むかしむかし明治のころ、日清戦争というのがおこった。
その時村人達は 「遠くの国まで戦争に行くのはつらいなあ。」とささやき合った。
するとそれを聞いた村の
お寺のお尚さんが「なんとか、皆んなの気持ちを
救ってやりたいものだ。」 と遠州一円をたくはつして歩きこのお金でお山に
観音様をきざんでいった。お陰で戦争も
終り村人達が
もどると誰も戦死しなかった。
「こりゃ、お観音様のおかげだ」と大評判になった。
10年後に日露戦争というのが又おこり この評判を聞いた一遠の人々はこのお観音におすがりに来て参道はつづつながりの人でにぎわった。 又今度の太平洋戦争で、すっかり敗けてお観音様も忘 れ去られてしまった。 戦後25年たった時に当館の主人が鉄砲をやるので猪狩りのあとお山を通っておりて来た。 そして「お山の観音様を一度お祭りやってやりたいなぁ」「さみしい姿になってるで」 そして村人や組合の人達と相談して村祭りをやったところすぐにいいことがおこった。
昭和57年3月、当館近くの前山で埋もれて居た明治27年建立の百体の観音様を掘り起こし、村おこしとしてお祭りを行った。その後、愛犬ウィンキーは宿泊客を観音様が祀られている前山に道 案内を始めるようになった。これが評判となり、新聞テレビ等各マスコミに取り上げられ、観音様とこの郷を全国に広める。ウィンキーは21年の生涯を閉じ、その功績として銅像が建てられている。