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湯西川温泉 平家伝承かずら橋の宿 本家伴久 *伴久の歴史*

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部屋からかずら橋、紅葉、川が見え、とても贅沢な眺めでした。半露天の部屋のお風呂はこの季節でも窓を開ける開けない...
2016年11月15日 11:19:58
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本家伴久|伴久の歴史

湯西川温泉、時空を超えた癒しの宿 『本家伴久』

平忠実による湯西川源泉の発見から800年の時を経て、現館主は25代目にあたり、340余年の商いを継承しています。
都より逃れてこの深山渓谷で強くたくましく生き、温泉を守り、永きにわたり人々の心身を癒し続けてきました。その本家伴久の歴史の一部を、湯西川地域の歴史とともにご紹介いたします。

湯西川には先住として16000年〜3000年前といわれる縄文時代の、狩猟採集で平和に暮らしていた古代人の遺跡が多数発掘されております。川の流域には文化が生まれるといいますが、湯西川の歴史も縄文の時代から平家一門の集落に至るまで、川の流域が生活文化を育んできたことが伺えます。縄文の民達もこの深山清流沿いの風景にさぞ癒されたことでしょう。縄文時代にこの湯西川に住みついた祖先の残した土器は、湯西川下地区の開発途上で発掘されたもので、湯西川川戸地区の「水の郷」に展示されています。

1185年、天下を二分にした源平の壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人、平清盛の嫡男である平重盛の六男・平忠実は、関東へ落ちのび、隠れ忍んで生活しておりました。
とある雪の日のこと、忠実公が狩に出たところ、降っても降っても雪が積もらない箇所を発見。不思議に思って手を入れてみると、そこにはなんと豊富に湧き出る温泉があったのです。
忠実は、温泉のことは誰にも言わず、その場所近くに、藤の木で作った馬の乗り鞍(のりくら)や金銀財宝を埋めました。
温泉の湧き出る所ならば子孫の内誰かは掘り起こすであろうと、未来の子孫を案じて望みを託し、自らは一族と共に不自由を忍び、深山の生活に甘んじ続けたのです。

1573年(天正元年)、織田信長が天下を制覇しようとしていた頃、平忠実公より11代目の伴対島守忠光(ばんつしまのかみただみつ)が、先祖と同様、雪の日にこんこんと湧き出る温泉と多数の宝物を発見。
先祖の深い配慮に感動した伴対島守は、当館から徒歩5分の慈光寺の本家伴久の墓所内に、先祖を祀る六地蔵供養塔を建立しました。また、先祖より伝えられた湯を「藤鞍の湯」と名づけ、埋められていた藤鞍を大切に後世に伝えました。(当館の宝物館に「藤鞍」は今でも展示されています)

1666年(江戸初期)湯西川が村落として存在し始めた頃、良質の温泉の評判も近隣に聞こえるようになり、湯治宿屋の伴久旅館(本家伴久)の創業となりました。その後、幕藩体制の終焉・明治維新・昭和の大戦など、激動の時代の流れの中で、人々の心身を癒す湯宿として、この地を訪れる旅人をもてなし続けてきました。

平成の現代、昔は落人の里であった当地湯西川も、今では観光地として栄えています。
毎年6月初旬には平家大祭が催され観光客でにぎわいます。

ちなみに、伴という字は「平の人」を変形した姓。「平の人が久しくあるように―」平家一門であることの誇りを忘れまいとした代々の先祖の想いが伴久の名にも込められています。
長きにわたり、当館を訪れ、支えてくださったお客様のお陰様で、その想いを絶やすことなく、当館も初代から数え25代目を継承することができました。昔から変わらぬ温かいおもてなしで、今日もお客様をお迎えしています。

京の都で栄華を極めた平家がこの山深い湯西川にたどり着いた時、この地にあるものは自然だけでした。山、川、木、土、火、温泉 その中で人々は助け合い、自然と共存して生き繋いでいったことでしょう。
家も山の丸木を組み立てた質素なもので、囲炉裏を囲み、一日の労をねぎらいあったことでしょう。火は煮炊きの大切な道具であり、暖さと灯りでもあったことでしょう。

都より逃れこの原生林の中で、人間古来の平和な狩猟採集生活様式を通して、先祖が子孫へと生き繋いでいったことに想いをはせ、当館の御夕食処は、当時の生活をしのぶ造りとなっております。お部屋は湯西川の丸木や自然素材のみで組み立てられた高床式。ランプの下、囲炉裏の火を囲むと、人類の源流へ回帰する懐かしさに包まれます。

伴久の横を流れる湯西川は、縄文時代〜源平の時代〜戦国時代〜江戸時代〜現代の歴史の変遷を見続けてきたのです。忙しさの中で暮らす現代人に、「都人(みやこびと)よ、たまには、原点に帰られませ、癒されませ。」と湯西川の清流が語りかけているようです。都心に流れ込む川の上流の深山渓谷で何がおきていたか?そこへの旅はまるで人生の原点に回帰していく旅のようです。川はいついかなる時も悠々と流れ、時には怒り、時には和み、人類の命を生かし、その営みをやさしく見守り続けています。

初代平忠実から800年の時を経て、当館主は25代にあたり、約350年間の商いを継承しています。
都より逃れてこの深山渓谷で強くたくましく生き、温泉を守り、永きにわたり人々の心身を癒し続けてきた先祖を想う時、人生の原点に回帰し、生命力がよみがえる―そんな宿としてお客様をお迎えしたいと願っております。

1994年、800年間にわたる源氏と平家の恩讐(おんしゅう)が、この湯西川の地で和睦に至りました。和睦式の前夜祭は当館で行われました。
最初は八百年前の敵同士とあって、緊迫感がありましたが、私共も心からお迎えし、酒を酌み交わす中、心は次第に打ち解けていきました。
そして次の日、和睦式を平家の里で行いました。写真はその時の様子で、源氏の子孫と平家の子孫が仲良く手を取り合って、当館「かずら橋」を渡っています。
かずら橋は、歴史上「源氏と平家の戦いで、平家が追っ手から逃げる際、橋を切り落として逃げた」という言い伝えのある橋です。
お蔭様で、このかずら橋は「追っ手から逃げる橋」から「結ばれの為の橋」というおめでたい「縁結びの橋」になりました。川を挟んで、両岸に位置する当館にお泊りのお客様も、毎晩夕べの宴処にこの「結ばれの橋」をお渡りになります。
八百年の時を経てこの平成の世に結ばれた、源平の和睦の平和への祈りが、皆様に伝わりますように。お泊りのお客様の幸せや平和への「架け橋」となることを、願ってやみません。

伴久の大女将・伴玉枝は、当地湯西川で毎年6月5〜7日に催される平家大祭の主催者を始めとして、全国平家会の会長など、平家にまつわる様々な活動を務めさせていただいております。平家の想いを今に伝えるため、ひいては湯西川一帯の旅館や観光の振興のために、日々尽力しております。

平家一門は日本全国約300ヶ所に分布しているといわれ、全国平家会が組織され一門のつながりを深めています。
当館大女将はその会長職を約15年間務めて、現在も現役です。
2009年12月に徳島県祖谷渓(いやだに)の平家祭りに招かれた折、NHKで放映された「歴史ヒストリア」のインタビューで平清盛は、偉大な人物だったとコメントしました。又「平家伝承地総覧」という200頁の本の編集長も務めました。

NHK大河ドラマで「平清盛」も放映され、
平家がクローズアップされる昨今。東京から一番近い平家の里で、
歴史の浪漫に思いを馳せてみませんか?

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