高原の夏はみんな忙しいです
清里高原と言うと「牧場」が思い浮かぶかと思います。
戦前戦後清里村(当時)には夢を抱き、中には仕方なく?開拓農民としてこの地を終の住み処にすべく農地を開拓し農業を興こそうとした方が沢山来ました。 しかしこの地はたやすくありませんでした。土地は酸性、掘っても掘っても岩がごろごろ、水の便が悪い、そして最大の難関は「寒さ」・・・夢半ばにしてこの地を去らざるを得ない方々も多かったようです。
そんな苦労を続けていた開拓者達に寒冷地酪農を広めたのがきっかけにこの高原は酪農で息を吹き返すことができたようです。
2〜30年前の清里観光ブームの時に牧場はペンションとなり観光施設となりまた他の理由などで離農する方が続き、今では純粋に酪農を続けている農家は少なくなってきました。
この牧場通りも通り沿いで牧場を営んでいる方も少なくなってしまっています。この牧草地は当宿の通りの入り口の牧草地です。夏の前と後の二回、こうして牧草を刈って冬の準備です。
この牧草はお馬さん用です。彼らは干し草しか食べません。なので牧草を刈り、その場で乾かし、トラクターで走り回りその場で四角いブロックに固め、牧場へ運んで行きます。その間夕立ちも含め雨が降らない数日を選び作業しなければなりません。
牧草を大きいビニールで包んで牧草地に置いてあったりするのは牛用です。
酪農家はこうして忙しい夏を送っています。
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十月になると周りはいつの間にか
秋の装いを身に纏い始めています
杜では様々な杜のきのこ達が美味しい味を競い
ヒュッテの屋根の上のミズナラは昼も夜も五分置きにどんぐりを屋根に落とし続けてくれます
こんっ、こん、こん、こん、こん・・・
こんっ、こん、こん、こん、こん・・・
ころっ
紅葉のヒロインは
毎週毎週役者が入れ替わり
落葉松(からまつ)が秋の演目・楽日を
黄金色に飾る頃
冬将軍は幕間で出陣を今か今かと
狙っています
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清里での秋から冬の暮らしは都会でしか暮らしたことのない者にとって驚き感動の連続でした。
驚きの連続の中で東京では決して見ることの出来なかったのが頑強な霜柱! 今年東京で霜柱が立ったところは見れましたか? 都会では地面がコンクリかアスファルトだから霜柱が立っている所を見つけることも難しいですが・・・
こちらの霜柱は7〜8cm、しかも太い!東京では「霜柱はさくさくと踏みしめる」ですが、こちらでは 「ざくざくと踏みつける」 しかしごっついだけではありません。地面に目線を落とし頑強な霜柱達と同じ目線で見つめると何と綺麗なことか。
偉大です、自然は。
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