四郎ヶ浜海水浴場
天草・島原の乱のとき、周辺の海岸にキリシタン軍の総大将「天草四郎時貞」が上陸したと伝えられることから、四郎ヶ浜ビーチと名付けられた。白砂の美しい砂浜部分が、515mも続き、眼前に雲仙の山並みを望む県内でも有数の景観を誇るビーチ。「オレンジハウス」の愛称で呼ばれる休憩施設は2カ所あり、シャワー・トイレ・更衣室・コインロッカー・水飲み場・遊歩道を完備している。天草でもっともにぎわうビーチ。また、環境省選定の「快水浴場百選」に天草で3つ選ばれたうちの一つ。
四郎ヶ浜荘から徒歩約5分。
サンタマリア館
かつて東洋と西洋の接点としてキリシタン文化の華が咲き乱れた天草も、やがて苦難の時代へ。
このサンタマリア館には、キリシタン衰史を物語る数々の資料が展示され、訪れた人々を昔日へと誘う。2Fには、日本中のめずらしい徳利(600本)や、天草土(どろ)人形が展示されている。
四郎ヶ浜荘お隣さんです。
道の駅リップルランド
四郎ヶ浜荘斜め前の道の駅。温泉施設「有明温泉さざなみの湯」併設
イルカウォッチング:イルカマリンワールド
五和町沖合いの海域にはたくさんの魚がいます。
これをエサにやってきた野性のミナミハンドウイルカを
運がよければ見る事ができるかもしれません!(なんと、イルカ遭遇率99%!)
ザ・マスターズ天草コース
18ホール中12ホールで海を見ながらのプレイが楽しめる。
自然に囲まれた雄大なコースでのプレイをお楽しみください。
チェリーゴルフクラブ天草コース
天草の玄関口に位置するコース。 天草五橋や海に浮かぶ島々を眺めながらのプレーは最高です。
その他天草の海、山、島の景色を楽しみながらのんびりドライブするのもおすすめです。
天草の上島、下島をドライブしているとキリシタンの名残である教会や史跡がところどころに見られます。
島の雰囲気あふれる漁村が有ったと思えば、史跡や洋風の建物があったりといろんな天草を思い思いに楽しんでください。
慶長6年(1601) 唐津城主の寺沢広高が旧小西領だった天草を統治する。 その際、定めた領内の石高が、耕地面積が乏しい天草にとってあまりにも過大な数値でした。これが、後の 「天草・島原の乱」に影響していくことになります。
島原城
島原の乱の原因ともなった当時の藩主松倉勝家の城 この城の築城費用捻出の為の圧政が引き金になったと言われる。
慶長18年(1613) 当時の天草・島原地方は飢饉や重税とキリシタン弾圧に苦しみ民衆の不満は頂点に達していました。その不満を抑えていたママコフ神父は、信仰を禁止された天草の民に向かって「25年後、16歳の天童が現れ、パライゾ(天国)が実現するであろう。」と、民にとって希望に溢れる預言を残しました。
天草四郎メモリアルホール
天草四郎に関する書物などを収めたメモリアルホール。魅力いっぱいの天草四朗をもっと知る事ができます。
寛永11年(1634) 大凶作。それでも年貢の取立ては容赦がなく、火あぶりの刑や 生きたまま海に投げ込んだりするなど、想像を絶するキリシタン信者の迫害が続きました。
天草市立天草キリシタン館
キリシタン史を中心とした天草の歴史と豊かな自然に恵まれた観光資源を紹介している施設
寛永14年(1637) 予言から25年後、長崎留学から帰った天草四朗。彼こそが神の子の再来と噂される。四郎の熱心な説教は人々の心を捉え、評判は瞬く間に天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられました。
寛永14年(1637)10月 年貢納入期を前に、四郎を総大将にまず島原で火の粉があがり、続いて大矢野町へ。一揆群は大島子(天草市)の戦い、町山口川(天草市)の戦いで勝利を収め、勢いに乗って富岡城(苓北町)を攻めますが、難攻不落、富岡城陥落をあきらめ、海を渡って原城へ向かいました。
湯島(別名:談合島)
島原の乱の際に天草四郎をはじめとするリーダーが集まり作戦を練ったことから別名談合島と呼ばれる。 また、乱に備え武器を作った跡もある。今はのどかな猫の島となっており、のんびりした漁村の雰囲気が楽しめる。
寛永15年(1638)2月 原城に3ヶ月間篭城し奮闘しましたが力の差は歴然。幕府軍に破れ四郎は城で自害したとされています。
原城跡
島原の乱の際の一揆軍が立てこもった城跡。当時から廃城となっていた。ここで約3万7千人の一揆軍が籠城して戦い散っていった。
知れば知るほど魅力的な天草四朗。そんな四郎に縁ある史跡や像がここ天草には多く残されています。たとえば、ここ「四郎ヶ浜荘」の名前の由来になった「四郎ヶ浜」 やっぱり、天草四朗と関係があるのです。 島原の乱の時、周辺の海岸に四郎が上陸したと伝えられることから「四郎ヶ浜」と名付けられました。こうやって歴史に思いを馳せながら、縁の地を巡るのもまた面白いかもしれませんね。
天草殉教公園
天草本渡市を一望できる丘の上にある公園。園内にある千人塚は島原の乱の際の殉教者の墓碑を集積したもの。
祗園橋
造られたのは天保3年(1832年)のこと。島原の乱の際に一揆軍と幕府軍がこの橋の付近で激突、多くの屍で川の流れが止まったとの逸話も。「天草の乱激戦の跡」という石碑がある。
大江天主堂
島原の乱を逃れ、隠れキリシタンとなった人々が多くいた天草の地に昭和8年に宣教師のガルニエ神父が私財を投じて建てた聖堂。
藍のあまくさ村
上島の国道266号線沿いにある「お土産」「食事」「史跡」がいっぺんに集まった観光人気スポット。 高さ15m!日本一の天草四郎像があることでも有名。