- 沢渡温泉
- 草津の直し湯と
呼ばれた名湯
明治時代まで沢渡は、江戸から草津を結ぶ主要道だった。交通の要衝にあったことから、特に草津からの帰途には「湯ただれ」を癒やす浴客でにぎわったという。 草津温泉は酸性度が強く、浴客はよく皮膚のただれをおこした。そのため「一浴玉の肌」と呼ばれるアルカリ性のやわらかい沢渡の湯は、草津の「なおし湯」とも「ながし湯」ともいわれた。
交通網の発達した現代では、若山牧水が草津から暮坂峠を越してやって来た頃のような草津と沢渡の関係はなくなってしまったが、湯の良さは昔と変わらない。今は肌をなめらかにする「美人の湯」として知られている。
- 尻焼温泉
- 川床から湧く湯が
尻を焼く
尻焼温泉の発見は古く、嘉永7(1,854)年の「入山古絵図」に温泉地として記されている。川の中の野天風呂として、村人たちが利用していたらしいが、温泉旅館が建ったのは昭和元年のこと。花敷温泉で経営していた旅館が、別館として新築開業したのが始まりである。
泉源は長笹沢川の川床にあり、かつては人が入れるだけの穴を掘り、裸になって座ると尻が焼けるように熱くなることから「尻焼」の名が付いたという。昔から痔の治療に効果があるとされてきた。
- 新鹿沢
- 歴史を物語る2つの鹿沢
上信越高原国立公園内にある鹿沢温泉郷には、2つの温泉地がある。一般には鹿沢温泉、新鹿沢温泉と表記されているが、地元では鹿沢温泉のことを新鹿沢に対して、旧鹿沢と呼んでいる。それは昔、2つの温泉は1つだったからである。 明治時代、現在の旧鹿沢温泉には十数軒の旅館があり、湯治客らで大変にぎわっていたという。ところが大正7年に大火が温泉街を襲い、全戸が焼失してしまった。湯元の「紅葉館」だけが旧鹿沢に残り、多くの旅館は再建をあきらめ、数軒が4キロ下った場所に新鹿沢温泉を開いた。
現在、新鹿沢温泉には5軒の旅館があるが、すべて旧鹿沢の源泉より引き湯をしている。
- 湯宿温泉
- 真田一族ゆかりのいで湯
開湯は1,200年前(平安時代)と伝わる。仁寿2(852)年、須川の弘須法師が岩穴にこもって、大乗妙典を読誦したところ、その功徳により温泉が湧き出したという。
また初代沼田城主の真田信之が関ヶ原の合戦の後、戦の疲れを癒やすために須川の湯(現在の湯宿温泉)を訪れている。それをきっかけに、2代目信吉、3代目熊之助、4代目信政も下屋敷(別邸)として愛湯した。なかでも最後の城主、5代目信直は痔の持病に苦しみ、ここの温泉で根治したため、そのお礼にと裏山に薬師如来堂を建立寄進したことが、古文書に記述されている。
- 上牧温泉
- 自然と温泉に恵まれた環境
JR上越線、上牧駅から歩いて行ける交通至便な温泉地。三峰山と大峰山にはさまれた山あいの旧月夜野町は、平安時代の歌人・源順(みなもとのしたごう)が東国巡礼の途中にこの地を通り、三峰山から昇る月を見て「おお、よき月よのかな」と感銘して歌を詠んだことから付いた地名だといわれている。
現在、温泉宿は5軒。近くに水上温泉という大観光地をひかえながらも、ここは俗化されない、のどかで静かな湯治場の風情を保っている。このため、豊富な温泉と自然環境に恵まれていることから、昭和54年に当時の環境庁より国民保養温泉地として指定されている。周辺には月夜野びーどろパークや矢瀬親水公園、フルーツ狩りなど、遊びどころも多い。
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人気の貸切風呂と炭火山里料理の宿 辰巳館 裸の大将が愛した化粧の湯が湧く老舗旅館
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月がほほえむ宿 大峰館 湯量豊富な自家源泉は、切り傷・やけどに特効あり
- 谷川温泉
- 疲れも病も癒やす「御裳裾の湯」
その昔、600年以上も前のこと。谷川岳に白光が輝き、虹のように天に映えて美しく彩った。里人たちは驚いて、この不思議を祈祷師にたずねたところ「富士浅間大菩薩が山に飛来され、このあたりに福徳をお授けになる前兆である」と告げた。 それからというもの谷川の川岸に、夜な夜なルリ色の光が立つようになったため、ある夜、里人が不思議に思い近寄ってみると、美しい姫が川で身を清めていた。「これは富士浅間大菩薩の化身では」と、さらに近づくと姫は消え、岩間から温泉が湧き出したという。
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旅館たにがわ 文学と湯の香ただよう太宰治ゆかりの宿
- うのせ温泉
- 利根川の渓谷美を望む温泉地
上越線、水上駅を出ると、しばらくは利根川の流れを左手に見ながら進むが、やがて電車は鉄橋を渡る。このあたりが、うのせ温泉で、現在、利根川右岸に4軒の湯宿が点在している。
鉄橋の下は渓流がうずまき、エメラルドグリーンの流れの中に奇岩や中州が浮かんで見える。昔、ここを「鵜の瀬」と呼んだらしい。カワウが、たくさん飛来していたのだろう。
地元では、地名から「高平の湯」とも、湯の温度が低かったことから「ぬる湯」とも呼ばれ、湯治客が訪れていた。近くには、奇岩が並ぶ渓谷が美しい紅葉峡、国指定史跡の石器時代住居跡などがある。
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旅館みやま 牧水が泊まった名旅館の面影を今に残す
- 湯檜曾温泉
- 落武者が湯にひそむ村
湯檜曽温泉の湯の発見には、こんな伝説がある。
平安朝時代のこと。奥州の豪族、阿部一家は、足利の軍に追われて各所を点々と逃げ回り、沼田の奥の尾瀬に落ちのびた。その残党が尾瀬城を築き、子々孫々に伝えた。
時代が下って鎌倉時代。尾瀬城が将軍足利義教に攻め滅ぼされた時、城主・阿部貞道の三男、孫八郎貞次だけが落ちのびて、上州をあちこちさまよい歩き、利根川を川上へさかのぼったところ、湯けむりの立つ谷間にたどり着いた。これが湯檜曽温泉のはじまりとされている。湯にひそんでいる村という意味から、「ゆのひそ村」と呼ばれるようになったという。
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清風かおる湯宿 林屋旅館 湧き水のように美しく澄んだ湯の流れ
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もちや旅館 時代も町も変わったが、湯と宿はあの頃のまま
- 湯の小屋
- 落人伝説が残る葉留日野の里
水上温泉から利根川の源流へ向かい遡上すること、車で約30分。奥利根三湖の一つ、洞元湖にそそぐ木ノ根沢のほとりに、水上温泉郷最奥のいで湯、湯の小屋温泉がある。そしてここは、群馬県内最北の温泉地である。
新潟県と福島県との県境に位置する一帯は、現在は藤原郷と呼ばれているが、昔は万葉集に「葉留日野の里」と詠まれた奥深い山里で、奥州藤原氏の落人伝説が残っている。
その昔、この付近に領主が罪人を山流しにした際、番人が小屋を建てて住んだので、「湯の小屋」の名が付いたといわれている。
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たぬきのお宿 洞元荘 降りそそぐ蝉しぐれに打たれながら升酒を
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木造校舎の宿 葉留日野山荘 タオル片手に校庭を歩いて湯小屋へ
- 川場温泉
- 弘法大師ゆかりのいで湯
日本武尊命が東国征討の時に登頂したと言われる上州の霊峰・武尊山(標高2,158メートル)。古くから山岳信仰の山として、地元民と深いかかわりがあった。現在でも日本百名山の一座として、ハイカーたちに人気が高い山だ。
川場村のシンボルともいえる武尊山のふもとに湧く川場温泉は、昔から「脚気川場」といわれ、脚気患者が多く湯治に訪れていた名湯である。
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かやぶきの源泉湯宿 悠湯里庵 弘法の里によみがえった日本の原風景
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ペンシオーネ花紀行 花鳥風月が四季を彩る気づきの場所
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ふじやまの湯(桜川温泉) 巨岩風呂から山野草の庭を愛でる
- 鎌田温泉
- 花と緑につつまれた尾瀬の郷
利根郡片品村は、群馬県の東北の端に位置し、新潟県・福島県・栃木県に接する県境の村。高山植物と高層湿原が多くのハイカーを魅了する尾瀬をはじめ、日本百名山の至仏山・日光白根山・武尊山などの山岳景観や丸沼・菅沼の湖水美に恵まれた風光明媚な観光地である。
鎌田温泉は昭和後期に誕生した温泉地の一つ。現在は3軒の温泉宿が点在しているが、各々が自家源泉を所有し、泉質も微妙に異なる。現在でも交通の利便性から観光目的の宿泊客が多いが、純粋に湯を目当てに訪れる湯治客も年々増えている。アルカリ性の湯が、肌にしっとりとした潤いを与えることから「美人の湯」とも呼ばれている。
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湯の宿 畔瀬 硫黄の香りと白い湯の花が旅の疲れを癒す
- 榛名湖温泉
- ユウスゲが咲き誇る花畑
榛名湖畔に湯が湧いたのは、昭和43年のこと。当時、地元のバス会社が若者向けの宿泊施設を経営していたが、県からの温泉許可がなかなか下りずにいた。昭和51年8月に旧榛名町開発協会の経営により許可が下りて、ようやく榛名湖温泉としてオープン。同54年4月には、旧榛名町に経営が移管された。
県内では数少ない天然湖畔に湧く温泉で、黄褐色のにごり湯が観光客や湯治客に人気がある。
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ゆうすげ元湯 レイクビューを楽しみながら体験型リゾート
- 霧積温泉
- 名士が集う明治の別荘地
――母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。(西条八十「帽子」より)
学生時代に霧積温泉を訪れた作家の森村誠一は、宿でもらった弁当の包み紙に印刷されていたこの詩に深い感銘をうけ、のちにベストセラーとなった小説『人間の証明』を書いた。
温泉の発見は今から約800年前のこと。当時、霧積山中で猟師の連れた犬が傷を負い、その犬が水たまりに傷口をつけていたので猟師が不思議に思い、水を調べたところ、これが温泉だったという。犬が発見した温泉として、しばらくは「犬の湯」と呼ばれていたが、いつしか「入りの湯」と言われるようになり、現在では霧の多い土地柄「霧積」と名を改めた。
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金湯館 あれよあれよのうちに、全身が真っ白な泡に包まれた
- 八塩温泉
- 三波石とともに名高い湯の町
ここ旧鬼石町は、昔より“石の町”として栄えてきた。奇岩や巨石が横臥する国指定の名勝とともに天然記念物「三波石峡」のある神流川流域で産出する三波石は、高級庭石として全国に知られている。
神流川の支流、南沢の渓谷沿いに、古くから鉱泉が湧いていた。8つの塩泉があったことから”塩の湯口八ツ所“と呼ばれ、八塩の地名が付けられたという。物資不足の戦争中には、この塩泉から食塩を精製したこともあった。
現在は5つの源泉が川沿いに湧き、3軒の宿がある。どこも岩風呂には、三波石の巨石をふんだんに使われていて、野趣あふれる豪快な入浴が楽しめる。
- 小野上温泉
- 300年の歴史を持つ名湯
小野上温泉は、かつては塩川鉱泉といい、傷に効く名湯として知られていた。その歴史は古く、国道353号沿いの旧源泉地にあった湯前薬師の石堂には、寛文4(1,664)年12月に創建されたことが刻まれている。
湯量豊富な新源泉の掘削と温泉センターの集客力により、この地に新たな温泉地が誕生した。現在、公営と民間合わせて4軒の宿泊施設がある。
小野上温泉駅の開設後も、しばらくは旧名の塩川温泉を名乗っていたが、平成18年の渋川市との合併を機に、源泉名と温泉地名を正式に小野上温泉と改名した。
- 赤城温泉
- 500年の時を経て湧く薬湯
赤城南面は温度の低い温泉が多いが、このあたりでは唯一約43度という高温泉が湧く。湧出時は無色透明だが、鉄分をはじめカルシウム、ナトリウム、マグネシウムを多く含むため、空気に触れると沈殿物を生成し、茶褐色のにごり湯となる。
泉質は炭酸水素塩温泉で、昔からヒステリーや神経衰弱、創傷、やけどなどに良く効くといわれ、かの国定忠治や新田義貞も、この薬湯につかり、心身を癒やしたと伝えられる。
近くには、上野国三大神社の一つで全国に334の分社をもつ赤城山信仰の中心地「赤城神社」や「赤城高原牧場クローネンベルク」、「ぐんまフラワーパーク」など観光エリアとしての見どころも多い。
- やぶ塚温泉
- 摩訶不思議な出湯伝説
昔、八王子山のふもと、藪塚の地に「湯の入」というところがあり、小さな社の下の岩の割れ目から、こんこんと湯が湧き出していた。ある日、この温泉に馬が飛び込み一声高くいななくと、雲を呼び雨を起こして天高く舞い昇っていった。すると温泉は、たちどころに冷泉に変わってしまったという。
ところが村人の夢枕に薬師如来が現れ、「この冷泉を沸かせば、万病に効く霊泉になる」とのお告げがあり、以来、やぶ塚温泉は冷泉ながら沸かし湯として多くの人に親しまれてきた。温泉街の北の丘に温泉神社があり、今でも伝説に登場する薬師如来が納められていて、神社のふもとから温泉が湧き出ている。