働き盛りに罹患したがんで声を失った男性が、旅から得た生きるエネルギー

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

日本人の約2人に1人が生涯でがんを患います。家族や近しい友人も含めて考えたら、がんと関わることは、誰しもありえること。一方で、約半数のがん患者さんが、体調面での課題や漠然とした不安から、旅行をあきらめたり行き先を変えたりした経験を持っています。がん患者さんが安心して旅行を楽しめる社会を実現したい。患者さんの声をもとに、このシリーズは生まれました。

がんをきっかけに「旅」と距離ができてしまった患者さんが、新たな「旅」の楽しみを見つけ、それぞれの大切な思い出を作る。その一歩を、後押しするコラムシリーズです。

今回は食道がんサバイバー・村本高史さんのインタビュー

働き盛りに罹患したがんで一度自らの声を失ったものの、闘病経験から見出した生きる意味を社内外に伝える数多くの旅が、自らの生きるエネルギーにもつながっている、村本高史さんのインタビューをご紹介します。


サッポロビール株式会社 村本高史さん<br>

話し手:サッポロビール株式会社 村本高史さん

人事課長時代の2009年4月に、頸部の食道がんが発覚。放射線と抗がん剤の治療で一旦がんは消えるも、2年後、人事総務部長に昇格直後に再発し、手術で食道の一部を切除し、再建、また咽頭・喉頭も切除。その後、闘病体験とともに自らの人生の目的と使命を社内に伝え、自由な意見交換をする「いのちを伝える会」を立ち上げ、社外講演を含めて全国を飛び回る。


聞き手:株式会社メディカル・インサイト 鈴木英介

声が自由に出せず、電車に乗るのも怖かった

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

―今日は、働き盛りに罹患した食道がんで一度は声を失った男性がどんな困難を体験し、旅をすることが人生にどのような意味を持つようになってきたのかというお話を伺っていきたいと思います。村本さん、どうぞよろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

― 2011年に人事総務部長を務められていた際に食道がんが再発し、食道の一部を切除し再建、また咽頭・喉頭を切除されたとのことですが、日常生活ではどのような困りごとがありましたか?

一番辛かったのは、やはり声が出ないことですね。知っている人とすれ違っても挨拶もできないのは、気まずいですよ。職場への復帰前にあらかじめ自分の現状を社内外にメールで伝え、対面のコミュニケーションは、最初は筆談に頼りました。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

電子メモパッドの「ブギーボード」というものがあるのですが、これを筆談用に必ず持つようにしていましたね。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

― 声が出ない状態での生活というのは、ちょっと想像がつかない大変さがありそうですね。ただ、今こうして伺っていると、お声は聞き取れます。

「発声教室」に通って、食道発声法というものを身につけますと、小さい声だけど出せるようになるんです。

ただ、私の場合、手術の術式上、喉を押さえないと喋れません。また、パッと声が出ないので、たとえば何かトラブルが起きて、さっと謝ることができなければ「何だこのやろう」ということにもなりかねません。その意味では、最初の頃は電車に乗るのも怖かったですね。

最初の旅で自信をつけた、薬師如来への御礼参り

―当初は電車に乗るのも怖かったということですが、今や毎月のように、全国各地にご出張やがん患者さんとの交流に出られています。再発後の手術を経験されてから最初の旅行は、どのようにされたのですか?

職場に復帰したあとの、2012年の5月頃。妻と2人で、東京から京都に日帰りで御礼参りに行きました。

―「御礼参り」と言われますと?

入院していた時に、妻が毎日見舞いに来てくれていたのですが、日によって遅い時もあったんです。疲れが出ていたのかと思っていたのですが、実は私に言わずに京都の東寺まで行って、薬師如来にお参りしてさりげなく戻ってきていたことを、退院してから知りました。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 東寺 東寺

妻の心遣いもうれしかったのですが、これはやはり御礼参りに行かねばという思いでしたね。

―素敵なエピソードですね。初めての遠出ということで不安はなかったのですか?

妻が一緒でしたから、万が一何かあっても頼れると思うと安心できました。特にトラブルもなく、この旅で外に出ていく自信をつけられたように思います。

東寺

住所
京都府京都市南区九条町1番地
アクセス
JR「京都」駅から徒歩約15分
近鉄「東寺」駅から徒歩約10分
その他詳細
東寺 公式Webページ

一番の思い出は、サバイバー仲間との石巻での交流

東寺の旅行以来、徐々に外出をするようになった村本さんは、食道発声教室に通ってリハビリを進めていきます。

職場では、会社の配慮もあって復帰して3カ月後に部下なしの部署に異動。ゆっくり時間が取れるようになった中で、働く意味・生きる意味について熟考を重ねました。そうして、自らの使命は、自身の経験を伝えることで「家族、会社の仲間、友人・知人、そして社会に勇気や希望を提供する」ことだと思い至ります。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

まとまった話ができるようになった2014年、村本さんは使命を果たすためのアクションを開始します。社内で、自身の闘病体験や思いを他の社員に伝える「いのちを伝える会」をスタート。社外でも、「国立がん研究センターがん対策情報センター」が運営する患者・市民パネルに参加して、がん経験者同士が集まる様々な場に出て行くようになりました。

―今や2019年秋だけで、8カ所も全国を飛び回られ社外講演をされていると伺いましたが、これまで一番思い出に残っている旅先と、その時のエピソードなどをお聞かせください。

2018年に行った宮城県の女川町と石巻市ですね。現地サバイバー仲間の調整で、「就労支援カフェ」(一般市民向け)と「日和山カフェ」(がん当事者向け)という2つの場で、講演の機会を頂きました。

講演の合間に、サバイバー仲間に連れて行ってもらった場所で、特に印象に残っているのが、女川港と日和山(ひよりやま)公園です。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 女川港 女川港

女川では、地元の中学生が津波到達地点に建てた「いのちの石碑」を見て、ここまで津波が来たのかと驚きましたし、ひっくり返ったままの旧女川交番の遺構を見て、とてつもない津波の力を感じました。それでも、徐々にではあろうけれど復興が進み、町の人たちの暮らしが営まれている息遣いを感じ、少しほっとしましたね。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 日和山公園 日和山公園

高台にある日和山公園は、震災の日、多くの市民の方が避難して不安な気持ちで町を見下ろして一夜を過ごした場所です。想像も及ばないけれど、暗く燃え上がる町を目にしながら、どれほど不安でやり場のない気持ちだっただろうかと。

それと同時に、震災とがんは違うけれど、がんになった人の不安でやり場のない気持ちは、震災の日この公園にいた方々の気持ちと、確かに通じるものがあるということを思いました。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 地元のサバイバー仲間と日和山公園へ

この公園にちなんだネーミングの「日和山カフェ」という、患者さんやご家族の方が語らえる集いの場で講演した時も、公園で湧き上がった感情がオーバーラップして、心に深く刻まれました。

患者さんたちが私の体験談を、それぞれの不安でやり場のない思いや立場に引き寄せて受け止めてくださったことへのありがたさ。さらに、様々な思いを抱え、家族とも向き合いながら、それでも何とか日々を過ごしていこうとする患者さんたちのかけがえのない人生に触れて、こちらも元気をもらいました。

日和山公園

住所
宮城県石巻市日和が丘2丁目地内
アクセス
JR「石巻」駅より徒歩約20分
その他詳細
日和山公園Webページ(石巻市)

旅のお守りは、防犯ブザー

―旅先での様々な患者さんたちとの触れ合いが、村本さんの生きる意味にもつながっているのですね。ところで、今では全国を飛び回られていますが、旅に出られる際に、患者さんならではの事情で気をつけられていることはありますか?

ともかく、準備が大事です。何かトラブルがあった時にパッと大きな声が出ないと心配なので、防犯ブザーは必ず入れて持っています。使ったことはないですが、入れていると安心しますね。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

―まさに「お守り」ですね。他に気をつけられていることはありますか?

泊まりが入る時は、気管孔の穴のケア用品は忘れないとかもそうですね。

―「気管孔」のケアというのは、具体的にどのようなものですか?

呼吸をするために首に開けた穴を気管孔というのですが、専用の小さなエプロンなどをかぶせて、異物混入や乾燥を防ぐ必要があります。また、毎日、気管孔内を確認し、汚れを取り除いて清潔にしておくよう管理することが大切です。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

―なるほど。やはりご自身の状況に応じて「旅の必携グッズ」というものがあるのですね。お食事などで、宿側に配慮してもらうようなことはありますか?

食事に関しての制限は特にないですね。私の場合は、少し時間をかければ何でも食べられますので。

ただ、ステーキみたいなしっかりした肉などは引っかかるリスクがあるので、よく噛んで食べないといけません。なので、ゆっくり食べさせてもらえるとうれしいですね。

旅を通じて得た、使命に立ち向かうエネルギー

―最後に、村本さんのように働き盛りでがんに罹患して、体調面の不安や、追加の休暇取得で職場に遠慮してしまうなどの理由で、旅に出づらくなる方もいらっしゃると思います。そうした方々に対するメッセージをいただけますか?

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 サッポロビール 上富良野の研究開発拠点

がんになって、今までとは違った立場や思いでかつて訪れた場所に行くと、今生きていることの喜びを実感することもある、ということをお伝えしたいです。

罹患前は、仕事で2年の間に14回も北海道の上富良野町へ行った時期があります。上富良野町は、サッポロビールの研究開発拠点があるとともに、大麦やホップの生産地でもあります。当時は広告宣伝の仕事をしていて、ここをモデルにしてCMを作っていたんですね。

先日、「いのちを伝える会」で14年ぶりに上富良野を訪れることができました。自分の状況は大きく変わったけれど、生きて再び土を踏めたというのは本当に感慨深かったです。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」 上富良野町の田園風景

―同じ風景を見ても、感じ方が全く違うということがあるのですね。

ええ。がんになって、失ってしまったことや気持ちの変化はあるけれど、かつて訪れた地の景色を見ると、また新たな発見や新たな思いが出てくるものです。初めての地ならばもちろん、新しいものや人に出会える新鮮な喜びがあります。がんになってからも多くの場所を訪れてきましたが、どちらのケースでも、旅を通じて元気やエネルギーを得られていると実感します。

ただ、体調に不安のある方は、いきなり無理はしない方が良いとは思いますよ。私の場合もそうでしたが、まず日帰りで近距離のところから始めて、それができたら国内で宿泊、というような形で徐々に慣らしていくのが大事でしょうね。

シリーズ「がん患者さんが見つけた旅の喜び」

―素晴らしい締めの言葉を伺えました。働き盛りにがんを罹患すると、仕事人としての人生を大きく変え得るけれど、旅がそこに良い刺激となって、もっと大きな「使命」に立ち向かうエネルギーになり得るのだということを教えていただけました。

本日は、貴重なお時間を頂戴し、どうもありがとうございました。村本さん、これからもぜひ、「人生の伝道師」としての旅を続けられてください。


“旅行から、がん克服”プロジェクト

がんになっても安心して旅を楽しめる社会を実現する「“旅行から、がん克服”プロジェクト」。がん患者さんと旅に関するコラム、旅に対する意識調査結果、旅行情報のQ&Aなど、がん患者さんの「旅」を後押しする情報をご紹介します。


取材・文/鈴木英介(株式会社メディカル・インサイト)

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