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写真1
身近な有田で 偉大なる一族の歴史と共に、醤油で財を築きあげた濱口家の歴史に触れてみたいと思います。 当地、有田地方には偉大な方が居られます。其の名は濱口梧陵。 我が有田川町の隣町で広川町の濱口家が生家。 今で言うと財閥か??大富豪の様な華麗なる一族が居られました。 徳川幕府においては、紀州藩勘定奉行に、また 満州国においては皇帝“ラストエンペラーまで及ぶ壮大な濱口一族の歴史をご案内します。 濱口儀兵衛(梧陵)<はまぐちぎへえ(ごりょう)>(ヤマサ醤油) 生 1820年(文政3)6月15日 没 1885年(明治18)4月21日  ヤマサ醤油7代目社長。名は成則。紀州広村(和歌山県有田郡広川町)の分家に生まれる。12歳で本家である6代目濱口儀兵衛(保平)の養子となる。1854年(安政元)、紀州に戻っていた儀兵衛(梧陵)は、巨大地震(安政東海地震と安政南海地震という2日連続して起きた地震)に遭遇した際、潮の引き方や井戸水の変化などから津波が来ることを察知し、村人を高台へ避難させる為、自分の田んぼに積んであった稲束に火を付けて道しるべにさせて多くの人命を救った。この人命救助については、明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が自著の中で「生ける神」と賞賛し、当時の教科書にも「稲むらの火」として紹介された。その後、私財を投じて仮設住宅の建設や農漁具の調達などを行い、離村を防止した。また、将来の津波被害防止の為に対しても多額の私財を投じて、1855年(安政2)から約4年をかけて、全長600m・高さ5m・幅20mの堤防を建設した。1858年(安政5)、江戸でコレラが流行した時、銚子の開業医・関寛斎を江戸に招き、親交のあった名医に預けて予防法や治療法を研究させ、銚子地方を救った。また、翌年には、江戸のお玉ヶ池種痘所(東京大学医学部の前身)が火災で焼失した際、巨額を寄付して再建した。幕末から明治にかけて、佐久間象山・勝海舟・福沢諭吉などとも親交があった。 http://arida.wakaayu.net/bb/hamaguchi.htm 重要文化財に指定に登録 http://wbs.co.jp/news/2014/05/16/42454.html
写真2 写真3 写真4
濱口家の庭を一部公開されています。 春の桜の花が咲く頃は、何種類もの桜の花が鑑賞できます。  西濱口家 西濱口家 
写真5 写真6 写真7
東濱口家 東濱口家 東濱口家 

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