震災後、各地で大きな祭りや花火大会が中止になりましたが、私は「松明あかし」だけは絶対にやるんだと強く決意していました。 ところが、松明の材料となる地元の藁から微量のセシウムが検出されてしまい、開催を決める8月17日の幹事会では、全員が一瞬シーンとなってしまう場面もありました。 が、松明あかし開催日はちょうど震災の8ヶ月後にあたりますから、今年は震災犠牲者の鎮魂と慰霊を込めて開催しよう、 松明の材料となるカヤや竹は、九州などの安全な地域から支援してもらうじゃないか、と呼びかけたところ、満場一致で開催を決定しました。 そして全国に支援を呼びかけたところ、たくさんの地域から支援の申し出を頂き、開催実現が見えてきています。 皆さんの温かい支援の気持ちに感謝を捧げながら、今年の震災慰霊松明あかしを盛大に開催します。ぜひ皆さん、須賀川市の「松明あかし」に来てください!
「松明をもりたてる会」佐藤貴紀会長
須賀川市観光交流課 斉藤直昭課長
須賀川市の「松明あかし」は日本三大火祭りに数えられている、大変壮大な火祭りです。
この祭りは、戦国時代の伊達氏・二階堂氏の合戦戦死者の鎮魂が由来で、市内の中学校では歴史教育の一環にもなっておりますので、
大人だけでなく学校単位でも1本1トンにもなる大松明を作成して、当日自分たちの手で燃やします。
その圧倒的な迫力は、一度来て見ていただくと、一生脳裏から離れないはずです。佐藤会長からもあったように、
今年は震災被災者の鎮魂と慰霊をテーマとしますが、さらに、震災、原発、風評被害などで大変苦しんでいる福島県の「復興ののろし」として、
天まで届けと、西日本から頂いた検査済みの安心安全なカヤや竹で作った松明を大迫力で燃やします!
ぜひ皆さん、須賀川市の「松明あかし」に来てください!
歴史の始まりは420年前、1589(天正17)年に遡ります。時は戦国時代、須賀川地方一帯を治めていた須賀川城主である二階堂氏は伊達政宗に城を攻められました。 この戦で町中が火の海と化し、須賀川城も炎に包まれ、落城。 松明あかしは、この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うため、新しい領主の目をはばかり、 ムジナ(たぬき)狩りと称して続けられました。今では、須賀川二階堂家の戦死者のみならず、伊達家の戦死者を含めての鎮魂の想いと、先人への感謝の気持ちを込め五老山で行なわれております。
小松明行列
当時、犠牲者の弔いを堂々とすることができず、生き残った住民は「ムジナ(たぬき)狩り」という名目で行っていました。 松明あかし当日は、親子小松明製作体験も行われ、観光客や子ども育成会など、約1,500人が行列に参加しています。
大松明行列
高さ約10メートル、重さ約3トンの大松明と、それに添い遂げる姫松明を血気盛んな若者約150人が威勢よく担ぎ上げ、 松明あかしの会場である五老山まで街を練り歩きながら運搬します。
大松明立上
大松明の設置も人力で行います。長さ10mの大松明に梯子を使わずよじ登り、二階堂神社で奉受された御神火を手に、直接大松明へ点火します。
松明あかし
五老山の山頂に立てられた22本の本松明と須賀川城に見立てた仕掛け松明に火が灯ります。
炎が赤々と燃えあがり、晩秋の夜空を焦がす、壮大な炎の祭典です。
2010年11月13日。例年通り約30本の松明が須賀川の夜空を赤々と焦がした。
無数の松明が織りなす炎の舞は、圧巻の一言。
松明の原料となる市内のカヤ(ススキ)より、放射性物質(セシウム)が微量ながら検出されました。
この値は、食品衛生法暫定規制値を下回り、健康上問題はない数値とされていますが、実行委員会では、放射性物質に対する市民等の感情を考慮し、
本年度の松明あかしで使用するカヤ(ススキ)及び真竹等は、すべて放射性物質が検出されていない地域の材料を使用し、万全を期して、祭りを実施することと決定いたしました。
カヤ(ススキ)は、西日本の自治体の皆様よりご提供いただくことになりました。
新幹線
東京・・・約1時間40分
仙台・・・約1時間
宇都宮・・約1時間
磐越自動車道
新潟・・・約2時間30分
JR
郡山・・・10分
新白河・・・28分
JR須賀川駅から徒歩 15分
東北自動車道
須賀川 I.C から車で 5分
会場周辺に駐車場確保
(約2,000台)