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印通寺港
(当館より車で1分)
唐津と壱岐をつなぐ玄関口!
当館からも見えています。
《印通寺港の由来》
昔、神功皇后が三韓征伐のために西海に行ったとき、日本武尊(やとたけるのみこと)の子である十城別王(とときわけのみこと)が一緒に行ったそうです。
しかし、この十城別王は、この地で恐怖の念に駆られで逃げ出してしまいました。
皇后は、十城別王の勇気がないのを恨み、矢を手にとり投げつけたら、正確に背中を射通したそうです。
この事から、この場所を射通と呼ぶようになり、これがなまって、印通寺になったと言われています。 |
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男岳神社の石猿群(芦辺町)
昔より信仰の山として参拝者が絶えなかった場所。
牛の平安や繁殖を祈願する人が石牛をあげていたのが始まりで、祭神が猿田彦命という関係からか、徐々に石猿に変わって、今に至るようです。
この数からも、この山の信仰の高さが計り知れます。 |
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城山公園(勝本城跡)
(当館より車で約30分)
太閤秀吉夢のあと・・・
豊臣秀吉の朝鮮出兵の貴重な補給路として築かれた勝本城(別名:武末城、風本城、雨瀬包城)の城跡です。
石垣や稲荷神社が名残として残っています。 |
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東風石(こちいし)と石燈籠
(当館より車で約30分)
東風石には、神功皇后伝説があって、皇后が三韓出兵の折、壱岐の勝本浦に寄港するが、追い風が吹かないため、この石に順風祈願をすると、石は2つに割れてさわやかな東風が吹き出し、出船できたというものである。
東風石の大きさは、縦約3.9m、横約3.35m、高さ約2.7m、周囲約11.45m。
なお、2基の石燈籠には、寛文11年(1671年)11月吉日の銘があり、寄進者は講中15人とある。
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鏡岳神社の石段
(当館より車で約30分)
300段以上もある石段を男女が一度も振り返らずに登りきったら、2人は永遠の愛を誓えると言われてます♪
また、この一の鳥居の前は、昔は海で、石段は海の中まで続いていたそうです。
石段の左右に広がる森は、貴重な植物が多いことから、県指定の天然記念物に指定されています。 |
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鏡岳神社 本殿
地元では『初瀬(はぜ)のごんげんさん』の愛称で呼ばれています。
古くは本社・中宮・北山宮からなる三者権現をなしていたとのことですが、現在では本殿のみ残っています。
祭神は正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
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初瀬(はぜ)の岩脈
鏡岳神社のすぐそば、民家の脇を通り抜けると黒い玄武岩と白い流紋岩の対比が鮮やかな岩脈があります。
壱岐の島の成立解明上、貴重な資料とされています。 |