格な関係が目に浮かぶようです。

妻籠宿 脇本陣奥谷

島崎藤村の面影も見つけることができます。自身は隣の宿場町・馬籠宿(まごめじゅく)の出身でありながら、母方の祖先が妻籠宿にいたことから、宿場内には数々のゆかりの品が。
脇本陣奥谷は、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」の嫁ぎ先として有名で、藤村がゆふに宛てた手紙が残されていました。

妻籠宿 脇本陣奥谷

そして、近年は若者や外国人観光客にも人気だそうです。きっかけになったのは、SNSに投稿された写真の美しさです。

いつもこの状態が見られるわけではなく、日差しの強弱や時刻など、条件が揃った時にしか見ることができません。11〜12月の正午前後に見られることが多いそうで、自然条件がもたらす奇跡的な瞬間にぜひとも立ち会いたいものです。

脇本陣奥谷

開館時間
9:00~17:00(入館受付は16:45まで)
入館料金
大人600円、小人(小学生)300円
定休日
12月29日~1月1日

 

当時の暮らしが垣間見える。熊谷家住宅

妻籠宿 熊谷家住宅

「熊谷家住宅」は、江戸時代の後期に建てられた長屋の「一部」。一部というのも、もともと二軒長屋だった建物の中心部だけが取り壊され、右の居住区の右半分と、左の居住区の左半分がつなぎ合わされ一戸の住宅として改変されたためです。 こうした成り立ちは建築学上でも珍しく、当時から貴重な建物とされてきました。1973年(昭和48年)に解体復元されて現在の形になった後、この貴重な建築物を後世に伝えていくために町指定有形文化財とし、一般に公開されるようになりました。

妻籠宿 熊谷家住宅

飾り気が少なく、雨を凌ぐ軒は低めに作られているなど、当時の平民の家屋の形を今に伝えています。

妻籠宿 熊谷家住宅

熊谷家住宅の間取りは民家によくあったもので、板の間、土間、廊下、雪隠などを実際に見学することができます。

妻籠宿 熊谷家住宅

鍋がかけられた囲炉裏を囲むように、畳の上にはお膳が並びます。江戸時代、ここで暖を取ったり調理をしたりしていた当時の生活を忠実に再現。他にも、石臼、糸枠、脱穀機など、手作業が当たり前だった当時のさまざまな道具も展示されており、想像力を掻き立てられます。

熊谷家住宅

開館時間
見学自由
入館料金
なし
定休日 
なし

 

ホッと一息。妻籠宿の信州グルメ

たくさん歩き回って、ちょっと一休み。そんなときにおすすめの店を紹介します。味はもちろん、住民憲章を守って保たれているお店の雰囲気もお楽しみください。

まさに、おふくろの味。お腹も心も満足、俵屋里久

妻籠宿 俵屋里久

脇本陣奥谷から徒歩約2分のところにある、お蕎麦屋の「俵屋里久」。趣のある外観に引き寄せられてお店に入ると、店員さんが笑顔で声を掛けてくださいました。

妻籠宿 俵屋里久

木材を使用した内装や、壁に貼られた手書きのメニューが、当時の食堂の雰囲気を醸し出しています。席は、カウンター、テーブル、座敷があるので、お一人でもご家族でも気軽に立ち寄ることができます。

妻籠宿 俵屋里久

一番人気メニュー「ザル御幣餅セット」(1,000円・税別)を注文しました。

妻籠宿 俵屋里久

数種のそば粉をブレンドした二八そばで、つけつゆも店内で作られた秘伝のもの。滑らかなのどごしのそばを、ダシがしっかりと効いたつゆにつけ、さっぱりといただきました。
中部の山間部に伝わる郷土料理である五平餅は、とてもしっかりとした噛み応えのお米に、ごまとくるみの味付けが香ばしくて食欲をそそります。おそばや、お米、お味噌など、海のない山間だからこそ育まれてきたお料理を堪能しました。

俵屋里久

営業時間
9:00〜16:30
定休日
金曜日

 

栗きんとんといえば、ここ。おいしさと癒しを提供する、ゑびや

妻籠宿 ゑびや

1980年(昭和55年)に創業された「ゑびや」。ゆったりとくつろげる甘味処として、人気のお店です。

妻籠宿 ゑびや

中に足を踏み入れると、ゆったりとした座敷席。落ち着ける空間が広がっています。

妻籠宿 ゑびや

通年で楽しめる、「抹茶と栗きんとん」(500円・税込)を注文しました。

妻籠宿 ゑびや

信州の銘菓としても名が高い栗きんとんは中津川の菓子工房さんのものを、抹茶は愛知県西尾のものを使用しています。風味豊かな栗きんとんは、口に運ぶと思わず笑みがこぼれてしまうほど。江戸風情に包まれながら、栗の旨味と自然の甘さがぎゅっと凝縮された栗きんとんを頬張ったあとにお抹茶を頂く、なんとも趣ある体験です。

夏には、栗きんとんの素を贅沢に使ったかき氷(350円〜750円・税込)も登場します。ぜひ季節ごとで訪れてみてください。

ゑびや

営業時間
8:00〜17:00
定休日
不定

 

1泊するなら、富貴畑高原温泉 ホテル 富貴の森

せっかく妻籠宿に行くのなら、中山道をトレッキングしたり、お隣の宿場町・馬籠宿を訪れたりするのもおすすめ。ゆっくりと、特別なホテルで1泊するのはいかがですか?

妻籠宿 富貴畑高原温泉ホテル富貴の森

妻籠宿から車で約15分の所にある、「富貴畑高原温泉 ホテル 富貴の森」。山の中にひっそりと佇んでいます。

妻籠宿 富貴畑高原温泉ホテル富貴の森

豊かな自然と、上質な温泉。「アルカリ単純硫黄冷鉱泉」という泉質で、無色、無臭で硫黄の香りはほとんどありません。少しとろりとしたお湯は肌に優しく、日々の疲れを癒してくれそうです。

夜には満点の星空も観賞できます。お部屋や露天風呂から眺められるだけでなく、星空テラスを貸切ることができるプランなどもあります。江戸時代の町並みを歩いたあとは、星空に悠久の時を思う、贅沢な時間をお過ごしください。

富貴畑高原温泉 ホテル 富貴の森

住所
長野県木曽郡南木曽町吾妻4644-7

 

 


住民たちの努力によって大切に守り続けられてきた江戸時代の町並みが、妻籠宿にはありました。歴史ある風景、おいしいお料理、豊かな自然。本物に出会える、妻籠宿の旅へ出掛けてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

取材・撮影・文/南谷有美

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