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珠洲焼は、12世紀後半から15世紀末にかけて珠洲郡内で生産された、中世日本を代表する焼物。 14世紀には最盛期を迎え、日本の四分の一を商圏とするまでになりましたが、15世紀後半に、 衰えて間もなく廃絶しました。窯跡は、宝立町にある法住寺古窯跡をはじめ、約四十基の古窯が判明。
珠洲焼は、能登半島の漁港から「潮の道」に乗って、日本海域のすべての農・山・漁村へ運 ばれ、使われた。新潟県から東北へかけては、珠洲窯と兄弟関係にあたる古窯が知られているが、 敦賀・小浜と北海道南部を結ぶ”海の新幹線”が発達した南北朝時代以降、日本列島の約4分 の1が”珠洲焼文化圏”におさまり、太平洋の常滑焼と東日本の市場を二分した。 中世の日本海々運の実像は、鍛冶・由物職人や塩商人が集まって栄えた。港町の発掘によっ て明らかである。文献にみえる大野庄湊(金沢市普正寺遺跡)、土崎湊(秋田県後城遺跡)、 十三湊(青森県十三遺跡)では、珠洲焼とともに中国陶磁・瀬戸焼がふんだんに消費され、 ”小都市”の活況がうかがえる。また、半島の沖合いから新潟県の名立、岩船沖などには、 難破した豪族や商人の「津軽船」「北国船」が眠る、海底の墓場がみつかっている。
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